反連協のあゆみ 
8 調査再開阻止に向けて
1997年度の活動
 1997年度の反連協の第20回総会は,6月23日に珠洲労働会館で北野県議,落合市議,高屋の塚本真如氏,寺家の出村正廣氏を来賓に迎えて開催されました(出席代議員:30名)。
 この総会では規約の一部を改正し,従来からの役員に加え,新たに「顧問をおくことができる」とし,事務局体制の強化を図ることになりました。

1 97年度の経過

(1)問題の多いプルサーマル計画(省略)
(2)廃炉の時代開始(省略)

2 能登原発をめぐる情勢

(1)名古屋高裁金沢支部での控訴審
① 1994年8月31日,能登原発差し止め訴訟原告団は,名古屋高裁金沢支部に,札幌から水俣まで半径780kmに及ぶ18都道府県199名の原告で控訴しました。控訴審は弁論が1995年4月28日に始まり,1997年4月23日の公判まで12回を数えました。
② 控訴審第13回口頭弁論は,1997年7月14日,名古屋高裁金沢支部(窪田季夫裁判長)で開かれ,原告側証人の槌田敦・名城大学商学部教授(64)=熱物理学・環境経済論=の主尋問がありました。
 槌田教授は,原発の修理費,管理点検費など運転維持のための費用がふくらみ,原発の発電コストは開発当初に見込んだ金額の5倍以上になっているとするデータを提示しました。
 また,「もんじゅ」事故の原因が「設計ミスで,事故は想定外だった」とされたことから,「(一審判決が安全性の根拠とした)通産省の安全審査は,想定した事故のみを対象にしたもの。安全神話は崩れた」として,安全性に疑問を唱えました。
 さらに槌田教授は,「石油に代わるエネルギー資源には,コストや埋蔵量からみても天然ガスがふさわしい」と主張しました。
③ 控訴審第14回口頭弁論は,9月8日に行われ,北電側が槌田敦証人に反対尋問をしました。北電は圧力抑制室の「圧力の単位に間違いがある」と反論しましたが,槌田氏は「単位がどうあれ,志賀1号機の圧力抑制室が通常のマークⅠ改良型より更に脆いのは明白な事実」と切り返しました。
 引き続き,原告で,名城大講師,山本定明氏(60)が証人に立ち,尋問が行われました。山本氏は,放射線について「低レベルでも継続的に浴びることによって,突出した被害が出てきている」として,1991年以降チェルノブイリ周辺地域の子どもにがんが増えていることや,米国では核実験を始めた上,2基の原発が運転を開始してからコネティカット州で乳がんが増加した,という資料などを示しました。
④ 控訴審第15回口頭弁論は10月6日に行われ,山本定明氏が,前回に引き続き「低レベル放射線被曝による危険性」を証言しました。「ごく小さな放射線量でも継続的に被曝すると,白血病の死亡率が上がり,染色体異常も多発している」と指摘し,規制強化の必要性を強調しました。そして,「被曝線量を低くする技術が困難なら,(原発を)使わないほうがいい」と述べました。
⑤ 控訴審第16回口頭弁論は,11月5日にあり,筆頭原告の元西海漁協組合長の川辺茂さん(73)が本人尋問に立ちました。川辺さんは,原発の安全性について「人間のやることに絶対はない。だから,車も航空機も事故が起きるが,影響は一過性のもの。原発の重大事故が起きれば大惨事になり,放射能は子孫にまで影響を与える。判決翌朝('94.8.26)の再循環ポンプ事故は,正に“天からの警告”だった。日立のデータ改ざんなどは,“天を恐れぬ”犯罪行為である。子孫の命を守るため一日も早く原発から撤退してほしい」と訴えました。
 控訴審は,これで実質審理を終えました。
⑥ 12月8日の控訴審第17回口頭弁論までに,原告・被告双方が追加書証を提出することになり,原告側は,日立の溶接データ改ざん問題などの書証を提出しました。
⑦ 1998年3月11日,控訴審第18回口頭弁論があり,原告側,被告側双方が最終準備書面を陳述し,3年7カ月ぶりに結審しました。判決は,9月9日に言い渡されます。
 弁論では,弁護士7人と多名賀哲也さん(54)が,353ページにわたる準備書面の要旨を陳述しました。その中で,「①動燃をはじめ各地に続発する重大事故で,一審判決の偏重する「安全審査」が全く不十分であることが判明した。②阪神大震災で,原発の耐震性が到底信用できないことは明白である。③判決翌朝の出力発振の危険さえあった再循環ポンプ停止事故など,わずか4年半で3度の停止事故が起き,北電に品質管理能力の全くないことが露呈した」と強調し,高裁の勇気ある決断を求めました。
 閉廷後,原告ら約50人は,報告集会を開き,志賀原発1号機の運転差し止めなどを誓い,アピールを採択しました。

(2)核燃料の搬出・搬入
① 1997年7月15日,北電は,能登(志賀)原発1号機の使用済み核燃料92体,16トンをパシフィック・ピンテール号で英仏へ搬出しました。1996年7月9日,パシフィック・テール号(英船籍)による初搬出(64体,11トン)に続き,2度目でした。
 これに対し,県連帯労組会議,原告団,原水禁北信越ブロックなど,300名が反対監視行動を展開しました。参加者は,団結小屋前で集会をした後,輸送トレーラーが出てくる海側ゲートまでデモ行進をし,正門前で山田社長宛の申し入れ書を提出ました。そして,300m沖に荷揚げ場を望む海岸で作業への抗議行動を行いました。他国や他の地域に核のゴミを押しつけてはなりません。
② 1997年10月14日早朝,北電は,98年1月からの定検時に交換する新燃料80体を,日立物流のトラック7台で搬入しました。新核燃料搬入は,今回で6回目で,科学技術庁が8月に出した情報公開の通達後初めての輸送でしたが,日時やルートは未公開のまま強行されました。
 県連帯労組会議など約200名は,原発東側ゲート前で抗議デモをして輸送隊を待ち受け,トラックが通過するたびにシュプレヒコールを繰り返しました。また。北陸自動車道南条SAからの監視・追跡行動も従来通り行われました。
③ 1998年6月2日,志賀原発1号機に,3回目の使用済み核燃料搬出のための輸送容器6基が運び込まれました。7月から9月に,使用済み核燃料84体を輸送容器に入れ(1基当たり14体が入る),専用輸送船「パシフィック・サンドパイパー号」で英国の原子燃料会社セラフィールド再処理工場に運ぶためです。
 使用済み核燃料の海外搬出は今回が最後で,青森県六ヶ所村に作られる予定の再処理施設が稼働するまでは,志賀原発の敷地内で保管する方針です。

(3)溶接データーの改竄問題
 1997年9月5日,日立製作所の社長宛に,同社が請け負った沸騰水型軽水炉のタービン近辺の溶接焼鈍工事でデータ捏造があると,内部告発がありました。調査の結果,「伸光」という会社が孫受けした全国18原発で,配管溶接後の熱処理記録を,虚偽のものに改ざんしていたと,9月16日,通産省が発表しました。改ざんは15年前から始まり,改ざん箇所の数も,9月18日に178箇所とされていたのが,26日には248箇所に増えています。
 この問題に対し,県連帯労組会議と社民党県連などは,9月22日,北電石川支店と谷本正憲知事を訪れ,申し入れ書を手渡しました。北電には志賀1号機をできるだけ早く運転停止して総点検することを,谷本知事には県の立ち入り検査を要望しました。
 志賀原発1号機では,タービンと原子炉をつなぐ配管の溶接部分2カ所のデータに改ざんされた疑いがあることがわかりました。北電は,「当面運転を停止せず,98年1月の定期検査で問題の部分を点検する」と答えました。谷本知事は,「北電に安全確保の最終責任がある。世界に冠たるメーカーの日立もお粗末だ」と述べ,関係14道県とともに国に徹底調査と指導を求める考えを示しました。

(4)羽咋市,ヨウ素剤分散配置
 1997年12月8日,本吉達也羽咋市長は,市役所で記者会見を開き,12月末から,北陸電力志賀1号機の放射能漏れ事故に備えた被曝防護剤「ヨウ素剤」の小中学校などへの分散配置と,それに伴い市独自で策定した「原子力発電所事故対策マニュアル」の運用を始めることを,明らかにしました。分散配置は,県内では初めてです。
 ヨウ素剤は,放射性核生成物が呼吸や飲食などにより人体に摂取され,甲状腺がんを引き起こすことを防ぐ効果があります。羽咋市では,1992年から独自の対応で公立羽咋病院にヨウ素剤17万7000錠を配備してきました。
 しかし,万一の場合,より速やかにヨウ素剤を服用してもらおうとの判断から,市内の8小学校,2中学校に加え,公立と私立の14保育所,2保育園,2幼稚園に,合わせて1万6000錠(4000人が2日間に服用する分)を学校医などの管理のもとに分散して配置することにしたものです。

(5)志賀原発3度目の停止事故
 1998年1月10日午前8時17分ごろ,志賀1号機で,タービンを回した後の蒸気を冷却して水にする「復水器」の出口水質導電率(水に不純物が混入した度合いを示す数値)の異常な上昇が確認され,午前9時47分,原子炉を手動停止しました。93年7月の営業運転開始以来4年半で,3度目の停止事故でした。
 事故の原因は,復水器の上部にある給水加熱器の防熱板が「設計図の転写ミスとそれを放置したままの手抜き溶接」によるもので,今回の事故は,資源エネルギー庁すら「前代未聞」と言い,板金屋さんも「施工者本人がサイズ違いに気づかぬはずがない」というお粗末極まる事故でした。
 また,この事故で北電と行政との「癒着=事故隠し」が,より強まりました。特に,1月12日の立ち入り調査で,県環境部は,北電が示した金属片一つだけを見て帰り,現状確認と現場保全を全く行いませんでした。
 このため1月26日まで,2週間,事故の惨状を隠されてしまったのです。破損した防熱板と17カ所の劣化が発表された防熱板も,当事者の日立が持ち去りました。県は立ち入りの都度,これらに終始協力的でした。さらに,県が関係市町村に第一報したのは,北電の通報から1時間40分も後でした。

3 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県の動き
① 県議会9月定例会
 1997年9月30日,予算特別委員会で,上田幸雄氏が,エネルギー問題や珠洲原発に触れ「昨年の珠洲市長選で珠洲原発推進の住民合意が得られたのではないか」と質しましたが,谷本知事は「住民合意の物差しには市議選,県議選もある。さらに住民合意の形成を見守りたい」と,上田氏を軽く一蹴しました。
② 県議会12月定例会
 北野進県議は珠洲市の「地域振興市民フォーラム」に原発予算が投入されていた問題について質問しました。「この補助金の交付要綱は,発電所の設置の必要性に関する知識の普及のための事業分に交付されることになっており。このフォーラムは原発推進のための事業として企画されていたと考えて良いか」と県の見解を聞きました。
 これに対し,岡本脩一企画開発部長は「要綱上は指摘のとおりだが,運用として地域振興に資する調査あるいはフォーラム等の事業も補助対象となっている」と答えました。
③ 自民党県連の動き
 1998年4月6日,自民党石川県連は,貝療治市長や自民党市議会派「清和会」,珠洲電源立地推進協議会らの陳情団の要請で,金沢市内で政調会を開き,珠洲原発の立地可能性調査再開に向け,5月に珠洲市で大規模な懇談会を開き,地元の意見を聴取する方針を打ち出しました。
 稲村自民党県連政調会長は,「わが党は推進の立場」と陳情団を歓迎しました。貝藏市長は「立地予定地の高屋80%,寺家で75%の地権者が合意している」と報告し「珠洲市発展のためどうしても大切。立地調査をさせてほしい」と言いました。これに対し,北村茂男自民党県連幹事長は「トップに立つ谷本知事の判断一つにかかっている」と応えました。地元選出の上田県議は「腹をくくり何があろうと,この大目標だけは実現させなければならない」と強調しました。
 結局,自民党県連の珠洲入りは,7月12日投票の参議院選後に延期になりました。
④ 県議会6月定例会
 6月3日,本会議で,長憲二氏(自民)は,「疎洲原発立地に対して,地域住民の合意形成にどう取り組むのか」と質問しました。谷本知事は,「市側が近く3回目の対語集会に入り,合意形成へ努力すると聞いている。一つの方向性が示されることに期待し,それを見極めたうえで相談があれば,積極的に協力したい」と答弁しました。本会議休憩中,谷本知事は「合意形成に向けた協力はしていく,ということ」と述べ,立地の是非には触れませんでした。
 北野進県議は,「知事の言う<一つの方向性>というのはどういう意味か」と原発立地の姿勢を質したのに対し,「一つの方向性」とは,「原発をやめるということも含めての一つの方向性」であり,「住民合意を尊重する」という従来の考えに変わりがないことを明らかにしました

(2)珠洲市の動き
① 市議会9月定例会
 1997年9月18日に行われた一般質問では,8氏が質問に立ちました。
 貝藏治市長は,提案理由の説明の中で,市内24ヵ所で行った第2回の「市長と語る会」の終了に伴い,今秋に予定していた「地域振興市民フォーラム」について,11月16日の午後,珠洲健民体育館で開催することを明らかにしました。内容については「珠洲の将来像をどう考え,どう形づくるか」をテーマに,基調講演や「市長と語る会」の対話活動報告,パネルディスカッションなどの構成で開催することとし,市民の声を市政に反映し,これからのまちづくりの指針としていきたいと,述べました。
 柳田達雄市議は,「市長と語る会」と「市民フォーラム」について「『市長と語る会』や『市民フォーラム』については,一部の人々からは,<原発推進につながる>との期待が寄せられている。市長は6月議会以降『純粋に地域振興を』というが,『市長と語る会』では,「電力から要請があったら,寺家や高屋の調査は是非認めてほしい」と力説していた。また,会場で配布されたパンフの中身は,135万kWの原発2基の立地による財源を前提にした地域振興計画の要約であった。しかもその元は,財団法人『電源地域振興センター』が今年3月に作成した『珠洲市地域振興計画策定調査報告書』であるらしい。議会軽視ではないか」と質しました。これに対し,貝藏市長は「『市長と語る会』は<対話と思いやり>の市政を推進し,活気ある未来につなぐまちづくりに賛するために開催したものである。市民の皆さんからの意見・アイディア・要望など,その詳細については『地域振興市民フォーラム』で報告したい」「『地域振興市民フォーラム』は,あくまで純粋に地域振興をみんなで話し合い,議論するために実施したい」と答えました。
② 市議会12月定例会
 市議会12月16日の一般質問では,7氏が質問に立ちました。
 11月に開催された「地域振興市民フォーラム」の成果について,貝藏市長は「多くの市民が長時間にわたり熱心に真剣に珠洲市の将来を討議してくれた」と評価した上で,厳しい財政状況の中で市民の要望や提言を事業化する財源について「電源立地が有効な選択肢の一つ」と述べました。
 これに対し反対派の落合誓子市議が「このままでは市民の亀裂を深めるだけ。今後一緒にフォーラムを開催する考えがあるのか」と追及すると,貝藏市長は「何ら強制をしたものではなく,一緒に開催したつもり」と述べました。また,柳田達雄市議は原発問題にテーマを絞ったフォーラム開催を求めたましが,貝藏市長は「場合によっては必要と思う」と述べるにとどまりました。
③ 市議会6月定例会
 市議会1998年6月の定例会は,10日,議員提案の「インド・パキスタンの核実験に強く抗議し,核兵器の全面禁止,廃絶を求める「核実験の禁止を求める決議」を全会一致で可決,採択しました。
 また,県議会で谷本正憲知事が,珠洲原発立地の地元合意形成について「一つの方向性が示されることに期待する」と答弁したことについて,瀬戸氏(自民党)が「前向きな発言」として市側の受け止め方を質問したのを受け,貝藏市長は「これまで2回行った市民との対話集会が知事に高い評価をいただいている」と述べ,今後予定する3回目の対話集会に意欲を示しました。
 しかし,これに対し,柳田達雄市議は「谷本知事が県議会で期待した方向性には,立地,中止,現状維持の3通りの選択肢が挙げられていた点は評価できる」と述べ,「住民合意を尊重する谷本知事の姿勢は変わらていない」と説明しました。
④ 「地域振興市民フォーラム」
 1997年9月議会の初日,貝藏市長は「市民フォーラム」を11月16日(日)も午後,健民体育館で開催すると発表しました。
 貝藏市長が就任以来行っている「市長と語る会」に対して,珠洲原発反対ネットワークは,「これは対話ではなく<市長が語る会>になっており,事前調査の舞台づくりに利用する意図は明らかだ」として,1997年7月28日,不参加を表明するチラシを折り込みました。
 11月16日(日)13時~17時30分,「地域振興市民フォーラム」か珠洲健民体育館で開かれました。主催は「地域振興市民フォーラム実行委員会」(珠洲市当局)で,事務局は「珠洲市企画調整課」,目的は「珠洲市が抱える過疎化,高齢化という厳しい現況を踏まえて,本市の将来像をどう形作っていくかを,市民一人ひとりが主役となって意見を述べあい,方向性を見つけ出していくためにフォーラムを開催する」というものでした。予算は890万円もの高額で,国の原発関連補助金(税金)を使っていました。
 また,「直接原発建設に資するものではない」という触れ込みで,区長を通じて,半強制的に人集めをすることに主眼を置き,2300人集めたといいます。公募で5人選んだ意見発表者で,原発推進を言ったのは2人だけ(その内の1人は元電力会社員)でした。それでも,原発にこだわらず,地域振興について真面目に真剣に論議され,生活の場からのアイデアがたくさん出されました。こうしたフォーラムの流れに反して,貝藏市長は,閉会の挨拶で「原発の事前調査」を促すような唐突な発言をしました。

(3)電力会社の動き
① 怪文書
 相変わらず,原発に反対している市民宅に,呉・高輪・三原などの消印のある差出人不明の手紙や葉書が届けられました。文面を読むと,珠洲の電力会社の関係者が調査し,知り得たとしか思えないものです。勤務の一環として,せっせと宛て名書きをし,県外から投函しているのでしょう。私たちの収める電気料金を使い,名前を名乗らないで,市民を誹謗中傷するというのは,卑劣極まります。
② 家庭訪問
 関西電力も中部電力も,原発予定地の高屋や寺家・三崎などの各家庭を,相変わらず,定期的に訪問し,顔つなぎをしています。小学一年生の入学祝い金を届けに行ったり,年寄りの誕生日にプレゼントを届けたりしています。現地を回ることによって,人間関係をつかみ,人の弱みに付け込んで原発推進に変えよう,土地を買い占めようと,手土産をもって行くのでしょうが,人心を荒廃させ,町を分裂させる元です。
③ 定置網
 2年ほど前から,寺家漁協に,中部電力が支援する定置網が降ろされています。魚の水揚げが減っているというのに,寺家漁協から,さらに2つの定置網の申請が出されました。北部漁協からも,定置網1つの申請がありました。多額の定置網です。どちらも,中電,関電が後押しをしていたのだと思います。が,小泊定置や蛸島漁協などが反対し,結局どちらも実現しませんでした。
④ 珠洲電源開発協議会
 相変わらず,テレビ・ラジオにコマーシャルを流し,原発推進の宣伝に努めています。放射性廃棄物の始末もできない,糞づまりの原発に未来はありません。

4 反原発運動の状況

(1) 石川県知事選挙の取り組み
① 自民党も谷本推薦
 今回の選挙に,自民党は,現職知事の谷本正憲氏を推薦しました。その結果,珠洲原発に慎重姿勢の谷本知事を珠洲の原発推進派の人達が推すというおかしな選挙となりました。この背景には,自民党が独自候補を立てられなかったということと,県政与党のうまみにありつきたいことに加え,珠洲原発問題で2期日の谷本知事に揺さぶりをかけ,立地推進への動きを作り出したいという思惑が見え隠れしていました。
 珠洲市民会議の議員が自民党議員に,谷本知事の意向をふまえて後援会を合同で結成しようと持ちかけたのですが,貝藏市長の連合後援会が母体となり,独自に谷本知事の後援会を作ってしまいました。その結果,珠洲市では,前回から谷本知事を推してきた,知事与党の珠洲原発反対ネットワークなどがつくる「珠洲市民後援会」と,自民党などがつくる「珠洲市後援会」が分立する形となりました。
② 選挙戦
 今回の知事選は,1998年2月27日告示,3月15日投票という日程で行われました。
 谷本知事与党の反原発市民は,今回の知事選においても,「珠洲における原子力発電所の立地については,すべて,民主的手続きと,最大限住民の合意を尊重し,慎重に対応する」(谷本氏と連合石川との政策協定)ことを公約にした谷本候補を支援し,選挙戦を戦いました。
 珠洲原発反対ネットワークの会合での話し合いの結果,事務所を設けることになり,1998年2月14日,飯田町の店舗跡に「谷本まさのり珠洲市民後援会」の事務所開きを行いました。そして3月14日まで開設し,役員会を開いたり,選挙ポスター貼りや,総決起集会・蛸島漁協前集会への動員などを各町の市民に要請しました。連帯して戦った連合石川珠洲鳳至北地協選対会議では,支持者拡大・総決起集会への10割動員などの取り組みを行いました。
③ 谷本知事の圧勝
 結果は谷本候補の圧勝でした。開票結果は,谷本正憲候補が,328,426票,清水候補81,737票,27万票の大差でした。しかし,投票率は,49.51%で戦後2番目に低い記録となりました。全県で21.39%,珠洲市でも11.09%,前回より下回りました。
 当選後,谷本知事は『北國新聞』の記者の質問に答えて,珠洲原発について「自分からは言いにくいが住民投票も一つの方法かも知れない。珠洲の地元住民の中にも,不毛な対立をこれ以上続けるより,どちらかに決着をつけたいという気持ちがあるのではないか」と述べました。

5 反連協の取り組みと経過

(1)石川県知事選挙
 谷本正憲候補が,2期日を日持すに当たって掲げた「珠洲における原子力発電所の立地については,すべて,民主的手続きと,最大限住民の合意を尊重し,慎重に対応する」という公約は,前回の公約と同様,反連協の目的に近いもので,支援するのは当然のことでした。
 1997年8月2日(土),「谷本まさのり珠洲市民後援会」設立絵会がありました。総会では201名の役員が選出されましたが,その中に,反連協役員が8名入りました。河岸二三・浜塚寿男(顧問),長出広光(副幹事長),柳谷守人(広報部幹事),樫田凖一郎・北野進・国定正重(常任相談役),柳田達雄(事務局長)の8名です。
 中でも,反連協の柳田達雄会長が事務局長となって事務所に常駐し,役員会の準備や動員・遊説・街宣・情宣などの選挙事務や会計など,一切の仕事に当たりました。労組選対や自民党の「珠洲市後援会」とも連絡を取るなど,激務をこなしました。
 反連協役員は,労組と市民が一丸となった今回の知事選に,前回同様結集し,支持拡大や集会参加などに協力しました。

(2)輪島市長選挙
 1998年3月22日告示,3月29日投票の輪島市長選挙において,民主・社民推薦で無所属新人の梶文秋保補(49)が,現職で自民・公明の推薦を受け四選を目指した無所属の五嶋耕太郎候補(60)を破り,初当選しました。
 梶文秋氏は過去5回連続,24年間無投票が続いた市長選に「無投票は許せない」と立ったのでした。五嶋氏は「3期12年の実績」を誇り,2名の県議と19名の市議のほか,市内120余りの団体の推薦を受け,保守地盤に立脚した現職でした。「梶が市長になったら年金がもらえなくなる」とか「税金が高くなる」「国や県とのパイプが切れる」といったデマや中傷を流し,区長会を動員して末端まで牛耳ろうとした選挙でした。
 梶氏は,輪島市職労の委員長を長年務め,市議二期途中で市長選に立候補しましたが,「市政の流れを変え,市民に市政を取り戻す」「市民の声を聞き,開かれた市政に努める」という訴えが実ったのです。
 開票結果は,梶文秋候補が10,256票,五嶋耕太郎が8,945票でした。
 梶氏は,89年5月の高屋での事前調査阻止行動や,10.26「反原子力の日」の集会・デモなどにも参加しています。反連協は,梶候補に檄ビラを送り,出陣式に参加するなどの支援をしました。
 
隣接自治体の輪島市の大きな変革のうねりは珠洲原発の行方にも大きな影響を与えるとともに,旧態依然とした奥能登の政治土壌に大きな一石を投じました。

(3)第2回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
 昨年の秋祭りの反省をもとに行った第2回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」は,今年の年明けの重油災害を潜まえ,「重油ボランティアありがとう」の思いを込め,奥能登全域に呼びかけて盛大に開催しました。
 今年は,11月に市当局が「地域振興市民フォーラム」を行うことから,それに対抗し,原発に頼らず地域振興を考えるため,第1部「フォーラム『地域振興を考える』」を設定し,10月18日(土)午後に全体会,19日(日)午前に分科会を行いました。また,第2部「豊かな自然と共に生き,楽しむ」では,10月25日(土)~26日(日)の両日,昨年と同様,フリーマーケットや催し物,ものまねコンサートなどを行いました。
① 第1部 フォーラム「地域振興を考える」
■1日目 基調講演「ふるさとの創生-常識からの逆襲」(講師:高橋治)
 1997年10月18日(土)午後2時~5時半,飯田小体育館において,作家高橋治氏を講師に迎え「ふるさとの創生-常識からの逆襲」と題して基調講演を行いました。参加者は300名。
 高橋氏は「地域振興」の真の意味を問い,「建物ができて,人と人が別れていくのは地域振興ではない」「人と人が結び付いて行くことが地域振興である」と話されました。
 このあと,明日の分科会紹介がありました。夜は,鉢ヶ崎ケビンをかり,明日の分科会のコメンティターと市民との交流会を開き40名余りが参加しました。
■2日日 分科会,全体会 
 10月19日(日),鉢ヶ崎ケビン・蛸島漁協にて,5つのテーマで分科会を開きました。それぞれのテーマと担当は次の通りです。
◇第1分科会 原発は地域振興の決め手になるか[鉢ヶ崎ケビン]
  ・司会者:O氏(K小教諭)
  ・コメンティター:清水修二(福島大学経済学部教授)
            松下照幸(福井県美浜町,会社員)
◇第2分科会 自然との共生こそ新しい地域振興[鉢ヶ崎ケビン]
  ・司会者:H氏(H中教諭)
  ・コメンティター:市原あかね(金沢大学経済学部助教授)
            池ノ上 章(珠洲市在住)
            EYM SWABY[キム・スウェイビィ]
                  (8月迄珠洲市に在住,英語活動指導員)
◇第3分科会 原発を拒否した町の今とこれから[鉢ヶ崎ケビン]
  ・司会者:K氏(O中教諭)
  ・コメンティター:中村正紀(新潟県巻町,高校教諭)
            橋本剛巧(三重県南島町議)
◇第4分科会 提言 珠洲の地域振興具体策[鉢ヶ崎ケビン]
  ・司会者:砂山信一(大谷中教諭)
  ・コメンティター:早川芳子(「石川のたまご」主宰,会議通訳者)
            山岡義明(珠洲市在住,青年会議所前理事長)
            落合誓子(珠洲市議,ルポライター)
◇第5分科会 豊かな海を生かしきる手立て[蛸島漁協会議室]
  ・司会者:藪 一夫(珠洲実業高校教諭)
  ・コメンティター:川辺 茂(富来町在住,西海漁協元組合長)
            新谷栄作(珠洲市議,漁業)
●全体会[13:30~15:00,蛸島漁協3階ホール,100名]
  ・司会者:橋本 弘明(理髪店主)
  ・内 容:分科会報告(分科会司会者),質疑応答,集会宣言採択
 珠洲市主催のフォーラムは890万円もの高い税金を使って行ったのに対し,市民主催のフォーラムは115万円のカンパで行われました。また,市主催のフォーラムは人数集めに主眼を置き,事前に決められた5人しか意見が言えませんでしたが,市民主催のフォーラムでは,各分科会に20数名集まり,自由に数十名の人が意見を述べることができました。参加者は130名ほどでした。
 すべての分科会で,「原発賛成・反対の市民が,よく話し合うことが大切だ」「珠洲の自然の持つ価値に目を向けるべきだ」という意見が出されました。本当に原発は安全なのか,原発以外に珠洲らしい地域振興はないのか,市当局は,原発賛成・反対の学者などを呼び,公平に公開して,市民の判断を仰ぐべきでしょう。
② 第2部 「豊かな自然と共に生き,楽しむ」
 第2部の1日目('97.10.25)は昨年に引き続き,鉢ヶ崎の多目的広場で,フリーマーケットをはじめとする様々な催し物が行われました。1000名以上の参加者で盛り上がりました。夜は,鉢ヶ崎ケビン3棟を貸し切り,交流会を開きました。50名の参加でした。
 珠洲原発反対ネットワークの各地区のお店に加え,フリーマーケットには14店の出店があり,今回も総じて好評でした。
 また,催し物では,ポケモン似顔絵コンテストに,輪島・門前などの市外からも参加があり,300点を越える出品数で,大盛況でした。さらに,ミニ四駆大会やヨーヨー釣り,輪投げなども人気がありました。
 行事の規模や来客数の割にスタッフが不足しているのが今後の課題です。
 2日日('97.10.26)は飯田小体育館で「ものまね交差点(スクランブル)IN珠洲」と題して公演が開かれました。出演者は,亜似鈴(アイリーン)・コマイケル・松下桂子(しじみ)です。しかし,参加者は500名ほどにとどまり,かなり赤字がでました。出演者の知名度が低く,子どもも大人も感心を示さず,チケットの売上が足りませんでした。次回は,映画に変えても良いのではないかという反省が出ました。
(4)「もののけ姫」上映会
 春にも「秋祭り」のような催し物がやれないかということで,秋祭り実行委員会のメンバーが中心となり,「もののけ姫」実行委員会を作り,上映を行いました。
 1998年5月23日(土)午後7時から9時30分,珠洲健民体育館で映画「もののけ姫」が上映されました。経費は,大人券1000円・小人券(高校生以下)500円のチケットの販売とカンパで賄いました。
 前売り券の販売は,大人券は565枚,小人券674枚,合計1,239枚でした。当日,確認できた(半券から)入場者は,大人435名,小人563名,合計998名でした。
 切れ目のない2時間余りの上映とともに,ぐいぐい引き込まれ,興奮と感動の渦が広がっていきました。美しい色彩で,自然と人間の調和や,真実の生き方を考えさせる,スケールの大きい映画でした。アンケートも80名余りから寄せられました。

(5)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 反連協役員は,この1年も,毎月1回の割合で行われたネットワークの会合に参加して来ました。そして,高屋・寺家の現地,各町での推進の動きや問題を出し合い,交流しました。第2回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」や県知事遷には,ネットワークの人達と度々会合を持ち,協力して取り組みました。
 1997年12月7日,三崎町寺家の出村さんの納屋を改造した10畳の部屋に,「三崎町反原発の会」(約90名)と「自然を護る地権者の会」(約30名)の共同の事務所開きが行われました。この事務所作りも,度々ネットワークで話し合われ,改装費93.5万円を,反連協の20万円をはじめ,各町からのカンパで賄いました。
 今年は以下のように,10回の会合が持たれました。
 1997年 7/13,8/27,9/26,10/21,11/23,12/18
 1998年 1/29,4/9,5/11,6/2
(6)情宣活動
① チラシの折り込み
 以下のように,反連協は,チラシを3回折り込みました。
  1997年 8月14日(木) 反連協8月号チラシ
      10月26日(日) 「反原子力の日」のチラシ
  1998年 4月26日(日) 「チェルノブイリ原発事故12周年」のチラシ
② 街宣活動
 以下のように3回行いました。
  1997年 7月20日(日) 「能登ピースサイクル’97」に付き街宣
       8月17日(日) 市内街宣
  1998年 4月26日(日) 「チェルノブイリ原発事故12周年」の街宣

(7)集会への参加
 反連協が中心になった集会の組織化は」1995年10月22日以来久しく行われていません。集会の参加は1回でした。1997年7月15日,志賀原発1号機の使用済み核燃料92体を,英仏に搬出するのに抗議し,監視活動を行いました。

(8)市への申し入れ
 1997年12月8日(月),反連協とネットワークの関係者11名で,貝藏治市長に申し入れを行いました。
 貝藏市長が,11月16日の地域振興市民フォーラムの閉会挨拶で問題発言をしたことに対し,「事前調査のための決起集会と錯覚させるような市長の終わりの挨拶は市民を愚弄するに等しく,強く異議をとなえると共にここに発言の撤回と謝罪を求める」と申し入れました。また,「対立と市政の停滞しかもたらさない原発計画はきっばりと止めて,珠洲市民が一丸となって取り組める数々の振興策を共に考えていく事を強く要望する」と,申し入れました。
 1997年9月定例会には,「珠洲原発白紙撤回」の請願書を提出しました。
 1998年6月定例会には,「三崎町反原発の会」代表が請願者となり,井田省三氏が紹介議員となるよう,反連協会長の柳田達雄氏が作成した「珠洲原発計画の白紙撤回について」の請願書を提出しました。

1998年度の活動
 1998年度の反連協の第21回総会は,6月23日に珠洲労働会館で北野県議,高屋の塚本真如氏を来賓に迎えて開催されました(出席代議員:29名)。

1 98年度の経過

(1)地球温暖化防止と「原発」(省略)
(2)原子力産業の虚偽体質-使用済み核燃料輸送容器データ改竄(省略) 
(3)原発の寿命を60年に引き延ばす問題(省略)

(4)能登原発をめぐる情勢
① 能登原発差し止め訴訟
ⅰ) 控訴審判決
 1998年9月9日,能登原発差し止め訴訟の控訴審判決が,控訴以来4年,地裁提訴以来10年近くを経て,名古屋高裁金沢支部(窪田季夫裁判長)で言い渡されました。この判決は,阪神・淡路大震災と相次ぐ動燃の事故,原発の配管溶接データの改竄発覚事件の後,初めて示される司法判断だけに全国から注目されていました。しかし,一審判決同様,原告住民の差し止め請求を棄却しました。
 判決は,志賀原発の3度の事故について「施工業者のミスを建設時の検査や定期検査で発見できなかった北電の品質管理体制の問題点を浮かび上がらせ」「国の安全審査が万能でないことを実証した」と,初めてめ認めました。ところが,結論では「いずれも放射能の外部放出に至るものではなく」「手抜きやズサンな工事が全体的に行われたと推認できない」と,請求を退けたのです。
 最大の問題は,阪神・淡路大震災を踏まえても,従来の耐震設計指針は妥当とする原子力安全委員会の検討結果を「特段不合理な点は認められない」と容認したことです。
 原発の必要性については,原発が「人類の“負の遺産”の部分を持つことは否定できない」と認定しましたが,「推進か廃止かは,人類(日本国民)が選択すべき」として,司法の判断と責任を放棄しました。
ⅱ) 最高裁に上告
 9月22日,原告団と弁護団は「控訴審判決では,重大事故が起こらないかぎり原発は止められないことになる。裁判所は具体的な差し止めの基準を示すべきだ」として,最高裁への上告手続きをとりました。
 1999年1月29日,原告団は最高裁あての上告理由書を名古屋高裁金沢支部に提出しました。理由書は,全282ページに及ぶもので,「①差し止めの基準について,②立証責任,③平常運転時における放射線被曝の危険性,④事故の危険性,⑤必要についての判断の誤り」の5章から成ります。
 上告理由書の提出で,最高裁での書面審理が始まることになりました。
② 防災計画について
ⅰ) 防災計画の見直しの申し入れ
 1998年6月18日,石川県連帯労組会議の佐々木良盛事務局長と自治労県本部の中谷喜和委員長らは,県庁を訪れ,谷本正憲知事に志賀原発の防災計画見直しを要望しました。
 申し入れ書には,自力避難が困難な高齢者や障害者・入院者・生徒・園児らの人数の公表,30㎞圏内の自治体における放射線測定体勢の整備,年内に整備される原発の排気筒や排水口の監視データ公表システムの充実,など9項目が盛り込まれています。
ⅱ) 第4回原子力防災訓練に100名が監視行動
 石川県は,能登(志賀)原発の重大事故に備え,11月27日,4回目の原子力防災訓練を,志賀・富来・中島・田鶴浜の周辺4町で実施しました。
 これに対し,自治労県本部と県連帯労組会議は,約100名で監視行動や住民調査活動を行いました。これまでで最大の住民3200名が参加と発表されましたが,殆どは生徒や園児の屋内退避訓練で,実質的な避難訓練参加の住民は,赤住・福浦・志加浦南部の190名でした。
ⅲ) 県連帯労組会議などが県に防災計画見直しを申し入れ
 1999年1月14日,県連帯労組会議と自治労県本部は,11月の第4回原子力防災訓練について,県環境安全部に原子力防災計画の見直しと訓練の改善を求める9項目の申し入れ書を提出しました。
③ 2号機増設について
ⅰ) 第二次公開ヒアリング
 北電が1999年9月着工,2006年の営業運転を目指している能登(志賀)原発2号機(ABWR,135.8万kW)の第二次公開ヒアリングが,1998年10月16日,原子力安全委員会の主催で,志賀町のロイヤルホテルで行われました。科学技術庁は,行政と北電の手を借りて参加者を動員しましたが,236名の傍聴者の3分の1の79名が欠席しました。過去3回の経験からヒアリングが「建設への儀式」と分かっているので,住民は無言の抵抗を示したと言えます。
 16日午前8時,会場前で約30名が,雨の中でシュプレヒコールを繰り返し,お手盛りヒアリングに抗議しました。その後,志賀町文化ホール前で開かれた「2号機増設反対集会」には,県連帯労組会議など約30名が参加し,集会後,全員で中心街をデモ行進しました。
ⅱ) 増設許可へ
 1999年3月29日,北電の能登(志賀)原発2号機の増設について審査していた原子力安全委員会は,「安全性は確保できる」と与謝野馨通産相に答申しました。
 国による安全審査はこれで終わり,平和利用の観点からチェックする原子力委員会も30日に承認の答申を出す運びです。
 4月14日,通産省は,北電の能登(志賀)原発2号機増設について,原子炉設置変更許可を出しました。2号機の計画発表から6年を経ての国のゴーサインで,設置許可まで21年かかった1号機に比べ,淡々と計画が進みました。今後,最終的な地元の了解を得た上で,今年9月に本格着工,2006年3月の営業運転開始を目指しています。
 こうした動きについて原告団事務局の多名賀哲也さんは「最近の原発訴訟判決の中で国の審査能力に限界があることが指摘され,また,同型の柏崎刈羽6・7号機でトラブルが続出しているのに」と,国のお墨付きに憤りをあらわにし,「2号機建設差し止め訴訟準備を進めなければ」と語気を強めました。
④ 核燃料の搬出・搬入
ⅰ) 使用済み核燃料搬出
 1998年7月15日,北電は,能登(志賀)原発の使用済み核燃料84体=12トンを英国に向けて搬出しました。
 これに対し,県連帯労組会議と社民党県連合など約400名が,赤住団結小屋前で集会を開き,デモ行進した後,原発の正面ゲートで北電の山田圭蔵社長あての申し入れ書を読み上げ,提出しました。この後,海岸へ下り,「核のゴミをイギリスに押し付けるな!」「輸送容器の汚染問題を公表せよ!」と,輸送船に向かい抗議行動を続けました。
 3回目の今回の輸送は,電力9社で最後の海外輸送となるため,国際的にも注目されていました。当日の行動には,セラフィールド再処理工場の汚染に反対するカンブリア住民や,米仏の核実験に反対し海洋汚染に抗議するフィジー諸島の住民,さらにグリーンピース・ジャパン,長野原水禁などからも連帯のメッセージが寄せられました。
ⅱ) 7回目の核燃料搬入
 能登(志賀)原発1号機で使用する核燃料集合体96体が,11月17日,神奈川県横須賀市の核燃料加工工場から8台のトラックに積まれ,同原発に運び込まれました。新燃料搬入は7回目で,来年度に予定されている定期検査で交換します。
 使用済み核燃料輸送容器試作データ改竄などを踏まえ,県連帯労組会議など反対・脱原発グループのメンバー約200名が,抗議のデモ行進をし,その後集会を開催しました。
⑤ 1号機でまたもトラブル
 1999年6月14日,定検中の能登(志賀)原発1号機で,非常用電源となるディーゼル発電設備3機のうち1機のクランク軸に,ひびが見つかりました。北電は原子炉本体には直接影響はないとしていますが,原因は不明。
 6月15日,県と志賀・富来の両町が,立ち入り検査を実施し,問題のひびの部分を確認するとともに,北電に原因究明を要請しました。調査には,周辺1市4町(羽咋市,田鶴浜・鳥屋・中島・鹿西町)の担当職員を含む10人が参加しました。
 6月17日,この問題で,県連帯労組会議(橋本邦男議長)と社民党県連合(宮下登詩子代表)は,北陸電力に対し,「会社の品質管理態勢に問題がある」として,原因究明のため運転管理マニュアル公開などを求める申し入れを行いました。

2 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県の動き
① 県議会9月定例会
 1998年9月18日の代表質問で,吉田歳嗣氏(自民)は,谷本知事に,珠洲原発の立地問題について「住民合意の答えができるまでひたすら待つことが県民党か」「珠洲原発の立地推進を早期に決断すべき」と迫りました。谷本知事は「地元の県議も推進・反対の2人が選出されており,地元には賛否両論があるのは偽らざるところ」との見解を示し,来春の統一選結果が,一つの判断材料となることを示唆しました。これに対し,吉田氏は再質問で「議席が二分されているからといって,いっこうに前進しないのはおかしい。県議会が推進決議をしたら認めるのか」と質しましたが,谷本知事は「珠洲市長が合意を得るため,対話を一生懸命やっているので,その状況を見守りたい」と述べるにとどまりました。
② 県議会12月定例会
 12月8日,7氏が一般質問をしました。
 北野進氏の後質問に立った上田幸雄氏は「原発の住民合意」について,「珠洲市長選結果や市議会の議員構成などを尊重すべき」と,谷本知事に「同意」を迫りました。谷本知事は「住民合意の物差しは,選挙結果だけでなく,用地の確保状況や漁協・関係団体の動向なども大きな要素だ」と答弁しました。また,「エネルギー政策は国策であっても,原発立地は,電力企業が担当することである」との見解を示しました。
③ 県議会2月定例会
 1999年3月2日,谷本知事は,北野進氏(改進連)の代表質問に対して,珠洲原発立地の可能性調査再開について,「現状でも賛否両論あるが,一つの方向性が示されることを期待したい」と,改めて住民合意が前提であるとの考えを示しました。
 議会後,記者の取材に対して,谷本知事は,調査が中断している経緯について,「(10年前に)その場にいたわけではないが,住民の強い反対運動があり,電力会社が自主的に中断したと聞いている」と説明。その上で,「現状でも賛否両論があり,市長が地元の合意形成に向けて地域での対話活動をしている。一つの方向性が示されるよう期待している」と述べました('99.3.3付『朝日新聞』)。

(2)珠洲市の動き
① 3回目の「市長と語る会」
 1998年6月10日,6月定例会の提案理由説明で,貝藏市長は,市内各地を巡回する3回目の「市長と語る会」を開催する計画があることを明らかにし,「その席上,これまでの対話を3月にまとめた地域振興計画の内容を報告する」と述べました。その「地域振興計画」では,雇用機会の拡大や関連企業の進出が期待できる電源立地を,財政面で行き詰まっている新たな財源確保の大きな選択肢と位置付けています。
 こうして,地域振興に名を借りた原発立地の合意形成を目指す,3回目の「市長と語る会」が,7月25日の正院公民館から始まり,市内15地区で開かれました。
 これに対し,珠洲市民会議は,「市長と語る会」は,「“語る会”でなく,一方的な“説明会”である」「“原発しかない”“調査したい”というのが本音である」など,問題点を指摘する議会報告・号外を7月30日の新聞に折り込みました。また,珠洲原発反対ネットワークは,協議の結果,今回も「市長と語る会」に参加しないことを決めました。そして,「一方的に原発への協力を求める場となっている」「原発をあらゆる地域振興の前提にしている」と,原発推進への協力を求める「市長と語る会」のゴマカシを突くチラシを8月7日,折り込みました。
② 市議会9月定例会
 9月定例会は,9月14日に開会しました。
 9月21日の一般質問では,「市長と語る会」における貝藏治市長の対話姿勢について,推進・反対両派議員から質問が相次ぎ,貝藏市長は「全戸に参加を呼びかけており,市民を賛成・反対で区別するつもりはない」と述べ,今後も幅広い参加を求めていく考えを示しました。
 また,約1100億円が必要な地域振興計画の実現について,貝藏市長は「電源立地の活用は(財源確保の)限られた選択肢の中で非常に有効な手段である」と述べ,電源立地推進に向けてこれまで通りの姿勢をみせ,理解と協力を求めました。
 柳田達雄氏は,原発について,名古屋高裁金沢支部の判決で示された内容と,真鍋環境庁長官の見解を取り上げ,市長の認識を質しました。
「9月9日の能登原発運転差し止め訴訟控訴審判決は,原告の訴えは棄却したものの,判決理由の中で“原発は人類の負の遺産の部分を持つ”と認定している。そして,原発の今後の存廃は,適切な情報公開のもとで人類(国民)が選択すべきであると指摘している。“負の遺産”を子孫に残すことの犯罪性を市長は,どのように正当化して,原発を進めるのか」
「判決理由の中で,志賀原発や他の原発の度重なる事故について“国民全体の原発の安全性に対する信頼を損ねる遺憾なできごとで,国の安全審査が万能ではないことを実証したと言える”と認定している。歴代の市長は,これまで常に“安全性の確保を大前提に”原発立地を進めると言明してきたが,国の安全審査が信頼できず“安全性の確保”がなくても推進するのか」
「小渕内閣の環境庁長官に就任した真鍋賢二氏は“原発はあくまで過渡的なもので,クリーンエネルギーとは考えない”との見解を示している。こうした見解を,市長はどのように受け止めるのか」
 貝藏市長の答弁は,「判決は,志賀原発の安全性を評価したものと理解する。“負の遺産部分を持つ”という点は,原発の安全性に対する信頼度の向上,核燃料の再処理や廃炉問題等に,国及び電力企業が総力を上げて取り組んでおり,順次解決されていくと確信している」「真鍋環境庁長官の見解について,“過渡的なもの”と言うが,現状では原発は必要なもので,石炭や石油に比べてCO2を排出しないからクリーンエネルギーであると考えている」というものでした。再質問に対する答弁では「負の遺産にはならない」「環境庁長官の見解には同意できない」という認識を示しました。
 市議会最終日の9月25日,同日付けで七野利明助役と谷充行収入役が辞任し,新助役に谷充行前収入役,収入役に木之下明電源立地広報センター事務局長(前市企画調整課長)の選任が対案され,珠洲市民会議の数名が反対しましたが,賛成多数で可決されました。
③ 市議会12月定例会
 12月定例会は,12月11日に一般質問があり,7名が質問に立ちました。
 自民党清和会の3名がのべ13点について質問した中で,原発関係のものが3点ありました。「過去の原発事故の教訓は今,どのように生かされているか」「珠洲市に,一部,核廃棄物処分場ができるという風評が意識的に流されていると思われるが,市の考えを明確にしてほしい」と瀬戸氏が質問し,「原子力発電所建設の可能性調査について」小林氏が質問しました。
 貝藏市長は,核廃棄物処分場建設について,明確に否定の答弁をしました。また,原発可能性調査については,「20年余りにわたる経過からみても,立地予定地が立地にふさわしい土地であるのかないのかを,1日も早く調査したい」と述べました。
 珠洲市民会議は4名が質問に立ちましたが,「原発にかかわる問題について」は柳田達雄氏が一手に引き受けました。
〈1〉「11月19日,市長は地元選出国会議員等に“電源立地の促進対策について”を要望されたというが,その“要望”の内容と“促進”との係わりは?」
〈2〉「国が安全だと言えば,プルサーマルを前提にした原発でも受け入れるのか」
〈3〉「国が安全だと言えば,原発の使用済み核燃料の市内での蓄積・処理に同意するのか」
〈4〉「国が安全性を保証し,原発以上に地域振興に有効と,核廃棄物処理場の提供を求めてきた場合,応ずるのか」
 貝藏市長は,〈1〉に対して,「国の責任ある対応と原子力政策に対する国民の信頼と理解を得るためのPA(国民合意形成諸事業)対策の充実,電源三法交付金の充実と弾力的運用,初期地点での電気料金割り引きの前倒しなどで,立地推進が図られるよう強く要望した」と答弁。
 〈2〉〈3〉〈4〉に対しては,質問の中の「プルサーマル」や「使用済み核燃料の市内処理」「核廃棄物処理場の受け入れ」など,「言われたことも,聞いたことも,また考えたこともありませんので,ご理解をいただきたい」と答え,関連質問にも同様の発言をし,「そういうものを私は受け入れる考えがない」と答えました。
④ 市長が「調査 新年度中に」と言明
 1999年2月19日,貝藏市長は,新年度予算案発表の記者会見で,新年度中に原発立地の可能性調査を受け入れたいとの考えを改めて言明するとともに,県議選珠洲市・郡選挙区で「(自民系が2議席獲得するなどの)環境が整えば,(89年の可能性調査で原発反対派市民による阻止行動のような)混乱が起きても,調査の中断はない」と強い決意を語りました。
⑤ 市議会3月定例会
 1999年3月,開会し,貝藏市長は,提案理由説明の中で「市の地域振興策を具体化するために,新年度から職員による原発立地促進のためのプロジェクトチームを作り,さらなる努力をしていく」などと改めて意欲を述べました。しかし,新年度中の調査再開については触れませんでした。
 9日の一般質問には,9名が質問に立ちました。原発関係の質問は,小泊辰男氏「電源立地問題について」,落合誓子氏「原発について」,柳田達雄氏「地域振興と原発の関係について」,新谷栄作氏「住民投票について」の4件ありました。
 貝藏市長は「地域活性化の波及効果が期待できる電源立地による財源確保も選択肢の一つととらえ,立地推進に向けて検討を進めるためにも,可能性調査はぜひ必要である」と,従来通りの考えを示しました。調査時期については,2月19日の記者会見で発言した「新年度中に調査を再開したい」をトーンダウンし,「1日も早くできるように,さらに努力したい」と述べるにとどまりました。
 また,4月にスタートさせる「電源立地促進のためのプロジェクトチーム」の中身について,「市民要望の具体化へ,財源の選択肢である電源立地について,原発建設後,運転中の発注効果,税収増などの効果など総合的見地から検討する」と,目的を説明しました。
 市長は「住民投票条例は実施しない」とこれまでの考えを繰り返し,住民合意は「議会制民主主義による議会が決めたことを実行する」と答えました。

⑥ 市議会6月定例会
 1999年6月7日,開会し,貝藏治市長は,提案理由説明の中で,電源立地促進のためのPA(住民合意形成諸事業)対策や立地に伴う地域振興策などを検討する電源立地推進プロジェクトチームを5月6日に庁内に設置したことを報告しました。谷充行助役を委員長に関係課長11人で構成するチームで,「電力会社による1日も早い調査の着手に向け,更なる努力をしたい」と述べ,理解と支援を求めました。
 また,原発立地について,推進派・反対派双方から,請願が2件ずつ提出されました。
 推進派の請願は,「高屋まちづくり推進会」「新しい寺家を考える会」連名で,高屋の調査早期再開と寺家の調査実施を求める請願と,珠洲商工会議所・市農協・市観光協会など30団体連名の調査早期再開を求める請願の2件でした。
 反対派は「止めよう原発飯田住民の会」が「原発だけにこだわらずに地域振興をともに考える手だて」を求める請願,「珠洲原発反対ネットワーク」が「統一選の結果を踏まえて原発白紙撤回」を求める請願を提出しました。
 9日の一般質問には,12名が質問に立ちました。
 原発関係の質問は,自民党・清和会からは,小泊辰男氏「電源立地問題について」,向山忠秀氏「原発誘致による珠洲市・周辺市町村への波及効果について」,茅山一男氏「電源立地調査について」の3件,珠洲市民会議からは,赤坂敏昭氏「統一地方選の結果を受け原発を見直す考えはないか」,新谷栄作氏「可能性調査再開による不測の事態を覚悟しているのか」,橋本礼次氏「原発立地によるメリットについて」の3件ありました。
 なお,柳田達雄氏は「電源立地プロジェクトチームについて」などの質問をする予定でしたが,当日身内の葬儀があり,質問できませんでした。
 貝藏市長は,統一地方選の結果について「多くの市民が経済の活性化など過疎からの脱却のために,特に電源立地を推進して地域振興を図ってほしいといった結果だった」と強調。従来通り電源立地推進の姿勢を示しましたが,立地可能性調査については「1日も早くできるよう頑張りたい」と述べるにとどまり,調査再開の時期は明言しませんでした。

(3)電力会社の動き
① 可能性調査に向けた動き
 珠洲警察署裏にある(株)石川レディの建物前道路山側に,前口45m・奥行き63m・高さ1.8m程の金網フェンスを張り巡らせた私有地があります。手前半分は遊休地で,奥半分の土地にカボチャとサツマイモが植えてあります。珠洲市はこの土地を「資材置き場」として借り受け,県議選で自民党系が2議席獲得したとき可能性調査を再開し,混乱に備えて「機動隊の待機場所」にする予定にしていたと思われます。
 高屋現地でも,新保出にある団結小屋後ろの山林の一角に,昨年秋から今春までに,ヘリポート基地らしきものが作られました。有刺鉄線を張り巡らせた1.5haの土地の中に,60m×70m(0.42ha)の敷地を,高さ3m程の木の枠で,黒い防風ネットで覆って,囲っています。中には,柿の苗が植えられています。福井の人の土地のようですが,高屋町まちづくり推進会の人達に一言もなかったそうで,町の人達も怒っています。これは,関西電力が,県議選・市議選の結果を見て可能性調査をやろうとして,資材搬入に必要なヘリポート基地の下準備をしたのだと考えられます。
② 珠洲原発用地売却益の脱税事件
 1998年12月22日,
『北陸中日新聞』に,「珠洲原発用地売却益を脱税,神奈川 病院副理事長を告発」の記事が載りました。その記事は次の通りです。
 
原発予定地高屋の土地を売却しながら,売却で得た約4億4千万円余りの所得を隠し,約1億3千万円を脱税していたとして,東京国税局は,1998年12月21日までに,神奈川県海老名市国分寺台二,矢部憙憲・病院副理事長(55)を所得税法違反(脱税)の疑いで横浜地検に告発した。矢部副理事長は修正申告しており,追徴税額は重加算税を含めて約1億7千万円とみられる。
 関係者によると,矢部副理事長は,1994年,父親から相続した高屋の山林を担保にして金沢市内の不動産業者から金を借りる契約をした。しかし,同国税局は貸付金が一度に矢部副理事長に支払われていることや,この不動産業者が原発予定地内で土地を買い集めている状況などから,実際には売買だったと認定。金を借りる契約にしたのは,所得税を免れるための仮装行為と判断した。
 矢部副理事長は「今年9月から土地の契約について国税当局から調べられてきた。原発建設反対派などの関係もあり,私としては売却したとは思っていない」などと話している。

③ 土地取り
 矢部氏の脱税事件が明るみに出たことによって,その背後に,関西電力の土地取りの動きを感じました。関電は,原発建設に必要な土地を少しでも買い集めようと,着々と画策していたのです。関西電力の立地部員が30名余りも珠洲にいて,何もしないはずはありません。
 寺家に原発を作ろうという中部電力も,立地部員が30名余りいます。地権者宅を家庭訪問して,土地の賃貸契約や売却を進めているに違いありません。
 現在,珠洲電源開発協議会には,北陸電力も20名足らず入っており,3電力会社の立地部員は,約80名になります。これらの電力会社員は,立地に必要な現地の土地取りに一番腐心しているはずです。その次が海取りです。
 矢部氏の事件は氷山の一角で,他にも,個々人の弱みに付け込んだ,土地の一本釣りが水面下で行われているはずです。
 反原発運動の原点は,「土地を売らない」「海を売らない」「市議などを過半数取る」ことです。選挙闘争が第一ではありません。このことを肝に銘じ,私たちは,人心を荒廃させ,町を分断してでも土地を取ろうとする電力会社の動きに抗して,現地の反原発住民が土地を手放さないよう,土地共有化などを支援していかねばなりません。

(4)反原発運動の状況
① 参議院選の取り組み
 5年ぶりに自民党単独政権のもとでの国政選挙となった,第18回参議院通常選挙は,1998年6月25日に公示され,7月12日に投票・開票が行われました。自民党は,改選議席61を大きく下回る45議席と惨敗し,橋本竜太郎首相は引責辞任しました。結党後初の参院選となった民主党は,改選議席の18から27と躍進しました。投票率は,史上最低だった前回(1995年)の44.52%を大幅に上回る58.84%で,1992年以来続いていた過去最低記録更新に歯止めがかかりました。橋本政権の経済失政に,無党派も怒り,投票率アップが,政治を変えたと言えます。
 石川選挙区も,投票率は63.19%で,過去最低だった前回を8.7%上回りました。結果は,無所属新人の岩本荘太氏(58)=民主・公明県本部・社民・自由・さきがけ推薦=が接戦の末,自民党現職で3選を目指した沓掛哲男氏(68)に約1万5000票の差をつけて初当選を果たしました。岩本氏は「橋本政権ノー」を旗印に結集した非自民・非共産9党・団体の支援を受け,「現場の声を国政に」と政策不況の根本を説きました。県農林水産部長,副知事時代の人脈や人柄が共感を呼び,無党派層にも浸透しての勝利でした。沓掛氏は,市町村選対や業界団体など県内を網羅した組織表を固めましたが,自民党への逆風をもろに受けたと言えます。
 珠洲原発反対ネットワークや珠洲市勤労協単組協議会・反連協は,珠洲原発に慎重姿勢を示す,岩本荘太氏を推して戦いました。当選後のインタビューでも,岩本氏は「珠洲原発の立地問題と国の原発政策は分けて考える必要がある。珠洲原発については,谷本県政の考え方を継承し,安全性を大前提に地域合意を見守る」と述べています。珠洲市の投票率は75.85%(前回66.09%),内浦町の投票率は61.21%(前回55.38%)でした。
 各候補の得票は,次の通りでした。
  [石川県選挙区]
  当  岩本 荘太(無新) 254,132
     沓掛 哲男(自現) 239,067
     尾西 洋子(共新) 53,258
     種部 秀之(諸新) 17,247
 この選挙の珠洲市・郡での得票は,次の通りでした。珠洲郡の得票は[ ]内に示しました。
     岩本 荘太(無新) 5,063[1,735]
     沓掛 哲男(自現) 7,713[2,183]
      尾西 洋子(共新) 579[ 154]
     種部 秀之(諸新) 180[  72]
② 県議選の取り組み
 石川県議選は,1999年4月2日に告示され,4月11日に投票・開票が行われました。自民党は,48議席の過半数を目指しましたが,22議席を獲得(改選前より3議席伸ばした)し,過半数に3議席届きませんでした。
 珠洲市珠洲郡選挙区(定数2)では,原発立地の行方を焦点に,原発反対の現職北野進氏と,推進派の現職上田幸雄氏,中立の新人新谷成昭氏の激戦となりました。推進派は,北野県議を落とし,原発立地可能性調査を再開しようと,新人の新谷氏を擁立し,2人当選を目指しましたが,反原発票を取り込むことはできませんでした。
 珠洲原発反対ネットワークや珠洲市勤労協単組協議会・反連協など原発反対派は,2月19日,貝藏市長が「自民党系の県議が2人当選すれば,新年度中に可能性調査を受け入れたい」と言ったことなどに危機感をもち,北野進氏の当選を目指し,尻上がりに燃えていきました。その結果,8年前の初当選時(前回は無投票)の得票7,320票(珠洲市5,170票/内浦町2,150票)を1104票上乗せし,推進派の自民党現職上田氏を上回る,
トップ当選を果たしました。「調査再開は絶対に許さない」「原発抜きでまちづくりを進めていこう」という住民の意思が示されたといえます。
 谷本知事は,この結果に「原発だけが選挙の争点と思わないが,(落選した新谷氏の)住民合意を優先せよという票と,(北野氏の)反対という票を合わせれば,立地にせよ返上にせよ,慎重に,合意形成に時間をかけろということになる」との見解を示しました。また,北陸・中部・関西の3電力会社でつくる珠洲電源開発協議会は「推進派の候補の当選はありがたく思うが,反対派候補の当選は謙虚に受け止める」とコメントしました。
 この選挙の珠洲市・郡での得票は,次の通りでした。
   北野  進(無現) 8,424 [珠洲市 5,479 内浦町 2,945]
   上田 幸雄(自現) 7,716 [珠洲市 6,412 内浦町 1,304]
   新谷 成昭(無新) 5,319 [珠洲市 3,929 内浦町 1,390]
③ 市議選の取り組み
 珠洲市議選は,1999年4月18日に告示され,4月25日に投開票されました。定数18に対し19人が立候補し,原発立地の是非を最大の争点に選挙戦が行われました。原発反対派は,現職4人,新人2人,計6人擁立し,
6人全員当選し,1議席増を果たしました。それに対し,推進派は,現有勢力の死守を目指しましたが,現職1名を落とし,解散前の13議席を12議席に減らしました。
 反原発派は,市内最大の票田の宝立と三崎に新人候補を立てました。中でも,告示4日前に宝立から初めて反原発の候補者が出たのは,画期的でした。珠洲原発反対ネットワークの市民は,各町の5人の反原発候補の当選を目指しましたし,珠洲市勤労協単組協議会・反連協などは,柳田達雄候補の2期目の当選を目指しました。
 反原発派候補が6人になり,反原発派同士の票の食い合いも見られました。殊に,柳田候補は,前回1,362票を取るトップ当選だっただけに,支持者の中に,「自分1人くらい,他の候補にくら替えしても柳田候補は大丈夫だろう」「今回は,町の新人を応援したい」という気運を生んだようです。
 柳田候補の上位当選が果たせず残念でしたが,原発反対派6人全員の当選は,可能性調査再開阻止と来年の市長選に向けてさらに弾みをつける快挙となりました。
 原発反対派は,87年の市議選に「オール自民」議会の一角を崩して1議席,1991年4議席,95年5議席,そして99年の今回6議席と,着実に議席を増やし続けてきました。
  《短歌》 
    反原に物言えぬ町粛々と票を伸ばしぬかくれキリシタン
                     岸田 照子(珠洲市) ['99.5.16 朝日歌壇]

3 反連協の取り組みと経過

(1)参議院選
 1998年6月25日に公示され,7月12日に投開票が行われた第18回参議院通常選挙では,反連協は,珠洲市勤労協単組協議会や珠洲原発反対ネットワークとともに,珠洲原発に慎重な岩本荘太氏を推して戦いました。具体的には,選対会議や個人演説会への参加や,単組協の運動に参画する形で,支持者拡大などを行いました。

(2)県議選
 1998年度活動方針の「1999年統一地方選挙には,珠洲原発の白紙撤回を目指し,県議選では北野進県議の3選を目指します」というのに従い,珠洲市勤労協単組協議会とともに,北野進候補を支援し,支持者拡大に努めました。
「北野県議が落ちれば,可能性調査が始まる。絶対に落としてはならない」と,反連協会長柳田達雄氏は危機感を募らせ,「北野進と歩む会」事務局長として,大いに活躍しました。反連協特別幹事の小路礼一郎氏も,内浦町の北野進後援会事務局長として,北野さんの出身地・内浦町の支持拡大を図るため,連日歩いて支持を呼びかけましたし,運動最終日の夜は,実家のある小木地区を2時間かけて歩きました。
 第5回役員会('99.3.13)で,反連協役員でもある北野進候補(県議選)・柳田達雄候補(市議選)・小路礼一郎候補(町議選)と珠洲市民会議の候補に,檄ビラを届けることを決めました。北野進候補には,2月6日(土)の事務所開きに檄ビラを届けました。

(3)市議選・町議選
 1998年度活動方針の「1999年統一地方選挙には,珠洲原発の白紙撤回を目指し,市議選では柳田達雄市議の再選,内浦町議選では小路礼一郎町議の3選,を目指します。珠洲市民会議の4人(実際は5人立候補した)の市議の必勝を期して,珠洲原発反対ネットワーク等と連携し,総力をあげて取り組みます」というのに従いました。珠洲市勤労協単組協議会とともに,柳田達雄候補を支援し,支持者拡大に努めました。
 4月17日(土),柳田達雄・小路礼一郎候補と珠洲市民会議の落合誓子・小谷内毅・新谷栄作・赤坂敏昭候補に,檄ビラを届けました。翌18日,新人の橋本礼次候補に檄ビラを届けました。
 内浦町議選は,定数14で立候補者数が15でした。小路礼一郎候補は,内浦町の北野進後援会事務局長として,北野さんの出身地・内浦町の支持拡大を図るため,連日歩いて支持を呼びかけるなどしたことが功を奏し,前回より定数が減った中で,395票・6位当選と,好結果を得ました。
 珠洲市議選は,定数18で立候補者数が19でした。柳田達雄候補は,県議選で全力を出し切り,疲れた体での選挙戦でした。反連協は,珠洲単組協とともに,柳田候補の上位当選を目指し,支持者拡大などに努めました。しかし,上戸の現職の1人が出馬しなかったことや,宝立と三崎に反原発の新人候補が出たことで,上戸・宝立・三崎などでの柳田票が流れたり,「前回トップ当選だったので,自分1人くらい入れなくても柳田候補は大丈夫だろう」という気運を生み,票の流出を食い止めることができませんでした。しかし,805票・12位当選は,余りにも予想を下回りました。

(4)第3回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
① 日時・場所・内容
◇日時:1998年10月25日(日)午前10時~午後3時
◇場所:わくわく夢らんど広場(鉢ヶ崎健康運動広場)
◇入場者:3000名
◇内容
〇フリーマーケット
 ・即売…鮮魚・水産加工品・EM新米・果樹・野菜各種・リサイクル品・衣料
 ・屋台…焼きそば・うどん・おにぎり・焼きトウモロコシ・焼きソバ・ポン菓子
       ホットドック・お好み焼き・クレープ・コーヒー・ジュースなど
[自由出店20点/木田商事さん数店舗協賛出店]
●遊 び…バスケットのフリースロー・輪投げ・ヨーヨー釣り・鯉釣り
◎催し物…俳句大会・ビンゴゲーム・ポケモン似顔絵コンテスト
       バンド演奏〔後藤ひとみ・滝沢卓・気楽太鼓〕
② 反省
 96年11月の第1回秋祭りは2日間,97年10月の第2回秋祭りは第1部と第2部がそれぞれ2日間ずつで延べ4日間でした。
 第2回の秋祭りの反省から,春にもフリーマーケットをやってはどうかという案が出ました。が,実現せず,手軽にできる映画上映が具体化しました。そして,1998年5月23日(土),珠洲健民体育館で「もののけ姫」を上映し,1000人程が入り,大成功でした。
 1999年春の統一地方選を前にした,10月24日(土),岩本荘太参議院議員を招き,「北野進と歩む会」総会が行われました。それで,第3回の秋祭りは,10月25日(日)の1日だけとなりました。とてもいい天気に恵まれ,客足も良く,盛り上がりました。費用もフリーマーケットが主体なので,余りかかりませんでした。
 その他,次のような反省点が上げられます。
・時期は,10.26「反原子力の日」の近くの日曜日がいい。来年もこの時期にしたほうが良い。第4回秋祭りは,1999年10月24日(日)に行う。
・ポケモン似顔絵コンテストに350点の応募があり,ポケモン人気がまだ続いているようだ。
・自由出店が第1回は6店,第2回は14店だったが,第3回では20店になった。珠洲教組も初めて店を出し,盛況だった。回を追う事に,来年は店を出したいと思う人が増えてきているようだ。
・反連協の店がほしい。

(5)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 反連協役員は,この1年も,毎月1回の割合で行われたネットワークの会合に参加してきました。そして,高屋・寺家の現地,各町での推進の動きや問題を出し合い,交流しました。第3回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」や参議院選・県議選・市議選は,ネットワークの人達と度々会合を持ち,協力して取り組みました。
 1998年度は,8回(8/1,8/30,9/21,12/23,1/29,2/22,5/26,6/18)の会合が持たれました。

(6)情宣活動
① チラシの折り込み
 次のように,反連協は,チラシを4回折り込みました。
1998年 8月14日(金) 反連協8月号チラシ
    10月26日(日) 「反原子力の日」のチラシ
1999年 3月28日(日) 「スリーマイル島原発事故20周年」チラシ
     4月27日(火) 「チェルノブイリ原発事故12周年」チラシ
② 街宣活動
 次のように2回行いました。
 1998年 7月19日(日) 「能登ピースサイクル'98」に付き街宣
      8月16日(日) 市内街宣
 なお,街宣車(石川県高等学校教職員組合からの寄贈)の傷みがひどく,4月の車検を断念し,1999年6月9日,廃棄処理を行いました。今後は,珠洲原発反対ネットワークの車を借りて街宣活動を行う予定です。

(7)集会への参加
 反連協が中心になった集会の組織化は,1995年10月22日以来行われていません。集会への参加は,次の2回です。
 1998年7月15日,志賀原発1号機の使用済み核燃料84体を英国に搬出するのに,赤住団結小屋前で集会を開き,デモ行進をした後,北電社長への申し入れ書を読みました。そして,輸送船に向かい,声を上げ抗議しました。
 11月17日,志賀原発1号機で使用する核燃料96体の搬入に,抗議のデモ行進をし,集会に参加しました。

(8)電力,市への申し入れ([資料30,31])
 1998年12月25日(金)午後2時から,反連協の柳田達雄会長他5名が,珠洲電源開発協議会会長に「原発立地に係わる申し入れ書」([資料30])を提出しました。数日前に連絡し,当日も確認を取って訪れたのに,北陸電力の3名だけで,関西電力・中部電力は,誰一人出席しませんでした。こんな誠意のない対応は,いまだかつてないことです。両電力とも約30名の社員がいるのですから,部長が都合悪いときは,代わりを出せるはずです。
 12月25日(金)午後3時から,貝藏治市長にも柳田達雄反連協会長他4名が,同様の申し入れ書([資料31])を手渡しました。最初に谷山総務課長が「30分」と時間を切ったので,貝藏市長は,のらりくらりと中身のない話をよくしゃべりました。市長の肩書・権威で話しているだけで,横柄で,「プルサーマル」や「使用済み核燃料の処理」などに無知でした。原発のことがよくわかっていないこの市長に,危険な原発を作らせてはならないと思いました。同席した谷助役や谷山総務課長・上野電源立地対策課長・高畠企画調整課長は,ただ黙って座っているだけで,奇異な光景でした。
 珠洲原発反対ネットワークも,貝藏市長が,1999年2月19日に,新年度から新たに電源立地促進プロジェクトチームを編成すると発表したことを受け,2月26日,「プロジェクトチームは可能性調査再開を視野に入れて編成したのではないか」と,抗議の申し入れを行いました。
 「珠洲原発計画の白紙撤回について」の請願書も,98年12月定例会に提出しました。が,不採択となりました。

1999年度の活動
 1999年度の反連協の第22回総会は,6月25日に珠洲労働会館で社民党県連合・清水文雄氏,北野進県議,高屋の塚本真如氏,三崎の河岸喜一氏らを来賓に迎えて開催されました(出席代議員:32名)。

1 99年度の経過

(1)ドイツが原発全面廃止決定(省略)
(2)チェルノブイリ原発事故,すでに5万5000人が死亡(省略)

(3)最悪の事故-東海JCOウラン臨界事故
① 事故の経過
 1999年9月30日10時35分,原子炉燃料の加工工程の一部であるウランの再転換を行うJCO社(茨城県東海村)のプラントで臨界事故が発生しました。
 事故当初現場で作業していた3人の労働者は,ほとんど致死性の線量を浴び,すでに2名は亡くなっています。さらに,これら3人も含めて,多くの作業員は線量計もフィルムバッジも着用していませんでした。
 臨界状態は予想に反して,およそ20時間にわたって継続しました。10月1日早朝,JCO作業員が沈殿槽の冷却水抜き取り・ホウ酸水注入という決死の作業を行い,ようやく臨界状態を止めることができました。これらの作業は,科技庁と原子力安全委の了解のもとにJCOが行ったわけですが,十分な被曝管理をせずに,「決死隊」的に水抜き作戦を強行した会社と,させた科技庁・原子力安全委はここでも大きな過ちを犯したことになります。
② 住民の避難
 事故現場からの中性子線と核分裂生成物の放出によって,住民は大きな危機にさらされていたにもかかわらず,政府・原子力安全委員会(緊急技術助言組織)はきわめてにぶい動きでした。むしろ,東海村の方が機敏に事態に対応しました。東海村は,12時30分(事故が発生後約2時間)に,「住民は外に出ないよう」に村内広報を開始,15時には施設から350mまでの住民に避難要請を出しました。
 避難に関しては,県がようやく22時30分,10km圏内の住民の自主的屋内退避を要請しました。
 政府部内でもいろいろな議論・検討はあったようですが,表にでてきた結果としては,これらの住民に対する防災対策はまったく無策で,住民を大きな危険にさらしたままだったのです。
③ 事故原因
 この臨界の原因は,沈殿槽には18.8%の濃縮ウランは2.4㎏までしか加えられないことになっていたのに,作業員が16㎏のウランを加えたことによって,沈殿槽が臨界状態に達したことにあります。18.8%という高い濃縮度のウランを扱っているにもかかわらず,作業者にもそれを監督する監督者側にも,まったくその認識がなく,5%以下の濃縮ウランと同じように扱って,過剰なウランを臨界防止のための形状管理をしていない1つのタンクに集中させてしまいました。
 本来この種の施設は,臨界事故の潜在的危険性を持つので,取り扱い上のミス(ヒューマン・エラー)があっても絶対に臨界を起こさないように容器の形や,サイズが制限されて設計されている必要があります。この形状管理を施していなかったことが決定的な欠陥でした。
 この常識がまもられず,国の安全審査でもそれで許されてきたのが問題です。
④ 事故の責任と教訓
 事業者にこの事故の責任があることは当然ですが,臨界事故を起こさないような設計になっていなかったにもかかわらず,この工場を認可した科学技術庁と原子力安全委員会にも重大な責任があります。
 またこの工場は住宅地にあるにもかかわらず,臨界事故を想定した立地審査などは,まったく行われていませんでした。このことにも,監督官庁である両者には重大な責任があります。

(4)MOX燃料データ捏造とプルサーマル計画の延期(省略)
(5)放射性廃棄物の処分に関して(省略)

(6)芦浜原発計画の白紙撤回と「長期計画策定会議」をめぐる情勢
① 芦浜原発計画白紙撤回
 2000年2月22日,北川正恭三重県知事によって中部電力による芦浜での原発計画に,ついに終止符が打たれました。
 即日,太田宏次中部電力社長が記者会見し,これまで続けてきた建設計画を断念する考えを明らかにしました。
② 原子力長期計画(長計)策定会議
 相次ぐ事故,そして事故隠しやウソの報告,国内外でのデータ捏造,さらにはJCO臨界事故と,国民は,原子力に対する理解どころか,不信感や安全性への疑問を感じており,「これ以上原発はいらない」という声も世論調査の度に多くなってきています。
 地球温暖化防止のためと考えられた原発増設計画も全く思うようにはいかず,政府は「長期計画」を見直さざるを得なくなりました。
 しかしその中身は,「日本には原発しかない。だから,国民にうまく説明しながら,これからも原発建設を進めていかなければならない。核燃料サイクルも継続して行くべき。あきらめるな!」と叫んでいます。

(7)電力自由化とグリーン料金制度への動き
① 電力自由化の流れ
 大口顧客向けの電力の小売りが3月21日,自由化されました。
 電力自由化の波は時代の流れです。コスト削減のためには,原発の新規立地が足かせになってきます。
② グリーン電力制
 総合エネルギー調査会(通産相の諮問機関)の新エネルギー部会が7月14日開かれ,電力業界代表の委員は,希望者から月額500円程度の寄付を集めて自然エネルギー発電への助成に回す「グリーン電力制」の導入を正式に発表しました。

(8)立地点での不満-全国原発立地市町村議会サミット
 原発や関連施設のある全国の市町村の議長会が主催する「全国原子力発電所立地市町村議会サミット」が11月15,16の両日,東京で開催されました。このサミットは今回で2回目です。約350名の市町村議員が集まり,5つの分科会で話し合いがもたれました(珠洲市議会からは17名が参加)。
 既に原発やその関連施設がある市町村がほとんどで,そこでは「原発が描いてくれた夢の実現」ではなく「原発がもたらした生々しい苦悩」が語られました。参加した柳田達雄市議は,これらの議論を聞いていて共通して言えることは,「安全性については国を信用して原発立地を進めてきたが,相次ぐ事故やそれへの対応の無責任さからも<国にだまされた>という思いが強いということ」「<地域振興に役立つ>と言われてきたが,原発の建設中には確かに活気があったけれども,景気が良かったのはその時だけで,建設が終わると火の消えたような状況になっていること」だと述べています(『珠洲市民会議議会報告№30』より)。
 実際,最近の増設の動きを見ていると,「新しい原発で,もう一度建設時の活性化を下さい」と地元自らが,原発マリファナの泥沼に入っていく様子がうかがえます。

(9)能登(志賀)原発をめぐる情勢
① 志賀原発2号機建設差し止め訴訟
 8月31日,北陸電力の志賀原発2号機(ABWR,出力135.8万kW)について,地元住民や反連協・市民団体のメンバーら17都府県の計135名が同社を相手取り,建設差し止めを求める訴訟を金沢地裁に起こしました。原告らは「経済優先の改良設計で安全性が損なわれ,住民生活や環境を侵す危険性がある」としています。
 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)は,すでに柏崎・刈羽原発6,7号機で営業運転していますが,この3年半で,9回も事故を起こしています。
 2号機建設差し止め訴訟を通して,安全性より経済性を追求する電力の姿勢を問い質すことが必要です。
② 第1回口頭弁論
 2号機差し止め訴訟の第1回口頭弁論が12月17日,金沢地裁(渡辺修明裁判長)で開かれました。原告側は志田弘子さんと藤岡彰弘さんが意見陳述を行いました。
 続いて岩淵正明弁護士らが,訴状の要約を朗読しました。
③ 連帯労組ら県に申し入れ
 東海村の臨界事故を受け,石川県連帯労組会議と社民党県連合,県議会派スクラム喜望(北野進県議所属)は,10月6日,県に対し,「北陸電力に志賀原発1号機の運転マニュアルや品質管理マニュアルの公開を求め,県の責任で総点検を行うこと」など4項目を申し入れました。これに対し,杉本勇寿副知事は,「マニュアルの公開や安全対策の徹底」を北電側に求める意向を示しました。
 また,これとは別に多くの市民団体が連名で,志賀原発1号機の運転中止と2号機の増設反対及び珠洲原発白紙撤回を申し入れました。
 杉本副知事は珠洲原発に関して「現状では建設が無理だ」という思いを吐露しました。これら2つの申し入れに,反連協の柳田達雄会長も参加しました。
④ 燃料92体を搬入
 5月16日,志賀原発1号機に,ウランを原料とする核燃料集合体92体を新たに搬入しました。
 また,搬入の際には,未明から県連帯労組会議や反連協などの労働者ら約200名が集合し,抗議行動を展開しました。総括集会では,細井議長が,珠洲市長選での泉谷氏の支援を訴えました。

2 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県議会に見る珠洲原発
① 1999年6月定例会
 昨年4月の県議選では,北野進氏が上田県議を押さえトップ当選を果たしました。また,珠洲市議選でも宝立町から新人候補を擁立し,珠洲市民会議のメンバーは6名となりました。
 こうした状況の中で開かれた県議会6月定例会で,北野氏は,「今回の統一地方選挙の結果をどのように受けとめられたか」「立地可能性調査再開は一段と遠のいたと思われますが」と質問しました。これに対して谷本知事は,「選挙の争点は原発問題だけではない」「住民合意にもいろいろな物差しがある」と答えました。
② 1999年9月定例会
 9月27日に開かれた9月定例会では,石田忠夫県議(自民党)が「知事はいつまで住民合意を待つというスタンスを続けるのか」「もっと国家プロジェクトとして取り組むべきではないのか」と迫りましたが,谷本知事は「基本的なスタンスは議案説明で述べたとおり」「珠洲市におきますこの原子力発電所の立地につきましては,正直言って現状においては賛否両論があるということでございます」と述べるにとどまり,あくまでも珠洲市の出方に待つ姿勢を崩しませんでした。
 また9月28日の定例会に質問にたった田中博人県議(21世紀政経研究会)は,「住民合意の内容」を問いました。これに対し,知事は,「選挙だけではなく漁協の合意や土地の確保の状況も合意形成の物差しとなる」という考えを示しました。
③ 1999年12月定例会
 12月9日の県議会定例会で,北野氏は,『朝日新聞』等で報道された「関西電力による不正な用地取得疑惑」について,県の姿勢を問い質しました。これに対し,知事は「電力会社が法律に認められた範囲内で用地取得をするというのは,これはある意味では当然のこと」「用地の取得の過程において仮に違法な行為があった場合には,それぞれの関係法令に照らして適切に対処されるもの」と述べ,「関西電力の土地の確保は当然」という考えを示しました。また,米澤友宏企画開発部長は「県は,これまで電力会社からは用地確保の全体状況については住民合意の判断基準の一つでもあることから節目節目に報告を受けてきた」と述べ,定期的に土地確保の状況の報告を受けていたことを認めました。

(2)珠洲市議会に見る珠洲原発
① 1999年6月定例会
 6月14日,珠洲市議会の一般質問が行われました。登壇したほとんどの議員が原発問題を取り上げました。
 反対派の赤坂敏昭議員(珠洲市民会議)は,県議選で反原発候補の北野氏がトップで当選し,市議会でも反原発候補が一議席延ばした統一地方選の結果を踏まえて原発に頼らない地域振興策を模索するよう求めました。
 これに対し,貝藏市長は「市の財源確保には電源立地は有力な選択肢の一つ」として,今後も推進に努力する考えを示しました。
② 1999年9月定例会
 9月定例会の一般質問は9月20日行われ,10名の議員が質問に立ちました。
 柳田達雄議員が「珠洲市が1999年5月6日に発足させた<電源立地推進プロジェクトチーム>では,これまで何を検討してきたのか。地域振興につながることだけを検討するのはおかしいのではないか」と質問しました。これに対し,谷充行助役は「電源立地に伴う効果について,発電所の建設及び運転中の発注効果,従事者の給与や消費効果,宿泊効果,電気料金の割引,電源三法交付金や税収増などの市財政の効果,さらには周辺市町村への効果といった,総合的見地から検討・協議している」と述べるにとどまりました。
③ 1999年12月定例会
 12月13日,13名が一般質問にたちました。
 柳田達雄議員の「1999年の秋,原発推進に向けた決起大会は予定されていたのか」という質問に対して,上野武守電源立地対策課長は「電源立地を推進するための市民学習会の計画があったことは知っている」「東海村の臨界事故の内容等の見極め,あるいは講師の都合により開催を延期したと聞いている」と答え,そういう流れがあったことを認めました。
 さらに,小谷内毅議員(珠洲市民会議)が「<全国原発立地市町村議会サミット>での話は,珠洲で出されている原発宣伝PRと非常に大きな違いがあったと思うが,市長はこのサミットの報告を受けているのか」と質問したのに対し,「一昨年,昨年と内容については,エネルギー議論を国民的課題として真剣に議論され大変有意義な大会であったと聞いております」「議会サミットが継続され,電源立地に対する理解がさらに深まることを期待する」と述べました。
 このサミットでの結論を,その「宣言」から一部引用します。
「核燃料サイクルの実現性,意義,バックエンド対策,プルサーマル計画の実効性,安全性,国民的課題における住民投票の位置づけ,今後における原子力のあり方についてはそれぞれ意見が分かれた。」
「日本という国の信頼も失った今回の東海村での事故を契機として,原子力行政を謙虚に見直し,原子力施設と共存している私たち地元の苦労が,議論が,本当の意味で報われるような社会であってもらいたい。」
④ 2000年3月定例会
 3月定例議会は9日に一般質問があり,11名が質問しました。
 柳田達雄議員は,原発立地を巡り25年来,是非の論議が続いてきた経緯から,「市長は住民の理解促進にこれまでどんな努力をして,成果はどうだったのか総括して欲しい」と迫まりました。しかし,貝藏市長は原発立地の有効性を強調し,いつもどおり「立地推進に取り組みたい」と述べるにとどまりました。
⑤ 2000年6月定例会
 珠洲市長選後の7月4日,珠洲市議会6月定例会の一般質問がありました。9名の議員が質問しました。
 原発関係の各質問に対し,貝藏市長は,改めて立地促進に向けた積極姿勢を強調しつつも,具体的な取り組みや調査の時期についての踏み込んだ発言はありませんでした。

(3)珠洲市の動き
① エネメイト講座開催(第1回目は2000年7月28日)
 珠洲市では,今年も7月下旬から9月中旬までエネメイト講座を実施する予定です。一般公募による参加者が,原子力発電に関する知識や電源立地が地域にもたらす様々なメリットについて自分たちの目で見て聞いて理解するもので,今年でで3回目。20代から50代を中心に70名の募集。ここでも「メリット」のみが,その学習の対象とされており,一方的な推進の「ご理解」を得るためのものでしかありません。
② 『広報すず』にみる推進の動き
 毎月,「地域振興-電源地域のサクセス・ストーリー」というコーナーで,「発電所建設の見返りのお金で,各地域はこんな事をしていますよ」ということを紹介しています。

(4)推進派の動き
① 電力会社の動き
■珠洲原発用地疑惑・矢部医師の脱税容疑
 1999年10月11日(月),
『朝日新聞』の1面トップ記事に「関電,ゼネコンに買収依頼/原発用地,関係4社が取得」と大きく報じられました。
 関西電力が原発を計画している高屋地区で,関西電力がゼネコンに原発用地の買収を依頼していた疑いが出てきたのです。原発立地をめぐる土地取引では,他の立地点でも住民を欺く様々な手口が使われてきましたが,その実態が明らかになるのはきわめて珍しいことです。
 きっかけは高屋出身で神奈川県在住の医師矢部氏の土地売買に関する脱税事件です。起訴状によると,矢部氏とその親族は1994年2月までに珠洲市高屋町で所有していた宅地,山林など約10万㎡を,東京都千代田区の不動産会社「アール・アンド・エム」など4社に9分割し,合計約7億5000万円で売却しました。これにより矢部氏は,約4億4700万円の譲渡所得を得たわけですが,この土地を担保に「アール・アンド・エム」から金を借りた形にして同年分の所得税など1億3300万円を免れたとされています。この土地は珠洲原発の調査予定地とその周辺地区にあたると考えられており,「アール・アンド・エム」などがいったん取得した後,清水建設,西松建設(関西電力珠洲立地事務所前部長の天下り先でもある),佐藤工業,熊谷組といったゼネコンの,それぞれの関係会社が買い取ったとされます 。国土法では1万㎡を超える土地取引については事前に知事への届け出が義務付けられていますので,売買の表面化を避けるために分割したものと思われます。
■関西電力の関与も発覚
 今回の脱税事件の調査の際,東京国税局査察部は関西電力珠洲立地事務所から清水建設の関係会社が取得していた土地の権利証を押収していたのです。印鑑証明も3ヶ月ごとに入手していたことが発覚しました。
 さらに1999年10月22日に開かれた第二回公判で矢部被告は「関電の意向で,買収が公になっても構わない時期になってから所有権移転登記を済ませた時点で申告するつもりだった」と陳述。一連の用地買収に関電が深く関与していたことが明らかになりました。立地環境本部長である宮本一関電副社長は,ゼネコン関係会社と地上権設定契約を結んで,これらの土地を確保していることを明らかにしました。売買の事実を隠すため登記上は地上権を設定せず,関係会社には毎年,地上権料を払っていたといいます。
■立地可能性調査は建設への一里塚
 今回の関電隠しの偽装用地買収によって,これまで県や市,そして地元の推進派が説明してきた立地可能性調査の定義は否定されました。私たちがこれまで主張してきたように,立地可能性調査とは「建設を前提とした調査」「建設への一里塚となる調査」であることが裏付けられたのです。
 県と市は電力と一体となり(推進派も含めた)住民を騙してきたのか,あるいは電力に騙されてきたのか,その釈明が求められます。
② 珠洲電源開発協議会
 あいかわらず,テレビ・ラジオにコマーシャルを流し,原発推進の宣伝に努めています。放射性廃棄物の始末もできない,糞づまりの原発に未来はありません。私たちの収める電気料金を,コマーシャルにつかうのはもってのほかで,自粛すべきです。
③ 珠洲原発推進調査研究会
 珠洲市の原発推進組織「珠洲原発推進調査研究会」は,2000年1月24日,新春懇談会を開きました。昨年9月の東海村臨界事故を受けて,安全性を重視した原発立地推進を誓い合ったそうです。三盃太二郎会長が「理解者の輪を広げ,一刻も早い調査着手を願いたい」と挨拶したあと,貝藏市長は「安全な原発の立地推進に全力を注ぎ,今年は市長選もあるが,安心して暮らせるまちづくりに頑張りたい」と述べたと『北國新聞』は報道しています。
 事故があろうが,情勢がどう変わろうが「積極推進に変わりはない」という彼らの姿勢こそ,度重なる重大な事故を起こしている元凶であることを忘れてはなりません。電源立地広報センターの活動も同様です。
④ 珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会
 市長選後の7月5日,「電源立地に“弾み”貝藏市長 圧勝する!!」と題したオピニオンリーダー協議会発行のチラシが新聞に折り込まれました。
 チラシは「今回の市長選は,前回の選挙より電源立地の推進をより強く表明し,2610票の大差で勝利しました。4年前の差を,4割以上も増やしての大勝です。これは珠洲の原子力発電所立地問題に決着をという,多くの市民の皆様の切なる願いの結果であ」るとしています。
⑤ 調査の早期再開求め市長に要望書
 珠洲市の「高屋町づくり推進会」のメンバー5名が2000年7月11日,市役所を訪れ,貝藏治市長と小林信忠市議会副議長に対し,珠洲原発の立地可能性調査の早期再開を求める要望書を提出しました。
 番匠副会長が「先の市長選での貝藏市長の大勝は,多くの市民が可能性調査の早期再開を願う意思表示であり,このことを真摯に受け止めて欲しい。高屋町のまちづくり構想案と電源立地が共存共栄できるか否かを見極めるためにも,早急に可能性調査を再開するよう強く要望する」と要望書を読み上げました。これに対し,貝藏市長は「高屋町の皆さんの希望にかなうように,関連団体と連携を密にして一生懸命やっていきたい」と答えました('00.7.21『うなばら珠洲・第224号』)。

(5)反原発運動の状況
① 珠洲原発事前調査阻止闘争委員会の結成
 1999年7月25日,珠洲原発事前調査阻止闘争委員会の第1回会合が珠洲市高屋町の円龍寺で開かれました。今後の取り組みを出し合った後,参加者で決議を確認しました([資料32])。
 従来の市内の反原発グループとの連携に加え,隣接市町村の反原発住民も含めて広域的な阻止行動ができる組織を目指し,北野進委員長のほか,珠洲市10地区の反対派住民の代表10人と市議6人,反連協,珠洲市単組協,それに輪島市や内浦町の反対派住民,顧問弁護士ら27名で組織されました。このような隣接市町村の反対派住民をも加えた広域的な組織の発足は市民レベルでは初めてで,事前調査再開に向けての推進派の動きを牽制しました。
 「珠洲原発事前調査阻止闘争委員会」は,8月12日,飯田町乗光寺で敦賀原発2号機1次冷却水漏れ事故をテーマに講演会を開きました。講師は,小林圭二・京都大学原子炉実験所助手。配管の亀裂を事前に発見できなかった定期検査のミスを指摘しながら「金属疲労の原因とされる激しい温度差がなぜ生じたのかは専門家の調査でも解明されていない。今後も同様の事故が起きる可能性がある」と警告しました。
② 珠洲市長選の経過と結果
 2000年7月の任期満了に伴う珠洲市長選に向け,ネットワーク・反連協等の反対派は,「今度こそ珠洲原発の決着をつける」べく,万全の体制で臨むことを確認し,候補者の選定にあたりました。
 選定委員会は99年7月から十数回の会合を重ねました。そこでは,幅広く市民の結集を得るため,凍結を掲げる候補も視野に入れて選定作業を進めていきました。
 紆余曲折の末,飯田町に在住の泉谷満寿裕氏の支持を決定しました。飯田町や泉谷氏支持の若者たちの状況を見ながら,泉谷氏と政策協定を結び「凍結」を掲げて闘うことを確認しました。
 2000年3月15日,泉谷氏が,地元の飯田町商店街協同組合に出馬の意向を知らせたことが新聞に掲載され,これが事実上の出馬表明となりました。3月21日,泉谷氏は「基本政策」を発表。「長年,賛成・反対で市民を二つに分けてきた原発問題を一度横に置き,今,市民が協力してできる地域の活性化策を考えていきたい」「このままでは珠洲は取り残される」と「原発凍結」の姿勢を示しました。
 5月1日,珠洲原発ネットワークは労働会館で会合を開き,泉谷満寿裕氏と政策協定を結び,支援体制に入ることを確認しました。ネットワークは,5月18日,独自に「泉谷ますひろネットワーク後援会」を立ち上げました。
 また,5月11日,珠洲市勤労協単組協議会・珠洲市勤労者協議会も,泉谷氏支持を決定し,政策協定を結びました([資料33])。
 その後,県高教組・県教組や県連帯労組会議も支持を表明するなど,県下労働組合の幅広い支持も得ることができました。
 しかし,その一方で,市の選管は市職員同士のスポーツ大会への参加を理由に,市長選投票日を6月18日としました(当初は7月8日頃と予想されていた)。この選管の決定に対し,珠洲市民会議は抗議の声明を発表しました。
 珠洲原発反対ネットワークは,5月27日,28日と6月4日,5日には藤田祐幸氏を,5月31日には藤井学昭氏を迎えて各地で講演会を開催しました。東海村での事故の意味やその後の村民の様子に加え,「珠洲が廃棄物処分場になる可能性が高い」「原発は後始末の時代にさしかかっている」という話を聞き,学習を深めました。
 また,泉谷氏の経済人としての人脈も手伝い,輪島市や門前町・能都町などからも応援演説に来られました。
 6月18日,投票と開票が行われました。結果は以下の通りで,泉谷氏は,貝藏氏に
2610票も差を付けられ,完敗しました。
◇2000年 珠洲市長選開票結果
  投票率 90.54%
   当選 貝藏 治    9,300
       泉谷満寿裕   6,690   (無効 100,不受理3)
 今回の市長選挙は,飯田町後援会,ネットワーク後援会,労組選対と,複数の選対が力を合わせて新しい枠組みの下で闘えるはずの選挙でした。しかし,三者三様で選挙運動全体の足並みがそろわず,最後までギクシャクしていました。また,泉谷氏が前回・前々回の樫田候補と比べ知名度が高くなく,顔を知らない人が多かったこともマイナス要因でした。これは選挙投票日が早まったことにより,なおさら際だちました。さらに,「原発はどっちみち建たないだろう」というような楽観ムードを最後まで払拭することは出来ませんでした。「珠洲は核の廃棄物処分場になるかもしれない」というこちらの訴えも,広く市民に共感を持たせるまでにはいきませんでした。
③ 衆議院選・参議院補選
 衆議院が解散され,6月13日公示,6月25日投票の日程で,第42回衆議院選挙が始まりました。石川県では,この衆院選に現参院議員の馳浩氏がくら替え出馬を表明したことにより,同時に参院補選も行われることになりました。
 衆院選には,社民党石川県連合や石川県連帯労組会議は独自の候補者をたてませんでした。そして,民主党3区総支部代表の池田健三郎氏が立候補を表明したのに伴い,日本労働組合総連合石川県連合会や社民党石川県連合は協定書をかわし,池田健三郎氏支持を決定しました。
 協定書には,珠洲原発について以下のように書かれています。
・連合との協定書…11.原子力発電所については,①安全性の確保,②情報の公開,③住民の合意を前提に対応する
・社民党との協定書…(2)珠洲における原子力発電所立地計画については,立地可能性の調査の是非を含めて現地における住民合意を尊重する立場に立つ。なお,エネルギー問題全般については,次世代エネルギーの開発促進の立場で政策提言を行う。
 一方,参院補選には,橋本和雄連合石川事務局長が擁立されました。橋本氏の支持についても,衆院の池田氏同様の闘いを進めていくことになりました。
 珠洲単組協は,6月20日~24日まで,連日,衆参の選挙のための取り組みを行いました。
 また,6月9日には大運寺で「はしもと和雄総決起集会」を,6月21日には,内浦町福祉センターで「池田けんざぶろう総決起集会」を開催しました。
 珠洲においては,すでに市長選に負けており,なかなか元気の出ない選挙になってしまったことは残念です。

◇2000年 第42回衆議院選石川3区開票結果(投票率68.34%)
                       得票数   珠洲
 当 選 瓦   力(自民・前)  13万3667票  9648票
      池田健三郎(民主・新)  3万9687票  2673票
      坂本  浩(共産・新)     8176票   457票
      種部 秀之(自由連合・新) 3123票   157票
                無効     408票
◇2000年 参議院石川補選開票結果(投票率68.69%)
                        得票数     珠洲
 当 選 沓掛 哲男(自民・元)   36万9915票   8816票
      橋本 和雄(無所属・新) 16万7338票   2984票
      尾西 洋子(共産・新)    7万1887票   839票
                  無効     709票

3 反連協の取り組みと経過

(1)珠洲市長選
 6月に行われた珠洲市長選に対して,反連協は,これまでの「珠洲原発反対運動」の継続性を第一にしながらも,珠洲市民の「嫌戦ムード」の現状も考慮し,よりよい候補者を擁立しようと,選考委員会にも参加してきました。
 そんな中で,前述したように,単組協ともに,珠洲市長選に関わってきました。
 会長の柳田達雄市議は,労組選対の事務局に貼り付き様々な仕事をこなす一方で,泉谷氏と共に町内の挨拶まわりも精力的に行いました。
 また,4~6月には,4枚のチラシを作成し新聞に折り込み,「原発の現状」を広く市民にアピールしました。
 そのほか,各地の個人演説会やミニ集会などにも参加し,単組協の運動に参加する形で,様々な取り組みを行いました。
 結果は,前回の市長選以上の得票差を許してしまいました。現職の強みがあったとはいうものの,反対派の読みの甘さがあったことも否めません。
 今一度,反連協結成の原点に返り,バランスのとれた運動を作っていかなければなりません。

(2)衆議院選・参議院補選
 衆参選挙でも,単組協の一員として,集会への出席や票の掘り起こしなどに取り組みました。しかし,残念ながら選挙結果は,前回を下回る得票となり,国政選挙でも敗北となりました。

(3)第4回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
 1999年10月23日(土)~24日(日)にかけて「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」が行われました。今年で4回めとなるこの催しは,市民の間にもすっかり定着したようです。珠洲原発反対ネットワークや反連協のメンバーが中心となり実行委員会を結成し,単組協議会や珠洲教組の全面的なバックアップの下,ボランティアで活動に取り組んできました。
① 映画『鉄道員-ぽっぽや』上映
 1999年10月23日(土),緑丘中学校体育館において話題の映画『鉄道員』の上映をしました。約700名以上もの参加があり,大好評を得ることが出来ました。
 また,のと鉄道の協賛を得て,珠洲~宇出津間の貸切臨時列車を出し,映画を見終えた人に利用してもらいました(60名が乗車)。さらに「能登鉄道友の会」の会員による冊子の販売もありました。単なる映画の開催ではなく,のと鉄道をPRするいい機会にもなりました。
② 第4回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」
 10月24日,午前10時~午後3時頃まで,鉢ヶ崎健康運動広場(通称:わくわく夢らんど広場)で,フリーマーケットをはじめとする催し物を企画しました。市民が自由に出店をして,リサイクル品や自分の畑に採れたものを販売しました。天候にも恵まれ,2500名以上の人出でした。
 フリーマーケットは,昨年以上にお店が出て盛況でした。
 昨年の課題であった「反連協のお店」も出すことが出来ました。商品としては,原子力資料情報室をはじめとする各種パンフの販売,砂山信一氏の絵のコピーなどでした。
 また,ステージの方では,地元の高校生バンドや教員の演奏・歌があり,より地域に密着した取り組みとなりました。
 秋祭りの取り組みが,今後,さらに,地域に密着した催し物になるような工夫が必要です。

(4)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 反連協は,この1年も,毎月1回の割合で行われたネットワークの会合に参加して来ました。1999年度は,以下のように,12回の会合が持たれました。
 1999年 7/6,10/3,10/29,11/27,12/22
 2000年 1/25,3/24,5/1,5/29,6/19,6/27,7/14

(5)情宣活動
① チラシの折り込み
 以下のように,反連協は,チラシを5回新聞に折り込みました。
 1999年10月26日 10月号チラシ「反原子力の日」
 2000年 1月 1日 1月号チラシ「今年こそ原子力政策の転換を」
      4月 9日 4月号チラシ「芦浜原発計画白紙撤回」
      5月27日 5月号チラシ「原発は地球温暖化防止に…」
     6月10日 6月号チラシ「珠洲が廃棄物処分場になる…」
 また,6月14日には,手配り用のビラも作成しました(内容「高屋の土地をめぐるゼネコン等の話」)。
 さらに,昨年10月から数度にわたって『朝日新聞』が全国版で大きく報道した「関電・清水建設などによる高屋での土地疑惑」のコピー版を作成・配布しました。
② 街宣活動
 以下のように3回行いました。
 1999年7月24日(土)… 「能登ピースサイクル」に伴走,街宣
 2000年3月26日(日)… 「芦浜原発計画白紙撤回」の街宣(午前)
      4月 1日(土)… 「芦浜原発計画白紙撤回」の街宣(午後)
 今まで使用していた街宣車が古くなったので,ネットワークの街宣車を譲り受けました。

(6)集会への参加
 集会への参加は,以下の通りです。
① 志賀原発2号機建設反対(デモ・集会)
 1999年8月28日,志賀町で,志賀原発2号機増設に反対する集会・デモがあり,800名が参加しました。反連協からも柳田会長,平田副会長をはじめ5名が参加し,原発反対を誓い合い他地区との連帯を深めました。
② 志賀原発核燃料搬入反対行動
 2000年5月16日,志賀原発1号機用の核燃料集合体92体が,同発電所に運び込まれました。県連帯労組会議のメンバーら150名が参加し,輸送ルート周辺をデモ行進し,県若葉体育館前で総括集会を開きました。柳田会長が参加しました。
③ 高浜原発用MOX燃料搬入抗議行動(集会・デモ)
 国内初のプルサーマルが予定されている関西電力高浜原発4号機で,1999年10月1日,ものものしい警備の中MOX燃料が到着しました。抗議集会・デモには,柳田会長が参加しました。
④ 日教組全国教研集会
 2000年1月の日教組全国教研は,金沢で開催されました。「環境・公害と食教育」分科会で,「珠洲原発」の現状を報告しました。

(7)市への申し入れ
 1999年10月15日,反連協は,珠洲原発事前調査阻止闘争委員会,珠洲原発反対ネットワークとの連名で東海村臨界事故の件で珠洲市へ申し入れを行いました。「今回の事故で,我が国の原子力政策が破綻し,原発立地の大前提である『安全性の確保』が崩れ去っていることが明らかになった」と,立地計画の撤回を主張しました([資料34])。
 これに対し貝藏市長は「被曝者が多数出る,かつてない惨事となり大変残念」と憂慮しながらも,事故が原発ではなく燃料加工施設で起きたことを指摘し,「電力,国と連携して現地説明会を開くなど,原発立地に向け市民の不安解消に務めていきたい」と従来通りの姿勢を堅持しただけでした。
 続いて,関西・中部・北陸の電力3社でつくる珠洲電源開発協議会へも同様の申し入れを行いました。この中で関西電力側は,原発の立地可能性調査の予定地を大手ゼネコンや関連会社を通じて先行取得していたのではないかという疑惑について「予定地の8割は地主と賃貸契約を結んだが,(ゼネコンなどを介して)先行取得はしていない」と全面的に否定しました[これは後ほどウソだったことが判明した]。
 この反対派の申し入れに先立ち,いつもながら推進派の市原発立地推進協議会の代表10人が原発の安全管理徹底を求める要望書を提出しました。


  反連協のあゆみ