反連協のあゆみ 
1 反連協発足のころ
反連協設立の経過[1978年3月25日結成]
 1978年2月13日,珠洲原発に反対する三者(珠洲地区労,社会党珠洲総支部,新しい珠洲を考える会)の代表が集り「珠洲原発反対連絡協議会」(略称:反連協)設立について打ち合わせ会を開催。以後,それぞれの機関会議に諮り承認を得て3月11日,珠洲原発反対連絡協議会設立準備委員会を開催しました。
 その背景や意図については,設立総会への参加を呼びかけた「趣意書」からうかがうことができるので,その全文を紹介しておきます。
◇ 趣意書 ◇
珠洲市の原発誘致問題が具体化したのは,50年10月30日の市議会全員協議会で『原子力発電所,原子力船基地等の調査に関する要望書』を国に提出することを決め,黒瀬市長と当時の田畑議長らが,中西知事にこの要望書を渡し,珠洲市に適地調査を行うよう政府に取り次ぎを依頼した時から始まります。
 この動きを見てとった中部,関西,北陸各電力会社は,51年1月に相次いで原発開発構想を発表した。なかでも関西電力の芦原会長は,珠洲市に1千万キロワットの一大原発基地をつくりたいと述べています。一方,黒瀬市長の要望を受けた国は,地元住民の承諾も不十分のままに,51年3月から12月までの間,高屋町小浦出,三崎町寺家地内において原発立地予備調査を実施しました。
 この結果は,52年3月に通産省エネルギー庁から報告された。その内容は,「原発立地には支障はない」としながら,さらに精密な調査をすることが条件となっている。
 こうした状況と併せて黒瀬市長は,日本原子力文化振興財団から2千万円の寄付金を要請し,さらに市民の税金である一般財源からも2千万円を予算化し,地域住民の原発視察などの補助金に使い果そうとしているなど黒瀬市長の行財政はまさに原発先行型の姿勢に変身しています。この間に市議会は,珠洲市地域開発特別委員会を珠洲市エネルギー特別委員会に切り替え,原発積極論を支持する動きとなり,立地地区住民や,漁民との対話集会を開いて,住民コンセンサスづくりに,或は,水産振興対策に漁協との懇談会を開き推進意欲の盛り上げをはかるなど,その工作を続けてきた。
 しかし,今なお市民のコンセンサスが十分でないとして,黒瀬市長からの『議会決議』(本調査の受け入れに関して)諮問は,二回に亘って見送られてきた経緯があり,さらに,地元住民ならびに漁協に対するコンセンサスづくりに躍起となっている。
この,市が進める原発誘致対策に対し,市内では,地区労など革新団体や新しい珠洲を考える会をはじめ,漁民,地元民などによる反対住民組織が結成されるなど,原発の危険性,環境に及ぼす影響について抗議や,反対申し入れ運動が強まっています。
今日,我が国における原発問題は極めて深刻な事態に陥っており,各地に建設された原発は,そのことごとくが,事故や欠陥が現われ,52年度の稼働率見通しは40パーセントを割る程に,惨たんたる有様です。そして,ここに働く人達の被曝は年々増加し,もはや看過し得ない事態となっています。
 安全性を犠牲にして,経済性のみを重視した無理な原発の稼働は,労働者の被曝を増すばかりでなく,新たな事故を準備し大事故への引き金になるおそれがあります。年々蓄積される放射性廃棄物はその処理の見通しすらたっておらず,放射能による漁業被害など環境汚染防止が完全でないままに,原発は『死の灰』をつくり出し,人間社会をはかり知れない危険におとし入れようとしている現状です。
 また,三重県芦浜原発をめぐり,紀勢町長が中部電力にワイロを要求した悪どい事件が摘発され,原発と汚職の構造が明るみに出た。われわれは住民,漁民を犠牲にする原発開発,利権暗躍を絶対に許してはならない。そのためには,原発反対全住民の理解と協力によって,珠洲原発誘致と建設阻止を闘う他はありません。
 従いまして,共通の目的を持った市内の反原発団体組織が,同一のテーブルで協議し,連絡協調をはかりながら反対運動を強力に推進しなければなりません。
 ここに,珠洲原発反対連絡協議会(仮称)の設立を準備しましたので,是非ご賛同下さるようお願いします。

昭和53年3月11日
珠洲原発反対連絡協議会
設立準備委員会

 1978年(昭和53年)3月25日 珠洲労働会館で開催された設立総会(代議員44名 出席)で正式に「珠洲原発反対連絡協議会」(略称:反連協)が発足,規約・事業方針・予算・役員が決定,初年度の事業方針としては次の5つが掲げられましれた。
 1.講演会の開催
 2.チラシなどの作成配布
 3.立看板の掲出
 4.地域の住民ならびに漁業者との対話
 5.関係機関に対する要望,申し入れなど
 初代の役員としては会長に設立準備委員会の委員長であった河岸二三氏を選出,副会長には表洋氏,事務局長に坂下初男氏を選出したほか,6名の幹事と監事2名を決定しました。また,構成団体としては「珠洲地区労働組合協議会」「新しい珠洲を考える会」「日本社会党珠洲総支部」の3団体が確定しました。

初年度(1978年度)の活動

1 「10・26反原子力の日」行動
 「10・26反原子力の日」行動として市内全域にチラシを配布しました。この行動には,地区労組合員が主体的にかかわり,それ以降も市内全域へのチラシ配布が継続して年1〜2回実施されるように定着しました。

2 「原発講演会」の開催('78.11.1 PM.5:30〜 飯田スメル館,地区労と共催)
 映画『神田岬』上映の後,大阪大学講師・久米三四郎氏による講演
 演題「私達は原発問題にどう対処したらよいか」

3 珠洲市長に対する申し入れ('79.4.3)
 1979年3月28日,アメリカのスリーマイル島原発事故が発生したことに対し,反連協は4月3日に緊急幹事会を開催し協議の結果,その事故の重大性に鑑みて以下の申し入れを行いました。

                申し入れ書
 われわれは,原発のもたらす危険性と,環境破壊および公害によって住民のいのちと暮しをおびやかすことを恐れ,市長の進めている原発誘致は止めるべきことを要望してきたところであります。しかるに,市長におかれては,原発の安全性は確保されると云って,市民の合意づくりを意図的に急がれていることに対し,極めて遺憾とするところであり,珠洲市将来のため,市民と共に強く反対するものであります。
 このときにおいて,去る3月28日米国のスリーマイルアイランド原子力発電所内部が放射能汚染したほか,放射能の一部が厚い防壁を通して外部に漏れるという,われわれの最も恐れていたことが現実となって起きました。この事故によって,外部に漏れた放射能は,発電所から26キロメートルも離れた大気にも検出されたと発表され,この事故は,原子炉の『炉心溶融』という最悪事態につながる可能性すらあるといわれ,二重三重に安全確保がはかられている原発も,重なる事故の発生によって外部に放射能漏れを起こす危険性のあることが実証されました。
 このため,世界関係国の原発開発に多大な影響と,改めて重要な疑問を与え住民の不安感はいよいよ増長しています。原発の新設はもとより,既設の原発にも見直し論が広く盛り上がってきております。われわれは,この米国における原発事故を単に,他国における事故として受けとめるのではなく,我が国における原発にも同じタイプの事故が起こる恐れのあることを十分に認識する必要があると思います。従って,珠洲に原発を建設しようとする市長の安全性確保論に反発するとともに,地域住民の不安を硬化する原発推進対策を改め,即時誘致の中止を決意されるよう強く申し入れます。
昭和54年4月3日
                                  珠洲原発反対連絡協議会
                                        会長 河岸二三
   珠洲市長
   黒瀬七郎殿

この申し入れには乙谷助役が応対し,「今後はより慎重に対応していきたい」と回答しました。
 なお,事業方針で掲げていた立看板の掲出については,予定されていた場所の不適性もあって,実施保留となりました。
 また,立地地区住民や漁民との対話がもたれなかったことも,総括として第2回総会('79.9.12)で報告されました。
 反連協の活動に要する費用については設立当初から概ね次の通りでした。
《収 入》
[構成団体による分担金]として
・珠洲地区労 :3万円
・新しい珠洲を考える会  :1万円
 ・社会党珠洲支部 :1万円
[補助金]として
・能登エネ協 :3万円
・珠洲地区労 :3万円
(注) 能登エネ協:能登半島エネルギー基地化反対地区労協議会
 以上,合計11万円の予算で,市内全家庭に配布するチラシの印刷,講師を招聘しての講演会の開催,総会開催費(資料作成を含む)等に充当されました。

1979年度の活動

1 全国の反原発運動との連携
 1979年3月28日に発生したスリーマイル島原発事故を受け,反連協の活動を総評の呼びかける全国的な反原発闘争の一環と位置づけて取り組まれることになりました。
 4月28日には「反原発緊急全国代表者集会」が開かれ,全国の原発立地関係住民の代表ら21県(石川も参加)23団体から多数が参加して通産省,原子力委員会,原子力安全委員会に対して交渉を行行いました。また,反原発闘争をこの機会に一大国民運動に展開していくとの集会決議が採択されました。
 また,能登原発反対運動にも積極的に参加していくことになり,志賀町での集会や反対運動の総会に河岸会長や表副会長,坂下事務局長らが出席しました。('79年5月,'80年1月)

2 立地地区住民との対話
 反連協役員自身が原発についての研究会を開催して学習を深めながら,坂下事務局長を中心に高屋・寺家・狼煙地区で住民との対話活動を重ねました。

3 講演会の開催('80.4.3)
 被曝労働者の実態を描いた『原発ジプシー』の著者の堀江邦夫氏を講師に招き,飯田町西勝寺と三崎町翠雲寺の二か所で講演会を開催しました。
堀江氏自身の体験に基づく,下請原発労働者が放射能被曝者となって吐き出される棄民労働の実態についての講演で,極めて有意義なものとなりました。

4 チラシの全戸配布
 「スリーマイル島原発事故1周年」にあたり,1980年3月25〜28日,市内全域に配布しました。

※ 1979年度の珠洲原発をめぐる状況について(以下は「総会議案書」より)
[推進側の動き]
=原発一時“立ち消え”も=
 市当局や珠洲市地域開発協議会は,原発先進地の視察参加者によるアンケート集約,立地地区住民との座談会,講演会,原発対策委員会の組織化などで,企業の本調査(環境調査)受入れ体制づくりを継続して進めてきました。
 しかし,スリーマイル島の原発事故が国内外の原発開発に影響し,反対側を刺激すると同時に,政府・企業側に「慎重・見直し論」が出てきたため,一時原発問題は鳴りを沈めた格好になりました。市議会でも何回か本調査受入れ決議をしようとする動きがありましたが,電力企業からの反応がなくて,提案するまでに至らず終わったことがありました。このような情勢と衆参両院選挙の突入によって,反原発の直接的な行動が疎略化してきた面があったことが反連協の反省点として総括されました。
=石炭火力発電の動き=
 原発は思うように進まないと見た黒瀬市長は '79年12月,突然に「火力発電所の誘致」を提起し,原発候補地外の場所(内海側)で建設したいとして,そのための環境調査を行うべく,漁協連や区長会長に強引に内諾を取りつける手続を終えたことを明らかにし,自らのなり振りかまわずといった方策を打ち出しました。この市長のやり方に,多くの市民は驚きと行政不安を訴える声が高まりましたが 問題は原発にしろ,火力発電にしろ黒瀬市長は何故に電源開発を急ぐのか,個人の負債整理のための利権利用ではないのか,と非難する者もある位であした。過疎脱却と称し,国策のエネルギーのレールに乗った方が得策だという考え方だけで,市民の健康・いのちを犠牲にする方策には われわれは納得できないのです。
 従って,8月に入って珠洲における原発,石炭火電構想をめぐるところの電力企業の動きが非常に活発になってきたことに対し,警戒と監視体制を確立しながらがら今後の対応を十分討論する必要がありました。

1980年度の活動

 反連協が 1980年度の「事業方針」として盛り込んだ内容は以下の通りです(第3回定期総会議案書より)。

1 80年度の活動方針
[原発をめぐる状況]
=原発安全神話の崩壊=
 '79年3月28日に発生した米国スリーマイル島原発大事故によって,世界各国で原発の見直し,反原発運動への世論が高まってきた。こうした状況の中で北陸電力の上田喬弘副社長ですら「絶対安全とは云えないが,今まで起きている原発事故を謙虚に受けとめ,見きわめながら今後対処していく。」という談話を発表せざるを得なかった。いうまでもなく,原発は周辺住民をはじめとし,広く国民の生命と健康を脅かすこと,それに核拡散につながるおそれがあるなどの危険性のあることは,誰しもが認めており,加えて原発に働く労働者の放射線被曝が激増し『被曝労働者』の深刻な状況は,もはや見過ごし得ない社会問題となってきた。
 一方,石油代替エネルギーの開発利用が世界的な課題となっており,東京サミットでも石炭,原発による代替エネルギーの開発を決議し,我が国の今後の開発計画では電気事業審議会が '79年12月にとりまとめた日本の長期目標等を見ると,
・昭和60年度('85年度)末で 2,800〜 3,000万キロワット
・昭和65年度('90年度)末で 5,100 〜 5,300   〃
・昭和70年度('95年度)末で 7,400 〜 7,800  〃
に伸ばすこととしている。
 当時は,営業運転中の原子力発電所21基,出力では約1500万キロワットであるが,計画・建設中などの14基1300万キロワットを含め,60年度末での見込みは約35基で2800万キロワットとなっていた。従って前記計画は,10年後に約3.4倍,15年後には約5倍にするということであった。
 この目標を果たすため新規発電所建設が必要となり,その電源立地点の確保が問題になっているわけであり,珠洲原発も,関西・中部・北陸電力の三社の共同によって一大規模といわれる1000万キロワット(現在営業運転中の原発の66%に相当する)の構想が打ち出されてから5年を経過している。一時はタナ上げと思われた原発開発は,第2次石油ショックによって電力の脱石油化,原子力発電の積極推進が決ってから,珠洲におけるエネルギー基地化構想も俄然活発化してきた。
[珠洲の状況]
=石炭火電誘致の動きに対して=
 珠洲においては原発開発に加えて,石炭火力発電所を電源開発会社と共同で建設す構想を打ち出してくるなど,珠洲には人間が住んでいない地域として好き勝手な利用を計画してくるのではないかと,地元では大きなショックととまどいに包まれている状況にあった。石油危機を利用して“エネルギー必要論”,“石油代替論”をふりかざし,今にも電気が足りなくなり停電が日常化するかのようなおどしをかけて,自然や人間のいのちと引き替えに利潤を追求しようとする電力資本,そしてこれを擁護する政府自民党のやり方を訴え,抗議を強力に展開する必要が認識された。
[反連協の基本的な考え方]
1.原発の『安全性』問題
 われわれが原発に反対する根拠として,放射性物質の有害性と,原子炉の危険性に着目したい。
・ 原発の安全性は実証されていない。
・ 事故が起こればとりかえしのつかない被害を生むこと。
・ 日常運転でも放射能が放出され,環境が汚染される。
・ 放射性廃棄物の処分方法がないこと。
・ 放射性温排水により漁場が破壊されること。
 これらを問題とし,安全性が確保されない限り原発誘致には反対するいわゆる『安全性』論争を軸とする。
2.原発の『政治・経済的危険性』問題
 原発開発の経済的有利性は電力コストの安さが売りものとされてきたが,しかしその経済性は設備利用率,耐用年数,再処理費,放射性廃棄物処理の費用を算入しない計算でできている。したがって,
・ これらの費用を算入すれば非経済的となる。
・ ウラン価格の急騰,建設費の増大,事故の補償費でコストは上昇する。
・ このコスト上昇分は,必ず電気料の値上げにより国民にシワ寄せされる経済的危険性がある。
・ 労働者の被曝問題が表面化し,原子力利用に伴う非人間的側面が浮きぼりにされてきた。つまり原発は,労働者の健康・生命を代償とする必然性をもっている。
・ 原発の危険負担は立地地域住民に集中し,発電された電気は都市住民が享受するという差別がある。
・ 原発の危険性があるところに,工場誘致などできるはずがない。
・ 過疎から脱出するための原発が,逆に過疎状態を深刻化し,独自の地域開発を不可能にする。
3.軍事的危険性問題
 原発は必然的にプルトニウムを生産するので,原子炉はもともとプルトニウム生産ため開発されたもので,核兵器開発とは一体のものといえる。原発をもてば,いつでも核兵器をつくれることになり,その時の政府の政治決断次第ということで,根本的歯止めにはならない。いまの政府は右よりといわれ,核兵器合憲論や自衛隊増備論,靖国神社論など憲法改悪への動向など明らかに政治的条件づくりが始まったことを意味している。日本の核武装化への危険は高まっており,反原発闘争は核兵器反対運動と一体である。
=原発反対運動の進め方=
 珠洲原発は我が国最大の電源開発基地化を狙った,関西・中部・北陸三電力会社共同資本による大構想であり,その計画と実現への推進策動は今後加速化するものと見られている。
 われわれの誘致反対運動は,集会やデモ的行動だけで片付くものではない。日常的に継続した闘いにしなければならない。従って今後の活動は,従来の活動を生かしながら,きめ細かくより実践的な運動とし,拡大発展に結びつけていくことが必要である。そこで以下の点を重点に進める。
1 住民運動の組織化
 地元における住民の強力な運動を軸として進めることが基本でなければならない。つまり,住民運動との協力がなければ,反原発運動の発展は期せられない。従って,立地地区に起きる反対の動きを支援協力し,組織化をはかるよう努力する。
2 学習による理論活動
 反原発運動には,原子力に関する専門的知識が要求されるので,学者や専門家との勉強会や,反原発先進地組織との連携をはかり,調査・研究・学習活動に努めるとともに,理論的活動を強化する。
3 共闘体制づくり
 地元住民運動の強化・発展へ向けた協力対策と同時に,立地地区外の地区民の運動参加,労組の積極的な活動によって,個々の主体的行動を盛り上げて『共闘』関係の体制確立へ移行するよう指導する。
珠洲石炭火電対策について
 '79年12月,黒瀬市長は原発誘致が進まないので,珠洲市の内海側に石炭火力発電所を誘致して,原発推進の“つなぎ”にしたいと打ち出し,いち早く漁業関係者・区長会に相談を持ちかけ,電源開発会社に海洋調査の依頼をはかった。
 この間,関係者や議会に対し,調査は環境影響をみるもので誘致することとは別であるとして,市民をゴマ化してきたが,今回の電力企業が発表するところでは,原発と両立した構想が明らかであり,一大規模の電源開発基地をつくろうとするものであることが明確になった。
 この石炭火電には,ばいじん・排煙・排水・硫黄酸化物・窒素酸化物・騒音など,多くの公害要素を有する施設となるおそれがある。特に,大量の石炭の燃え灰の処理など,大きい問題があるので,必要とする調査研究活動を積極的に行うことにするが原則として,原発を優先したところの珠洲電源基地化構想の実現を有利にする“つなぎ”火電には反対していくことを確認し,具体的には原発反対運動の中で対処していくことにする。

2 80年度の主な活動
(1)珠洲原発・石炭火電反対の申し入れ('80.9.19)
 第3回総会('80.9.8)での決議に基づき,珠洲市長に対し『珠洲原発・石炭火電反対に関する申し入れ書』(→[資料1])を手渡し,反連協の意見を伝えました。
(2)反原発ビラ市内全戸配布('80.9.27〜29)
 7000枚を作成し,地区労組合員の協力で市内全家庭へ配布しました。この他,重点地区(高屋・寺家)には毎月1回のビラ配布が地区労活動家集団によって取り組まれ続けました。
(3)「反原子力の日」珠洲集会('80.10.25 飯田スメル館)
“原子炉は死の灰製造所だ”[講師:前後和雄氏]
(4)金沢大学の飯田克平先生一行と語る会 ('80.11.2 小泊集会所)
(5)「珠洲原発に反対する市民集会」  ('81.3.28 飯田スメル館)
   スリーマイル島事故2周年記念集会  “仏教から見た原発”[講師:翫 正敏氏]

3 80年度の特徴的なこと
・黒瀬市長の個人的負債が大きな政治問題化し,そのため原発推進など珠洲市の行政に対する不信感が高まり,電力企業の対応も停滞しました。従って立地点の本調査受入れ対策は進展せず,遂に市長の辞職・市長選挙へと発展していくことになります。
・反連協の予算的,資金的不足から十分な活動が望めないとの意見が,総会・幹事会で提起され,今後の検討課題とされました。能登半島エネルギー基地化反対地区労協議会へ助成金等の要請を行い,県評の援助もあって印刷機1台が寄付されました。

  反連協のあゆみ