反連協のあゆみ 
2 石炭火電の動き
珠洲市長選挙と1981年度の活動
 第4回反連協総会('81.7.22)は委任状を含め51名が出席して開催されました。この総会では,それまで7名だった幹事を1名増員し8名(内訳は地区労推薦:5名,新しい珠洲を考える会推薦:2名,社会党推薦:1名)とすることが提案され,原案通り決定されました。これにより反連協の運営の強化が目指されました。

1 珠洲市長選挙と河岸会長の善戦
 黒瀬市長は,個人的な負債問題から辞任に追い込まれ('81.3.25),4月29日に市長選挙が執行されることになりました。この市長選挙は,自民党の県会議員であった谷又三郎氏(70)と,無所属で出馬した社会党珠洲支部委員長で反連協会長の河岸二三氏(56)の間の「原発を争点にした一騎打ち」となりました。
 原発を争点とした市長選挙は,前回('78.7.30)の自民党公認の黒瀬七郎氏(61)と元自民党の県会議員でありながら「原発反対」を掲げた藤野公平氏(65)による一騎打ちがあり,当時の地区労などは藤野氏を支持したものの必ずしも原発問題で二分した選挙とは言えず,出身地区や保守の派閥による争いとしての位置づけの方が顕著でした。(黒瀬氏:10,204,藤野氏:8,415 投票率:91.79%)
 81年の市長選挙は文字通り「原発を争点」にした珠洲市制始まって以来初の保革一騎打ちでした。選挙は4月19日に告示されましたが,同日の朝刊は各紙一斉に「敦賀原発での放射能垂れ流し事故」を報じていました。まさに河岸候補には追い風となる大事件の発生で,「原発」が最大の争点として10日間の選挙戦が戦われました。反連協に結集する各組織は,その総力をあげて選挙戦に臨みました。
 結果は,投票率が73.04%,谷氏:9,066,河岸氏:5,246で,河岸氏の「予想以上の得票で善戦」でした('81.4.30付『北國新聞』)。
 敦賀原発での事故と河岸氏の善戦が,後に当選した谷市長を「原発静観・火力推進」へと導くことのなりました。

2 反連協の組織強化に向けて
 第4回総会では,以前から課題とされていた反連協の予算不足を補うために地区労によるカンパが決定しました。総額150,000円で,その内訳は次の通りでした(省略)。

3 学習・広報活動
 谷市長になってから,従来の原発一辺倒の市政から石炭火力発電を優先するとの方針転換が行われ,北陸電力と電源開発会社から「石炭火力立地の可能性調査」の申し入れが文書でなされました('81.5.28)。こうした情勢の中で反連協は,石炭火力そのものへの学習を深めると共に,それは,あくまでも原子力発電を本命とする珠洲電源基地化構想の一環であるとの認識に立って学習・啓蒙運動を強化していきました。
・役員学習会(きのうら荘)と寺家・高屋地区へのビラ配布('81.8.30〜31)
 [ビラの作成・配布には,年間5回にわたり地区労活動家集団の協力を得ました]
・反連協・地区労代表者会議(前後和雄氏を迎え)('81.10.23)
・「10・26反原子力の日」珠洲集会('81.10.26 労働会館)
  講師:中川高志氏(敦賀市民の会)
演題:「原発の敦賀はどうなっているか」
 この集会では「石炭火力発電の調査推進も,原発誘致への促進剤的つなぎ策」として進められるおそれがあると分析し,「能登に計画される巨大規模のエネルギー基地化構想に反対し,珠洲原発,石炭火力などの不当な電源立地を許さないことをここに宣言します。」とする集会宣言を採択しました。
・役員学習会(石炭火電について)('82.2.26)
・地区労学習会(火電・原発について)('82.3.25)

4 市長・知事等への申し入れ
 関西電力と中部電力が駐在社員を高屋・寺家に繰り入れ,露骨な推進工作を行い始めたことに対する抗議と,即刻珠洲から撤退すること・原発計画の白紙撤回と石炭火力の凍結を,市長・知事・北陸電力の三者に対して20名で申し入れました。
(1)珠洲市長に対する申し入れ('82.4.9)
 市長の代理として対応した乙谷助役は,約1時間の交渉の中で「申し入れの主旨については市長に伝える。電力企業の原発推進のための動きは,市が静観態度をとっている時でもあり,にがにがしく思っている。」と回答しました。
(2)石川県知事に対する申し入れ('82.4.10)
 知事の代理として対応した杉山副知事は,約30分の交渉の中で「珠洲市の電源立地は地元の要望であり,協力がなければできないと思う。過疎解消のため雇用の場づくりが必要ではないか。予備調査は建設を前提として行う可能性調査である。また,高屋や寺家における電力企業の動きについては,県は何ら相談も承知もしていない」と回答しました。
(3)北陸電力石川支店長に対する申し入れ('82.4.10)
 坂本石川支店長は「珠洲市長からの予備調査の要請はまだ聞いていないが,要請があればそれに応えるよう検討したい。本日の申し入れについては中部,関西電力に,その趣旨を伝えたい」と回答しました。

5 他団体との連携
(1)「反原発石川・富山県民の会」(21名)と語る会 ('81.8.23)
(2)「反火力運動全国交流会」(和倉温泉)[6人出席]('81.10.3)

1982年度の活動
 谷市長は「原発静観」を表明し,代わりに「石炭火電」が急浮上してきましたが,反連協としては第5回定期総会で次のような認識のもとに反対運動の質的強化を目指すことを確認しました(’82.6.25,代議員39名の参加)。
 同年6月15日には市長と市議会議長が県庁において「石炭火電の予備調査受け入れ」を回答しており,反連協の闘いは新たな対応を迫られていました。

1 82年度の運動方針
[状況の分析](以下は議案書からの転載)
・スリーマイル島原発事故,敦賀原発放射能漏れ事故,イスラエルによるイラクの原子力施設爆撃などは,原発が人間と環境に計り知れない災いをもたらす施設であることを,改めて示している。事故に限らず平常運転時でも微量の放射能が漏れ出し環境に蓄積し,やがて人体に取り込まれることになる。また,大量の温排水は,海の生態系に深刻な影響を及ぼし,漁民の生活に不安を与えることになる。
・いま,すでに日本には22基の原発が稼働しており,さらに数十基が建設中・計画中である。政府,電力会社の強引な原発推進策に対して,全国各地で住民による反対運動が闘われている。
・珠洲市においても原発建設の動きが始まってから7年目になるが,この間市当局は北陸電力を含む関西・中部電力の「一大規模構想による原発基地化」推進に加担して素晴らしい自然環境を破壊し,住みよい故郷を電力資本に売りつけようとしている。
・市長の交代以来,敦賀原発事故の影響もあってか,「原発静観,石炭火力発電推進」の動きを見せている。しかし,こうした市の動きとは裏腹に,昨年暮れから中部・関西電力は寺家・高屋で,原発建設への強力な折衝を進めているという現状がある。そうした電力の動きに対して市当局は何も言えず,黙認の態度を取り続けているが,それは谷市長自身が原発推進に協力していることと同じであると知るべきである。北陸電力と電源開発会社は,珠洲市に対して『石炭火力立地可否調査』の申し入れを行ってきた。市の回答結果によっては予備調査が実施される段階に至っている。しかし,われわれは電力企業サイドの狙う「珠洲電源基地化計画」の本命は石炭火力ではなく,あくまで原発の一大基地建設であると判断すべきである。今回,石炭火力予備調査に実施に踏み切った背景には次のような事情が考えられる。
(1)石炭火力の予備調査を求める珠洲市の要望が強く,それを拒んだ場合『本命』の原発建設への協力が得られなくなるおそれがあること。
(2)調査はあくまでも予備的なもので,本調査(環境調査)でないことが強調されていること。
(3)調査期間を1年間とし,その間を電力会社相互間でしっくりしていない原発と火電の関係の調整を図る期間に利用すること。
(4)翌年4月の市議会議員選挙後に調査結果を明らかにし,珠洲電源基地化への具体的路線を打ち出し,一挙に原発建設への議決を取りつけようとしているのではないか。
(5)石炭火力(200万キロワット2基)では採算が取れないことは明白で,結局は原発建設優先という企業の方針が強化されるのではないか。
  いずれにしても石炭火電では港湾設備,揚炭,灰捨て場など石油火力にはない多大な経費が必要であり,石炭のみでは企業採算ベースは楽観を許さない。また,能登半島エネルギー基地化構想は,阪神・中京地区への電力供給基地を目指すもので,従って送電中のロスを考えれば小規模のものではあり得ない。原発の建設費は石炭火力よりも高くつくが,燃料輸送や港湾設備に大きな資本を必要としないことから見ても石炭火力だけで終わることはあり得ない。
[運動の基本方針]
(1)原発の持つ潜在的危険性,放射能による自然環境の破壊,核の軍事転用の危険性の観点から,原発の建設に反対する。
(2)石炭火力発電所の建設は,原発建設を優先する“つなぎ”であり,自然環境と住民を公害から守る観点からも反対する。
(3)地域の住民と共に,原発及び火電建設に対して強力に反対運動を推進する。

2 具体的な活動
(1)「10・26反原子力の日」を記念する講演会の開催('82.10.30)
 講師に反原発福井県民会議事務局長の小木曾美和子氏を招き,飯田スメル館で開催。演題は『原発がもたらす諸問題』。一般参加者を含め約80名が参加。
(2)「スリーマイル島原発事故4周年行事」として「学者グループと語る会」開催
 1983年3月2日,高屋集会所で開催。
 講師には「原発モラトリアムを求める会」のメンバーから,代表の野間宏氏(作家),事務局長の里深文彦氏(相模女子大教授),同会長の池田道子氏(布教師),地元金沢大学教授の八木正氏の4名が参加され,特に地元の主婦らから真剣な原発反対の意見が出され,同席していた労組員には強い印象を与え意識の喚起が求められるものであった。
(3)反連協発足当時からの課題であった「立て看板」掲出が実現した('82.9.26)
 三崎,蛸島,正院,若山,飯田地区に各一枚(大小5枚)を掲出。
 そのほか,1982年10月26日には『反原発だより13』を市内全戸配布したのをはじめ,『同12』('82.8.6),『同14』('83.2.5),『同15』('83.2.15)を作成し,寺家,高屋地区に配布した。
(4)「反原発北陸交流会」への参加('82.11.6〜7,金沢市)
 反連協から河岸二三会長,坂下初男事務局長の他5名が参加した。

1983年度の活動
 1983年6月9日,北陸電力会社と電源開発会社は珠洲石炭火力発電の立地は困難だとする調査結果報告を,珠洲市長と県知事に提出しました。
 反連協は第6回総会('83.7.29,代議員32名)で,以下のような活動計画を決定しました。

1 83年度の活動計画
 珠洲石炭火力発電所の立地不可能が決った珠洲市の電源開発対策は,今後原子力発電にしぼられることは,すでに明らかなところであり,年内もしくは年度内には議会決議になるとみられる。そこで当面は,市および市議会,市地域開発協議会が積極的に工作を進め,立地予定地区の高屋,寺家住民をはじめ,各漁協,区長会,青年婦人協議会等の各種団体に働きかけながら,原発建設の具体的推進をはかっていくことが考えられている。
 従って,われわれとしても今までの活動を基盤にした幅広い住民運動にするためさらに原発に対して調査研究を深め原子炉特有の危険性と,そして放射性物質による人体への被曝性,さらには自然の破壊をもたらす原発の建設は何としても許してはならず,子や孫の世代へこのきれいな自然を継いでいくためにも,より強力に闘っていかなければなりません。
 そのため具体的な活動として,この一年間は一般市民の理解と協力を深めて,反原発意識を市内はもとより隣接市町村にまでもいっぱいに広めることが重要な目標となってきますので,次の事項を重点において進めることといたします。
■具体的な実施事項
[その1] 地域座談会の開催によって学習を深める。
[その2] チラシ等の配布によって住民の反原発意識を高める。
[その3] 講演会等の開催によって,運動の広がりと知識の向上をはかる。
[その4] 隣接市町村の地区労及び住民組織との交流を図り,参加を呼びかける。
[その5] 反原発新聞などの購読を広め,学習の資料とする。

2 第6回総会の質疑
(1) 現在の予算(恒常的な収入予定が80,000円)では足りないのではないか。何らかの資金づくりの方策が必要ではないか。
(2) 新しい珠洲を考える会からの分担金が55年度以降未納となっていることに関して,分担金のあり方を再検討する必要があるのではないか。
(3) 反連協総会のための代議員数が多いのではないか。これまでも相当数が委任状に頼ってきている。(今後の検討課題となる。)

3 具体的な活動
(1) 「反原発全国集会 '83大会」(京都)参加('83.8.21)
(2) 衆議院議員選挙で粟森喬候補を支援('83.12.3告示,12.18投票)
 活動計画の重点であった地域座談会や学習会については,この選挙の闘いを通じ,粟森候補とともに各地区で開いたミニ座談会の中で原発問題を訴えました。
(3) 市長への申し入れ('84.3.1)と3月議会の傍聴('84.3.9)
 珠洲市長は議会と一体となり,12月16日の定例市議会で「市民の理解と認識が深まった。原発と積極的に取り組んでいく」ことを宣言しました。これにより,電力三社は珠洲原発の立地調査を急ぐことになり,1984年3月5日,珠洲市に対し現地入りを申し入れ,4月1日から北電珠洲営業所内に調査事務所を設置するに至りました。
 反連協は,こうして珠洲原発が再び動き出したことに対し,市長に抗議の申し入れを行うとともに,議会における原発受け入れ決議の動きに対して警戒を深め,街頭ビラ(『反原発だより 17』)を配り,一般市民の議会傍聴を訴える等,不十分ながら対応と取り組みを行ってきました。
 谷市長が原発推進に転身したことに関し,電力企業の調査受け入れに反対する市長申し入れと,当局の回答を求めた結果
・立地地区民や一般市民の合意のないものを,無理して推進する考えはない。
・議会が受け入れ決議をしても,地元の反対がある限り実現は困難だ。
・今後の勉強会,講演会等は,反対派講師を招くことにも努力したい。
との考えを明らかにしました。
(4)「ひとり芝居」公演('84.3.12,労働会館)[演題“百年語り”]
 青森県下北半島で反原発に活躍されている松橋勇蔵(愚安亭遊佐)さんによる『ひとり芝居』の開催を後援(主催:反原発市民の会・富山)したところ,高屋住民をはじめ多数の参加者があり好評裡に終ったことは,従来の講演会に代わる行事として,地味ではあるが効果があったと思われます。
(5)宣伝活動
 反原発に関する宣伝活動については,反連協会報の発行が行き届かなかったが,地区労活動家集団の皆さんによる積極的な自主活動によって,現地を重点にしたビラ配布を数回にわたり行われたことが評価されます。

  反連協のあゆみ