反連協のあゆみ 
3 再度「原発」推進へ
1984年度の活動
 1984年度の珠洲反連協の第7回総会は,5月21日に仮設の珠洲労働会館で開催(出席代議員は39名)され,活動方針を原案通り決定しました。

1 活動方針(総会議案書より)
はじめに
 水がきれいだ,新鮮な魚,景色がすばらしい,古い文化財が多い,素朴で土地の人がとても親切だ。海をいつまでも美しく,文化財と自然環境を破壊しないように,自然との調整をはかりながら,農漁業の振興と観光都市としての進展を求めることが,珠洲市にとって最も大切なことではないか……。
 これが,全国から能登を訪れる人々がいちように口にされることです。公害列島化しつつある我が国において,美しい能登は,われわれだけのふるさとにすることなく,国民的なオアシスにするため,恵まれた条件を生かす地域開発こそ,珠洲地方にも本当の発展をもたらすものとなりましょう。
 ところが,こうした考え方に逆行するかのように,過疎解消をうたい文句として,いま珠洲市内に一大規模の原発基地化を推し進めようとしています。そもそも原発は海に近い,人口密度の少ない過疎地を対象に立地されています。そのことはいうまでもなく,原発の安全性が保障されていないからであります。しかも原発立地の地域で,原発によって過疎が解決したという市,町,村は全国どこにもないといわれています。
 自治体の貧困財政,政治の日かげに放置されてきた過疎地域住民の公害への認識不足や,政治意識の低さ,これらの弱みにつけこんだ大企業電力の進出と,これに手をかす自民党(政府や県,市当局,各議会の保守議員たち)がこれら社会的条件をつくりあげているのであります。
情勢分析
 われわれ珠洲に住む労働者,農漁民が,今日まで珠洲原発の誘致に反対し,珠洲原発反対連絡協議会組織をつくって7年,この間市内における反原発運動の中心的役割を負ってきた。これからもその任務を果たさなければならない。
 今年3月珠洲市議会は,石炭火力断念のはずみを利用して,一気に原発推進を再燃し,谷市政の原発転換をはかるに至った。そのため電力3社は再度立地地域において住民の説得と,用地交渉の活動を開始したが,現地住民の多くは市行政に対する不信と,企業に不安,疑心というものを強めており,用地不売を訴える民家も少なくないのであります。こんな時こそ反連協の活動が問われるのではないでしょうか。
 原発推進の金看板であった「エネルギー危機論」「安全性神話」が次々と崩壊しているにもかかわらず,原発開発を強行する政府,自民党,電力資本に対し,政治的に対決し得る力量を形成することが極めて急務であることはいうまでもありません。
 われわれの運動に,そうした力量がどこからどのように形成されるかということが,今日的に問題になってきたと思われます。今までの反連協は地区労を中心にして協議・連携をはかってきたが,推進の動きが激化する今,自分たちの反対のあり方は,これに対応し得るためのものにしなければならない。そのための再点検が必要となってきたと考えます。
具体的な取り組み
 今年度の活動の重点は,立地地区民との対話交流を深め,地域生活に根づいた反原発,反政治性というものを追求する運動に発展させなければならないと考えます。
1.学習
 原子炉特有の危険性,放射性物質の自然・人体に及ぼす影響は当然であるが一般市民の今日的な疑問点(原発は過疎を解決するか,交付金はどのように使われるのか,市民にどんなメリットがあるか,地元雇用はどうなるか等)いうなれば行政側が宣伝しているバラ色ムードの矛盾を説明し得る調査研究と学習を広め,職場に地域に徹底する。
2.座談
 立地関係地区民が,何を不安とし,何を求めようとしているのか,このことを知り,語り合って共闘の発想を生み出すために,ミニ座談会の集りを多くもち,地元の要請に応え得る組織づくりに努める。
3.宣伝
 反原発先進地の情報収集につとめ,会報・ビラの発行,配布等により組織内の教宣と,一般市民世論の高まりのため情宣活動をより積極化する。
4.活動
 運動体としての組織結束をはかり,当局・企業の動きを監視し,議会傍聴など,必要に応じて集会や抗議の行動を起こす。

2 総会での質疑
 この第7回の反連協総会では,次の点などについて論議されました。
(1)「新しい珠洲を考える会」の扱いをどうするか。
 構成メンバーが殆ど地区労とダブルため,分担金の支出が困難となっていること,また,反原発の運動についてもその主体が反連協に移っていることなどから「新しい珠洲を考える会」の存続そのものが問われることになりました。これを受けて「考える会」は次回の総会までに結論を出すことにりました。
(2)具体的な取り組みとして
・ 議会の傍聴行動は,原発推進市政に対する抗議の意味でも有効である。
・ 現地では賛否両派の動きが表面化してきている。積極的に現地に入り座談会等で連携をはかることが大切である。

3 推進側の動き
 昭和59年4月1日に,電力三社が北電珠洲営業所内に珠洲電源開発協議会事務所を開設し,珠洲市当局も6月9日の定例議会に,電源立地促進を図るための地域調査費1,500万円を計上し,結束して原発推進にあたってきました。
 立地予定地の寺家・高屋での座談会や商工会議所会館などでの講演会,市区長会連合会などの原発視察などを行うと共に,寺家地区では,原子力発電対策委員会を開催させ,10月11日の総会で事前調査の実施を迫りました。投票の結果,ボーリング調査地点の地権者全員の同意があれば,対策委員会はこれを認めるということに決定したのですが,地権者全員の同意が得られず,ボーリング調査は未だになされていません。

4 反連協の具体的な活動
(1)6月議会の傍聴('84.6.12)
 地区労から20人ほどが市議会の一般質問を傍聴をしましたが,30分程で終了するというおそまつな議会でした。
(2)映画『海盗り』の上映活動と座談会
 座談会を兼ねて寺家の下出,上野地区,高屋の3ケ所で映画『海盗り』の上映をしました。上映時間が1時間45分と長く余り話せませんでしたが,「おら,首はねられても土地は売らん!」と,力強い声も聞かれました。しかし,組織内部の学習が少なく,現地にとけこんで互いに話し合うということも少なかったと思います。
・ 8月21日 寺家下出地区の出村好さん宅(25名程参加)
・ 8月22日 寺家上野地区の池上芳夫さん宅(25名程参加)
・10月14日 高屋の集会所(51名参加)
(3)市長,電力への申し入れ
 12月1日,中部電力が寺家地区の原発対策委員会に,立地可能性調査としてボーリングの申し入れをしたのに抗して,反連協は河岸会長ら9名で,10時に谷市長,砂山市議会議長に「電力企業の珠洲からの撤退,ボーリング調査の白紙撤回」などを求める4項目の申し入れをしましたが,すれ違いに終りました。
 続いて午前11時から,北電珠洲営業所内に事務所がある珠洲電源開発協議会へ行き,ボーリング調査の撤回と電力企業の珠洲からの撤退などを求める8項目の申し入れをしました。反連協が電力企業へ申し入れを行うのは,これが初めてでした。私達の申し入れ([資料8])に対し
・地元,行政とも正式な申し入れは,まだ行っていない。
・強行するなんてことは考えていない。
・ボーリング調査地点は私有地でもあり,公表したくない。
・建設予定地の青写真は,正式にできれば示す。
・北電内の電源開発事務所のほかには,金沢市尾山町に珠洲電源開発協議会連絡所がある。
・今日までに珠洲原発関連で使用した金額については,公表する筋合いでない。
・反対運動に対して介入するなんてことは,もうとう考えていない。
などと,通り一遍の回答しかありませんでした。この申し入れは,準備や打ち合わせが不足して,地区労組合員の参加が少なく,広範に意識を高揚させる取り組みにはなりませんでした。
(4)「ボーリング調査糾弾・能登原発反対闘争17周年県民集会」('84.12.8,8名)
   「第2回反原発北陸交流集会」('84.12.9,9名)
     (志賀町福祉会館,富来町サイクリングターミナル)
 これらの集会には反連協役員のほか高屋からも3名が参加してくれ,志賀の人々らをはじめ多くの仲間との交流を深めることができました。
(5)「原発学習会」の開催(珠洲地区労主催,'85.3.9,35名)
(6)情宣活動として
 3月を除き毎月1回,立地予定地にビラ配布を続けてきました。従来,地区労原発学習サークルが配布していたのですが,6月から12月迄は,地区労の各単組員の協力を得ることができ,運動の広がりが見られました。
(7)市長選挙について
・社会党珠洲支部は珠洲市長選に候補者擁立を見送る方針を確認('85.2.10)
・珠洲地区労拡大会議で,市長選の候補者擁立を見送ることに決定('85.2.14)

1985年度の活動
 珠洲反連協の第8回総会は1985年7月14日,珠洲労働会館で委任状を含めて47名の出席で開催されました。この年の4月には林新市長が無競争で誕生し,原発立地に向けての動きが加速される恐れから,総会では活発な論議がなされ,5時30分に始まった会議が終了したのは午後9時10分でした。また,反連協の設立準備の段階から中心的役割を担ってきた坂下初男事務局長が金沢へ転出されたこと,及び,これまた設立当初から反連協の構成団体の一つであった「新しい珠洲を考える会」が解散,反連協からの脱退に至らざるを得なくなったことが特筆すべきことがらでした。
 この総会で決定された「60年度活動方針」は次の通りでした。

1 活動方針(総会議案書より)
<情勢分析>
 '85年4月14日執行の珠洲市長選挙で15年ぶりに無投票で当選した林幹人前県議が,4月30日から5人目の市長に就任しました。氏は,保守激突寸前に,「保守同士が争うと珠洲原発の立地が遅れる」ということで,自民党県連幹部や知事副知事らの斡旋で推されて県議から転身したものでした。
 市民の中には,「市民の手で選ぶべき市長が,金沢で決まった」とか「原発が市長選出劇の道具に利用された」などと不満の声もあがっているのですが,反原発運動を担って来た反連協の母胎である社会党や地区労から候補者を擁立できなかったことは,返すがえすも残念でした。原発予定地の人達も「地区労から市長候補が出せないなんて!」と慨嘆しておられましたが,現地の人達に不信感を与えたことは否めません。私達組織労働者の反原発運動が,政治的に原発を阻止することができなかった事実に立って,今後,如何に運動を盛り上げていくのか,どうしたら現地の人達の不信感を払拭し,その不安や苦しみに寄り添っていけるのか,大きな課題であるといえます。
 林市長は原発推進に積極的で「余り時間をかけないで立地の結論を出したい。 早い時期に知事や電力三社のトップと,突っ込んだ話し合いを進めたい。」と言明しています。また,6月18日,中央公民館での“ふるさと講座”で,上田企画開発課長は『地域振興と原子力発電』と題して講演し,「寺家と高屋に120万kWの原発を2つずつ,4つ作ると500万kWくらいの規模になり,大変なな金が入る」と,市当局のねらいを漏らしました。
 ところで,6月7日に成立した『半島振興法』は,能登エネルギー基地化構想を一段と強化するもので,能登原発,珠洲原発をテコ入れする武器となるような感じがします。能登原発は59年3月から県による肩代わり海洋調査が行なわれ11月27日に北電の陸上ボーリング調査が始まり,今年の4月18日には海洋ボーリング調査が始まりました。県と北電は,結託して能登原発建設をめざし,総力を上げて取り組んでいます。能登原発建設のメドを早くつけ,珠洲原発の建設にも弾みをつけようと躍起になっています。しかし土地を守る人達の団結は固く,赤住の人達は「絶対に土地は売らない」と胸を張って闘っています。
 この赤住の人達の郷土を愛する心にも似た原発反対の気運が,珠洲の市民の中にも随所に見られます。4月1日に,珠洲青年会議所が浜岡原発視察の報告会を開いたそうですが,その中で,「原発は町の活性化にならない」と,林次期市長の前で発表したと言います。又,6月20日には「高屋郷土を愛する会」の代表が,13項目の質問書をつけた「原子力発電所誘致反対申入れ書」を市長に提出しています。
 私達は,こうした心ある市民や現地で勇敢に抵抗している人達と共闘して,市長選での不信感を取り払うよう,反連協の組織を一層強化して,反原発運動を推進,発展させなければならないと考えます。
<具体的な取り組み>
 今年度の活動の重点は,現地で反対する人達と対話交流を深め,地域に根づいた反原発運動を創造していくということです。
1.学習
 行政側は,「原発は金のなる木だ」「雇用が増える」「地域振興になる」とメリットばかりを宣伝しバラ色の夢をばらまいていますが,原発のデメリットや危険性等について,職場や地域でさらに学習を深めていく必要があります。各単組や地区労でも学習会を開いたり,反連協で講演会を行なったりして,私達自身の啓蒙と意識強化を図ります。
2.座談
 現地の人達が反対するおかげで珠洲原発が10年もの間進展しなかったのですが,現地の人達の不安や孤立感も大きいと思います。私達は,現地の人達の反対に守られて,今日まで原発のない珠洲市に住んでこられてことを深く感謝し,現地へ一市民,一個人として入って行き,座談の機会を多く持ちたいと思います。そして,現地の人達の期待に少しでも応えられるよう取り組みます。
3.宣伝
 反原発先進地の情報収集や反原発図書を利用して,会報,ビラの発行配布をし,組織内教宣と一般市民世論の高揚を図る情宣活動を活発に行ないます。
4.行動
 市当局や電力企業の動きを監視し,必要に応じて集会や抗議の行動を起こします。市議会の傍聴も継続して行ないます。又,『10・26』の反原子力の日や,『3・28』のスリーマイル島事故の日などの記念行事を計画して,取り組みます。

2 総会での質疑
 この総会では,「60年度予算」を原案通り決定したあと,「その他」として次の2点が提案され,いずれも提案通り議決されました。
(1)「新しい珠洲を考える会」の反連協からの脱退について
・「考える会」の会員の殆どが地区労組合員で,反連協の活動とは別にこれにプラスするような活動を「考える会」独自で行なうことは無理である。
・「考える会」の役員の大半が珠洲から転出してしまって,役員会も開けず,機能が停止している。
・会計の整理も困難で,反連協への分担金の納入ができない。
 以上のような理由で「考える会」自体を解散し,必然的に反連協から脱退せざるを得ないという提案があり,論議の末,承認されました。ただ,この会の解散によって一般市民の反連協への加入の道が閉ざされたことになり,今後は新たな団体の加入を目指していくことが確認されました。
(2)反連協の規約の一部改正について
 1978年3月の珠洲反連協発足当初の規約(第5条)では,「役員の任期は2ヶ年とする」となっていました。しかし,近年地区労役員が1年毎に入れ替わり,それに伴い地区労から派遣される反連協役員も毎年入れ替わるということになっており,この際規約を実態に即したものに改めることが提案され,結局「役員の任期は1ヶ年とする」と改正することが承認されました。

3 行政・推進側の動き
(1)林市長,電源立地推進を言明
 無投票当選で昭和60年(1985年)4月29日から市長となった林幹人氏は,「過疎脱却を目ざして電源立地を真剣に取り組む」と言明し,就任早々高屋,寺家地区へ話し合いに入りました。6月7日に半島振興法が制定されるやこれをテコに電源立地や企業誘致をしようと,公共用地などの取得,管理処分を行なう市土地開発公社を設立しました。
 また,市当局は昭和61年度から70年度までの10年間にわたる市の進路や将来構想などを網羅した「第三次珠洲市総合計画」の策定のために,アンケート調査やまちづくり懇談会などを行ない,多くの市民の要望する施策のトップは「企業誘致」だ,力を入れる施策の1位は「電源立地」だと我田引水のまとめをし,3月議会で議決しました。その中で,本市の位置づけと役割を,
  a 食糧供給地域
  b 保健保養地域
  c エネルギー供給基地
の3点にまとめていますが,一体,3つのことが鼎立すると本気で考えているのでしょうか。本当のねらいがcのエネルギー供給地域にあることは間違いありません。
(2)石川県が珠洲原電立地推進班を設置
 石川県は,珠洲原電立地推進班(5人)を昭和61年3月1日付で企画開発部内に設け,珠洲市当局が作った「電源立地対策プロジェクトチーム」(助役が会長となり,関係各課室長,課長補佐,係長らの21名で組織)とタイアップしていく計画を打ち出しました。
(3)市議会が「原発誘致決議」
 意を強くした市は,3月議会に,61年度の電源立地推進予算として3841万1000円(前年度は1780万1000円)もの大幅の倍増予算を計上するばかりでなく,6月議会には「原発誘致決議」を強行するという暴挙に出て来ました。

4 反連協の具体的な活動
(1)街頭宣伝活動・「富山の会」との交流など
・1985年8月17日(土),街宣車を作り,シーサイド横広場にて「反原発」の街頭宣伝を行ないました。その後午後5時に「反原発市民の会・富山」の一行と合流し,引き続き「富山の会」と共に宣伝活動とビラ配布を行ないました。
・8月18日(日),「富山の会」と一緒に飯田〜三崎〜狼煙〜高屋〜大谷と街宣,ビラ配布を行ないました。途中,三崎町寺家で住民との対話交流を行ないましたが,「ちょんがり節」が披露される程和やかなものになりました。夜は,7時半より塚本さん宅(円龍寺)で「高屋・郷土を愛する会」が主催(反連協の後援)する集会に参加。大阪大学講師:久米三四郎先生を迎えての講演会形式でしたが,高屋の人たちだけでも30名を超える盛大なものでした。寺家地区からも3名参加。久米氏は「珠洲を狙う原発の正体」という演題で,「珠洲にやって来るのは原発ではなく核燃料基地で,再処理工場のできる可能性が大である」ということでした。
 反連協からは4人が参加し,講演後,座談の場をもつことができました。
※「反原発市民の会・富山」(代表:埴野良子)について
 「能登半島に原発はいらない」をキャッチフレーズに,反原発のキャンペーンを展開している。8月17日〜18日に一行15名が能登へ入るにあたり,反連協と交流したいとのことで,17日午後7時半より労働会館2階の会議室で「富山の会」との交流会を持ちました。(富山15名,当方8名)
 交流会は富山の片倉さんの司会で始まり,富山の代表である埴野さんより,「私たちは,能登に原発を作らせないためにキャラバンを組んで来ました。能登の地で原発に反対している人々の声を,リレー抗議文に託して電力会社につきつけたい。私たち自身,富山の街に住む都会派でありますが,都会派の中から抵抗を示したい」と挨拶がありました。
 引き続き反連協の河岸会長より,珠洲原発誘致に至る経過と現状が報告され,富山の人が持参したスライド『能登エネルギー基地化』が上映されました。双方自己紹介という形で交流が進められ,互いに原発に対して思っていること,考えていることが話し合われました。
「能登の地で,原発に反対している人々の心にうたれました。能登には祭という古き良き伝統があります。もし原発が出来たならば,この祭や能登の地はどうなるのだろうかと,胸が痛みます」という女性。「過疎地の弱い者を権力をふりかざして押し潰す,権力のむごたらしさに大変な憤りを覚える」という若者。「能登は,塩手前制度の時代から下働きばかりさせられてきた。今また原発の下働きという汚い仕事をさせられようとしている」と憤慨する地元の青年。 「反対,反対といっておれば楽だが,何も産業のない珠洲の地で,これから先どう生きて行ったら良いかと問われたなら,答えられない」と苦悩する役員……各自,原発反対の意志を富山の会が計画した「リレー抗議文」に託して午後10時,交流会を終えました。この「リレー抗議文」は,後日北陸電力への抗議の際に届けられ,テレビでもニュースとして放映されました。

・1986年3月28日,スリーマイル島原発事故記念日にあたり街宣車を作り,市内で街頭宣伝とビラ配りを実施しました。
(2)講演会の開催
 反連協主催で1985年10月29日午後5時30分より,労働会館において川辺茂氏(前西海漁協長)を迎えて「原発と海」と題した講演会を開催しました。
「能登に居て,遠いようで近い処に原発問題を抱えている珠洲の皆さんと同じ悩みを持っています」と話し始められた講演に参加した約60名の聴衆は,皆,真剣な面持ちで氏の講演に聞き入りました。以下,講演の要旨は次の通りです。
 まず,原発は,何のため,誰のために必要なのか,大変不可解なしろものである。事故及び放射能(廃棄物)の面から考えたならば,安全性に大きな問題があり,安全が確立しない限り建設すべきではない。
 経済的にもコスト高になってきており,現にアメリカでは建設を中止して来ている会社もあり,日本も将来は建設しなくなるのではなかろうか。原発を建設するためには,発電量の約3倍エネルギー(石油換算)を消費しており,なおかつ運転管理のために多大なエネルギー(石油)を必要としている。まさに石油を食い潰しているのが原発である。エントロピーの法則(物理的系において変化する状態量)を考えて戴ければわかる。
 原発を建設すると,人間は金銭的にマヒしてしまい,「たかり」の人間性をつくる。原発で働く人は棄民化させられ差別を受け,いわゆる人間そのものが駄目になる。私は原発問題を勉強してから「反対」の立場を取ったが,そのため圧力を加えられ自殺さえ考えたが,神のお導きから,自殺する位の力があったなら真実の声を出し,原発に反対して闘おうと考え直した。それに海に生きる一漁師として,海は誰のものかと考えた場合,海は漁師だけのものではなく,子や孫のためにある。何故ならば,海から魚を取って食べているが,魚は消費者のためにあり,これからも大切な食糧資源である。私たちは今を生きているが,子や孫もこれから魚を食べて生きていかなければならない。
 原発を建てるのに金(補償金)を払うが,なぜ金を払うのか? 答えは簡単である。原発が危険であるからその危険料である。現に原発が建っている近海から人工放射能が検出されている。
 原発に反対すればお上にたてつくように思われるが,この問題については,お上を恐れる必要はない。私は子や孫のために原発を建てさせない方法は,印(ハンコ)さえ押さねば良いと思っている。土地や海を売らねば原発は建たない。
 原発建設の候補地は皆,過疎の問題が大きいが,私は一つの方法として現在,魚の産地直送を行なっている。宅急便で全国からの注文に応じているが,新鮮でうまいと大変な好評を得ている。

 最後に川辺氏は「私は原発に対しては,賛成・反対ということよりも,子や孫を守るために努力している。先祖の犯した罪は子孫が背負う。生れて来る子供に何の罪があろう。あるとすれば,罪を犯す私たちが受けなければならない」と結ばれ,万雷の拍手を浴びられた。
(3)「10・26反原子力の日」ビラ配布
 地区労組合員の協力で市内5000戸に配布しました。
(4)市長・電力等への申し入れ('86.6.10,12名参加)
 ソ連のチェルノブイリ原発事故が全世界を恐怖におとし入れたことをふまえ,市長・議長,珠洲電源開発協議会に,「原発建設を中止せよ」という申し入れを行いました。([資料9])
 市長は「万策つきたので原発しかない」という感じでしたし,議長は「原発だけでは珠洲は浮上できない。その後工場誘致をしないと…」ということでした。
 市当局は,昭和50年10月に原発構想を打ち出してから11年余りになるのですが,この間に,珠洲市の再生のために本当に万策を尽くしてみたのでしょうか。また,原発を誘致したところで,工場が来た所はないというのを知らないのでしょうか。無知無策ですますようでは政治家として余りにも無責任です。
 「原発講演会は,賛成・反対両サイドの講師を招いてやってほしい」と最後に要請したら,市長は「学者の中には,かたよった人もいる」と答えました。自分達が招く原発賛成の学者は,かたよっていないとでも思っているのでしょうか。
 もう,あきれてしまいました。
 午後3時から珠洲電源開発協議会の事務所へも行き,7項目の申し入れをして来ましたが,「珠洲市が,まちづくりに原発が必要だという以上,協力する。当協議会事務所の解散は考えていない」ということでした。ぬらりくらりと気持ちの悪い答弁でした。
(5)その他の活動
・今年度も毎月1回,立地予定地の高屋と寺家にビラ配布を実施しました。
・「会報」(『反原発だより』)は年3回(8月,11月,3月)発行しました。
・「座談」はビラ配布時に円龍寺やランプの宿に上がって話してくる程度でした。
・能登原発反対各種団体連絡会議に出席(志賀町,'86.2.15)
・「能登の自然を守る土地共有者の会」結成集会(志賀町赤住,'86.3.30)
・議会の傍聴行動('86.6.17,地区労組合員)
 1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故直後で,事故の全貌さえ明らでない時期にもかかわらず,同年6月14日,珠洲市議会は全会一致で原発の誘致決議を強行していました。

1986年度の活動
 反連協の第9回総会は 1986年7月18日,34名の代議員の出席で開催されました。前回の総会で「新しい珠洲を考える会」の解散と,それに伴う反連協からの脱退が承認されてからは,反連協の構成団体は珠洲地区労と社会党の2つだけとなり,代議員総数は地区労割当:35名,社会党割当:5名の総勢40名となりました。(「考える会」割当分15名の減少)

1 活動方針
 総会では,以下のような「61年度 活動方針」を決定しました。
<情勢分析>
 4月26日未明,炉心溶融という絶対に起こってはならない事故が,ソ連のチェルノブイリ原発で起こり,炉心から漏れでた死の灰が,北欧,東欧,西欧と拡がり,ついにはジェット気流に乗って8,000kmも離れた日本にまでやって来ました。5月3日に東京や千葉に降った雨水から放射性ヨウ素1131が検出されたのを最初に,1都1道1府28県と,全国的に汚染が見られました。チェルノブイリ原発から北へ300kmも離れた都市に滞在しただけの日本人旅行者から,帰国後大量の放射能が検出されたし,2000kmも離れたスエーデンでは,一時,毎時1ミリレムという平常の100倍もの放射能が記録されました。
 スリーマイル島原発事故後に出された日本の原子力安全委員会の決定では,「毎時1ミリレムから緊急時の準備体制に入る」とされているのですが,その対策範 囲は8〜10kmにしか及んでいません。今度の事故で,我が国の防災対策が全く役に立たないものであったことが立証されたと言えます。
 6月5日,ソ連当局は「放射能障害による死者は24人にのぼり,事故当日に即死した2人を含めると,死者は26人,入院中の者は1187人でこのうち重体は10人」と発表しました。又,米国の著名な物理学者2人は,「今後数十年間にわたって,ソ連と東欧で少なくとも1万人を超すガン患者が発生し,死者も場合によっては数千人にのぼるだろう」と発表しました。今度の原発事故による農産物被害や汚染除去費などを含めた経済的損失は,4500億〜7100億円にもなるだろうと,米国の民間機関が見積っています。
 私達は隣りの福井県に10基,日本全体に32基もの原発が運転していることを,ふだん忘れていたのですが,いつチェルノブイリと同じ目にあってもおかしくない原発列島の上に生活していたのでした。この事故によって,世界中が原発の停止・廃棄に向けて歩み出しました。私達もこの潮流に従って,反原発の運動を強化していかねばなりません。
 市当局は,こうした世界の潮流に逆行するかのように原発推進を叫び,高屋・寺家でのソ連事故説明会では,「ソ連の原子炉と日本の原子炉とは全く違う」 「日本の原発は,念には念を入れた安全対策をしている」とうそぶいています。
 それならスリーマイル島の原発も,放射能漏れを起こした敦賀原発も,ソ連型だったというのでしょうか。市当局は,史上最悪の惨事となったチェルノブイリ事故を正視しないで,市民をごまかし,原発誘致決議を行ない,しゃにむに原発を推進しようとしています。
 衆参同日選挙で自民党が圧勝し,今まで以上に強固に原発を進めてくるでしょうが,私達は,それにひるまず,団結して立ち向かわなければなりません。私達の周りには,度々市長に原発の質問や抗議文を提出している「高屋・郷土を愛する会」や,能登原発阻止を目ざして粘り強く闘っている赤住,富来の人達などの姿が見られます。こうした市内外の反原発,非原発の人達と連帯して,私達は,原発のない,明るく住みよい珠洲市の建設を目ざして,果敢に行動していきたいと思います。
<具体的な取り組み>
 今年度の活動の重点は,現地で反対する人達と対話交流を深めながら,原発のいらない豊かな社会の創造を目ざした反原発運動を創り出していくことです。
1.学 習
 職場やサークルで,各自が学習会を持つだけではなく,地区労や反連協でも学習会や講演会を行ない,私達自身の啓蒙と意識強化を図ります。また,各種反原発団体との交流会や集会にも,積極的に参加して学習を深めていきます。
2.座 談
 現地へビラ入れに出かけたとき座談したり,講演会や学習会,集会に現地の人を招いたりして,少しでも多く座談の機会を作り出します。
3.宣 伝
 反原発先進地の情報収集や,反原発図書,視聴覚資料などを利用して組織内教宣と一般市民世論の高揚を図ります。そのために会報を年4回ビラを年12回発行し,現地へ配布します。
4.行 動
 市当局や電力側の動きを監視し,情報を集め,必要に応じて集会や抗議行動を起こします。市議会の傍聴も年1回は行ないたいと思います。
 「10・26」の反原子力の日,「3・28」のスリーマイル島原発事故の日,「4・26」のチェルノブイリ原発事故の日などの記念行事も鋭意企画していきます。

2 行政・推進派の動き
(1)本腰を入れる体制に
 前年('86年)4月26日のソ連・チェルノブイリ事故によって世界中が「脱原発・反原発」に向かって動き出したにも拘らず,珠洲市は4月から「企画開発課」 を「地域振興課」に改め,そのバックアップとして「プロジェクトチーム」(30人ほど),「まちづくり研究会」(若い職員34人)を作り電源立地に本腰を入れれて取り組む体制を固めました。
(2)市議会が誘致決議
 6月10日,反連協が「ソ連のチエルノブイリ事故の悲惨さにかんがみ,原発立地を中止せよ」と市当局へ申し入れをしたのに,4日後の6月14日,市議会は原発誘致決議を行い,原発推進の姿勢を変えようとしていません。
(3)寺家の構想は「100万kW級2基」
 9月1日,「チェルノブイリ事故で原発の危険性がよくわかった」と珠洲原発の建設予定地に土地を所有する三崎町寺家の神田栄助さんら代表7人が市役所を訪れ,林市長・川岸市議会議長に「珠洲原発の建設反対と同計画の白紙撤回」を文書で申し入れました。申し入れ書には,原発予定地の移転対象者や土地所有者ら24人が連署しており,「原発建設のために先祖伝来の土地を手放し移転できない」「40戸を移転させるなど計画は無謀だ」と訴えました。
 こうした寺家地区の原発反対の動きに触発されたかのように,9月10日,県・市・地元・電力会社の四者が珠洲市役所に集り,珠洲原発の寺家地区立地を話し合う「電源立地懇談会」が開かれました。席上,電力側を代表して中部電力の多田尚夫副社長が「地元の同意を得られれば,昭和70年代の早い時期に運転開始を目指し,寺家地区に出力100万kW級の原発を2基建設したい」と,初めて具体的な立地時期と規模を明らかにしました。
(4)市長,ヨーロッパ視察
 秋には林市長が北陸原子力懇談会の一行とヨーロッパの原発を視察してくるなど大変な熱の入れようです。今年の3月議会に,市長は62年度も電源立地を推進するため,原子力発電所立地対策促進事業,電源立地地域温排水対策事業などの予算として3287万2000円を計上(前年度3841万1000円),可決されました。

3 反連協の具体的な活動
(1)能登原発をめぐる状況と反連協の連帯・支援行動
・能登原発第1次公開ヒアリング阻止闘争に参加('86.9. 3)
・シンポジウム「いま能登を考える」に参加(羽咋,'86.9.28)
・「今,能登原発の「安全性」を問う」住民大集会に参加(志賀,'87.6.27)
 能登原発は 1986年7月12日,北電が反対派を締め出して環境影響調査書(環境アセスメント)の説明会を強行し,9月3日には通産省が第一次公開ヒアリングをバリケードと空前の数の警察官の動員によって強行しました。そして12月18日には,電調審が能登原発1号炉を国の基本計画に組み入れることを決定しました。
1987年1月26日,北陸電力は,通産省に能登原発1号炉の原子炉設置許可申請を出しました。
 しかし,電調審上程を目指した推進側の動きの中に3つの問題がありました。第1に,環境影響調査を石川県当局が北電に肩代わりして違法に実施したこと。第2に,共有地など買収不能の土地を避け,大幅にデコボコに敷地を縮小したこと。第3に,漁業権が放棄されたとする漁協の決議は手続きに誤りがあり無効であること。他の関係漁協でも漁業権を放棄していないこと。
 これらの問題点を,珠洲原発の今後の動きの中で,私達も充分気をつけなければなりません。
(2)市内の反原発を願う団体や市民との連携
@ 1986年10月7日,反戦・反原発の願いをもつ宗教団体や市民と連帯して音楽詩劇『夏の約束』を上演しました。この実行委員を中心に「珠洲文化会議」が結成され,1987年4月4日には珠洲農協会館で文化講演会が開催されました(演題:「原子力の未来」,講師:原子力資料情報室代表の高木仁三郎氏)。
A 3月2日には,愚安亭遊佐の一人芝居『こころに海をもつ男』の上演を反連協が主体となって取り組むことができました。(珠洲労働会館,130名)
(3)「10・26反原子力の日」の行動
 原発の学習討論集会の開催('86.10.21,地区労と共催。100名以上の参加)
 最初に県評の前後和雄氏からチェルノブイリ事故後の原発をめぐる国内外の状況を話してもらった後,「高屋・郷土を愛する会」の竹中庄一氏から高屋の動きを報告してもらい,反連協の河岸二三会長が珠洲原発をめぐる問題提起を行いました。参加者からも意見を出してもらいましたが,チェルノブイリ事故後も珠洲市当局が原発を推進していることに対する不安や不満・憤りが満ちていました。
・「反原子力の日」にあたり市内5000枚ビラ配布(地区労組合員)
(4)その他の情宣活動など
・地区労学習サークルによる原発問題公開座談会への参加('87.1.28,'89.2.10)
・「3・28スリーマイル島原発事故記念」行動('87.3.29)
 市内の街宣行動,沿道の家々に200枚程のビラ配布
・市議会議員選挙について('87.4.26)
 地区労推薦で「反原発」を掲げる国定正重候補を全面支援しました。多くの良識ある市民の支持を得て,見事上位当選が実現し,これによって市議会の4年間続いたオール与党体制にくさびを打つことができました。投票日の4月26日はチェルノブイリ原発事故1周年の日でもあり,珠洲の良心を内外に示すことになりました。
・毎月1回のビラ配布(寺家,高屋の両地区)
 着々と進む原発推進の動きに対して,この一年も反連協は毎月欠かすことなく現地の寺家・高屋にビラ入れを続けてきました。
・市議会の傍聴(3月議会:'87.3.5,6月議会:'87.6.17 国定市議の質問)

  反連協のあゆみ