反連協のあゆみ 
あとがき

 本記録集『反連協の歩み』をまとめようと思ったのは,ある「危機感」からでした(それは,義務感といってもいいかもしれません)。

 四半世紀以上もの長い間,「原発推進のみ(途中,火電や“むつ”もあったが)」を旗印とし,これ以外の策を考えることなく突き進んできた珠洲市政は,市民の間に混乱を巻き起こし,「町づくり」どころか「町くずし」を行ってきただけでした。これは,民意を無視した失政であったといえるでしょう。市の執行部の思いは「珠洲市民のため」であったのかも知れませんが,結果としてそれは「珠洲市を潰していた」のです。このことを為政者は,まず,しっかりと反省すべきです。
 しかし,原発計画が断念されたあとも,市当局はわが身を省みることなく旧態然とした市政を継続しているように見えます。さらには,この「珠洲原発計画が引き起こした問題」を<単なる汚点>として市の歴史から抹殺するが如き対応も感じられます。例えば,「珠洲市HP>珠洲の歴史>年表」には,原発計画のゲの字も出てきません(2005年10月現在)し,2004年に珠洲市がまとめた『珠洲のれきし』を見ても,原発関係はわずか2ページです(当然,最高裁で選挙無効になった市長選挙のことなどは出てきません)。一方,内灘町がまとめた『内灘町史−砂丘に生きる町』(2003年)には,住民運動である「内灘闘争」のことが16ページにわたって書かれています。
 歴史から学ばない者は,同じ過ちをくり返すことにもなりかねません。

 私たちは,珠洲市が残すつもりのないこの歴史を,しっかりまとめておく義務を感じました。民意を無視した行政が,民衆の間に何をもたらしたのか。国策を御旗にして土足で珠洲に踏み込んできた電力会社と,どのように闘ってきたのかを後世に残すことは,われわれ原発計画に反対した者の責務でもあります(もちろん,珠洲市が行政としての立場から,この間の歴史をしっかりまとめておく義務もあると思います)。

 本書は,27年間の反連協の『定期総会議案書』を元に再編集したものです。「原発を巡る世界の様子」など,直接,珠洲に関わらないないことも,そのまま「情勢」として抜粋し掲載しました。原発推進・反対は,珠洲だけの問題ではなく,社会の情勢や世論にも大きく影響されるからです。

 編集にあたって,本文や行動日誌の形式は,統一できませんでした。原本である『議案書』が,5人の事務局長の手で作成されており,それぞれのまとめ方が異なっているからです。なお『議案書』のどの部分を削除するか採用するかは,一部編集委員会でも確認しましたが,ほとんどは編集責任者の私が判断しました。ご了承下さい。
 また,いちいち「参考文献」などは挙げませんでしたが,毎年の『議案書』作成時には,当然のことながら,新聞を含む様々な資料や図書を参照・引用しているものと思います。今となっては,文献にさかのぼることは不可能ですので,ご容赦願います。

 巻末には,反連協と関係の深かった方々からの寄稿文を掲載しました。一部は『反連協20年誌』(1998年に制作予定だったが未刊に終わった)のために寄せていただいた原稿を,本人のご了解の上そのまま掲載させていただきました。どうもありがとうございました。
 お寄せいただいた文章を読んでみると,原発がもたらしたものは辛苦だけではないようです。苦労の中にも,仲間を見つけ共に闘う楽しさを味わい,知恵を生かしているように感じました。私も,折り込みチラシを書いたり,議案書をまとめたり,催し物を企画したりする中で,楽しい出会いがあり新たな自分の力を知ることができたようです。

 小学校に通っていた娘が,選挙になるとときどき悲しい顔で帰ってきました。原発を推進する家の子たちと賛成・反対を巡って,喧嘩になるというのです。「あんたの家(うち)は反原発だから…」とでも言われたのでしょうか。「かわいそうだなあ,子どもたちまで…」と思ったものです。まあ,選挙が終われば,どうってことないのですが…。
 1999年の県議選で,推進側は北野落としにかかってきました。「北野がいる限り住民合意はない」という谷本知事を当選させた私たちにとって,北野さんの存在は大変大きなものであり,絶対に負けるわけにはいきませんでした。選挙戦は熾烈を極めました。私も自然と力が入り,ラスト一週間は,晩ご飯も子どもたちと一緒に食べられませんでした。
 投票日前日の土曜日も,いつもどおり夜遅く,帰宅しました。
 部屋にはいると「北野進さん選挙がんばれ」「お父さん,お母さんがんばれ」「珠洲原発反対」「自然を守ろう」の文字が,拙い絵と共にパソコンの画面に映し出されていました。「ペイント」で書かれたその文字は,やっとパソコンを覚えた娘たちが頭を寄せ合って書いたものに違いありません。「選挙になると,友達が急に冷たくなる」といっていた娘たちが,親の気持ちを分かってくれていたのだと思い,申し訳なく思うと同時に,力強く思ったものです。
 この子どもたちに「原発のない珠洲」を残せたことを誇りに思うと同時に,これからも「住んでいてよかった(^_^)」と思える町づくりに少しでも寄与できればと思っています。最後になりましたが,これまでのみなさんのご協力に深く感謝致します。
 (事務局長 O)

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