反連協のあゆみ 
9 四面楚歌の珠洲原発計画
2000年度の活動
 2000年度の反連協の第23回総会は,7月31日に珠洲労働会館で開かれました。珠洲市長選と,それに続く衆議院選・参議院補選の影響で例年より総会を開くのが遅れました。

1 2000年度の経過

(1)チェルノブイリ原発閉鎖(省略)
(2)米国・ブッシュ大統領,原発推進政策を発表(省略)

(3)ドイツ,原発から完全撤退
 2000年6月15日,脱原発を掲げたドイツのシュレーダー政権と4大電力会社は,すべての原発の順次廃止を前提とした原子力政策に関する協議に合意しました。   2001年6月11日,ベルリンで「原発の寿命を運転開始から平均32年とし,国内19基の原発を順次廃棄する協定」に調印しました。これを受け,政府は年内にも原子力法を改正し,原発の新規建設禁止などを盛り込む予定です。
 原発の運転効率に左右されますが,運転期間が平均通りならば約20年後にはドイツの全原発が廃棄される形になります。また,使用済み燃料の再処理は2005年7月以降,最終処分場に直接持ち込むことに限定することになっています。
 先進国では,電力の自由化も手伝って,原発はすでに後始末の時代に入りました。

(4)刈羽村住民投票と日本のプルサーマル計画
① プルサーマル住民投票
 2001年5月27日に投票が行われたプルサーマル計画の是非を問う新潟県刈羽村の住民投票は,反対多数で勝利しました。6月1日,新潟県知事と柏崎市長・刈羽村村長は会談して,東京電力にMOX燃料の装荷先送りを要請し,東京電力も先送りを決定しました。投票結果は以下のとおりです。
  反対 1925票(有効得票数の54%,有権者数の47%)
  賛成 1533票
  保留  131票
 刈羽村のプルサーマル論議は,97年1月の計画発表以来4年を越え,この間住民は学習を重ね,「プルサーマルNO」と判断したのです。東京電力や政府が「理解活動が不十分だった。今後も地元の理解を求めていく」とコメントしたことに対し,原発反対刈羽村を守る会は「刈羽村でのプルサーマル論議は終わった。これ以上プルサーマル論議を続けるのは条例違反。国や東京電力はストーカーと同じだ」と声明を発表しました。
② 相次ぐ地方自治体首長の「原子力計画見直し発言」
 東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)のプルサーマル計画凍結を受けて,平山征夫新潟県知事は6月15日,平沼赳夫経済産業相を訪れ,「当初計画に沿った実施が当面困難になった現状を踏まえ,国として全体計画を弾力的に見直すなど対応策を検討し,国民に示す必要がある」とする地元自治体としての提言を手渡しました。平沼経産相は「真摯に受け止める」と答えました。
 平山知事は「核燃料サイクル政策について,その意義や必要性について,明確な形で国民に示すべきだ」と国の対応を批判しました。
 これまでも,福島県の佐藤栄佐久知事が福島第一原発3号機で予定しているプルサーマル計画について「原発は100年,1000年の問題。腰を落ち着けて判断させていただきたい」「時間がどうこうとか,1年延期するとかいう問題ではない。県民,国民が理解していない」と述べたと報道されています。

(5)「もんじゅ」再開の動き(省略)

(6)「原発特措法」可決(省略)

(7)電力自由化に晒される電力会社
 2001年2月8日,東京電力の種市副社長が記者会見し,東電が計画している発電設備の建設を凍結すると発表しました。凍結期間は3~5年。既に設備過剰の状態にあったことに加え,最近の電力需要の伸びの鈍化と自家発電の増加などの状況下で,増設路線が限界に達したための措置です。
 この会見では福島第一7号・8号と東通1号・2号も凍結の検討対象としていましたが,翌日には南社長が急遽会見し,「原発は例外として今後も推進する」と述べました。この社長の会見は,本音をウソで隠そうとしたとも言えます。
 また,3月8日,関西電力も新設を予定している発電所の運転開始時期を先送りする方針を明らかにしました。東電や関電のみならず他の電力会社も同様の状況にあります。自由化の波は,新規電源立地に対して大きなブレーキとなってきています。

(8)中間貯蔵施設について(省略)

(9)能登(志賀)原発をめぐる情勢
① 志賀原発1号機運転差し止め請求棄却
 最高裁第3小法廷は2000年12月19日,住民側の上告を棄却しました。志賀原発1号機運転差し止め訴訟の提訴から12年あまりを経ての住民側敗訴の決定でした。筆頭原告の川辺茂さんは「最高裁の判断は予想がついた」としながらも,やはり失望は隠せず「このまま『負の遺産』を子どもたちに背負わせることになる」と悔しさをにじませました('00.12.20付『北國新聞』)。
② 志賀原発2号機建設差し止め訴訟
■第5回口頭弁論(2000.9.8)
 原告は,MOX燃料検査データー捏造事件を追及した『準備書面⑤』と共に『準備書面⑥』を提出し,「事故の危険以前に,核のゴミという解決できない危険物を残す施設は許されるのか」という問題を無視しようとする北電の態度を厳しく批判しました。渡辺裁判長も「核のゴミの問題と原発の不要性について被告はもっと反論すべきだ」と指示しました。
■第6回口頭弁論(2000.11.17)
 この日は,あいにく県の原子力防災訓練と重なりましたが,原告団など40名が傍聴しました。
 北電は,前回の弁論で再釈明を求められた高レベル廃棄物の最終処分や使用済み核燃料の再処理について「別の再処理業者や高レベル廃棄物貯蔵などで行うこと。当社の問題ではなく,この裁判の争点にならない」と改めて主張。これに対し原告側は「他の業者が処理するからといって排出しているのは北電。あとのことは知らないという北電の態度こそ問題」と激しく反論し,法廷は一時緊迫する場面もありました。
 また原告側の奥村弁護士が準備書面⑦『チェルノブイリ事故の現在の被害状況』を提出しました。
■第7回口頭弁論(2001.1.25)
 原告側は準備書面⑨『行き場のない高レベル廃棄物と許されざる原発の稼働』を提出し,前川直善弁護士が陳述しました。「核燃料サイクル政策は完全に破綻し,核のゴミは貯まり続けており,プルサーマル計画も場当たり的なものでしかない。結果に責任をとれない膨大な廃棄物を残すような施設は差し止められるべきだ」と。
 これに対し北電は,この日も「2号機の具体的な危険性のみが争点」との主張をくり返しました。
■第8回口頭弁論(2001.3.23)
 原告側は準備書面⑩『原子力政策の破綻と新エネルギーの時代』を提出し,高見健次郎弁護士が要旨を陳述しました。
 この中で,「国-電力の原発推進政策は安全性だけでなく,全ての面で破綻していること」「環境保全と省エネルギーに逆行するばかりか,電力構造を硬直化させ資源小国日本のエネルギー政策自体を危うくしていること」「天然ガス発電や燃料電池など省エネ・分散型エネルギーの時代が目前となり,産業界もそこに全力をかたむけていること」「北電はピーク時でも電力が余っており,原発は1号機も含めて不要であること」を強調しました。
■第9回口頭弁論(2001.5.31)
 原告側は証人として,以下の3名を採用するように裁判所に申請しました。
・武本和幸さん(前刈羽村議)…2号機と同型のABWR=柏崎刈羽原発6・7号機の相次ぐ事故と,先に勝利したプルサーマル住民投票について生々しい証言を予定。
・澤井正子さん(原子力資料情報室)…核燃料サイクル問題担当スタッフとして,高レベル廃棄物の現状と問題点について証言を予定。
・長谷川公一さん(東北大学教授)…日本の原子力政策の破綻と今後の電力需給見通し,さらにはJCO事故後の住民アンケート調査についても証言を予定。
 3人を証人として採用するか否かは,次回に決めることになりました。
③ 命のネットワーク結成
 志賀町と周辺6市町の住民を対象にした原子力自主防災組織「能登原発・命のネットワーク」の結成総会が2000年3月10日,羽咋市の羽咋労働福祉会館で開かれました。総会には,約70名が出席し,「放射線量の統一測定を実施すること」「ヨウ素剤を共同で購入し,会員とその家族に配布する」などの活動を中心に取り組んでいくことを申し合わせました。
 自治体の枠を越える民間の広域的な原子力自主防災組織は,国内初の快挙です。今後の活動が注目されます。

2 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県議会に見る珠洲原発
① 2000年12月定例会
 自民党からは,小倉幹事長代理が質問に立ちました。
 珠洲原発について,自民党県連と電力会社との懇談から一歩も進まない状況にふれ,「電力会社など各方面からの意見聴取の中で多くの課題も感じた。一日も早い解決が望まれるが困難だ」と述べ,知事に対し地域住民との直接対話で生の声を聞き,事態の打開を図るよう求めました。これに対し知事は,これまで通り,地元に入る段階ではないとし,さらに「地元には賛成,反対,あるいはその中間の方もいるだろうが,原発のようなビッグプロジェクトでは地元の一致結束が重要であり,そうでなければ推進力がない」という趣旨で答えました。調査再開には触れず,漁協対策にも踏み込まない控えめな代表質問に,逆に知事は原発立地の条件を,従来の「住民合意」からさらに「一致結束」へとハードルを高めたとも解釈できる答弁でした。
② 2000年2月定例会
 3月1日に行われた県議会代表質問で,向出議員(自民党)は珠洲原発について取り上げ,「周辺市町村長の慎重発言(後述)についての認識や広域的な広報活動への取組み」「原発立地特別措置法に基づく振興計画の恩恵を受ける見通し」などについて知事の見解を質しました。
 これに対し知事は,周辺市町村長の発言については「珠洲で住民合意が得られていないことの反映ではないか」との認識を示し,「広報活動の中で一つの方向性が示されることを期待する」と従来の見解を繰り返し述べました。また,先般行なわれた<外浦区長会と珠洲市民会議の懇談会を評価>し,今後の対話活動の継続への期待を示しました。

(2)梶輪島市長,珠洲原発に慎重発言
 珠洲市に隣接する輪島市の梶文秋市長は2000年12月7日,珠洲原発計画について,新聞社の取材に答え,「茨城県東海村の臨界事故など安全性の問題,ドイツなど世界の脱原発の流れ,観光立市としてエコエネルギー導入を進めていることなどから,珠洲原発には慎重に臨まざるをえない」と基本的に否定的な考えを明らかにしました。
 続く12月11日の市議会定例会でも,梶輪島市長は,高田議員の質問に答え,隣接市長の立場として「昨今の原子力事故に伴う安全性の問題,世界の脱原発の流れなど,信頼性が大きく揺らいでいる。珠洲の立地については今後の動向を注意深く見守っていくとともに,慎重な態度で臨む必要がある」と述べました。

(3)近隣市町村議会
① 柳田村議会
 珠洲市に隣接する柳田村の山口彦衛村長は12月12日に開かれた村議会一般質問で,「珠洲市民の意向が大事だが,現時点で市民の意思は統一されていない。この状態では(隣接自治体としての判断は)今後の検討課題としたい」とし,現段階では判断を下さず,当面,推移を見守る考えを示しました。
 これは,「珠洲原発が立地されると電源三法交付金が柳田村にも交付され,能登浮上のためにも大事である」とし,柳田村としてのアクションを求めた青木豊治議員の質問に対する答弁であり,梶文秋輪島市長の慎重発言に続く慎重発言となりました。
② 内浦町議会
 新谷功内浦町長は,12月17日開かれた町議会12月定例会で,隣接する珠洲市の原発計画について,「珠洲原発が珠洲市民の問題である」という従来の認識を繰り返した上で,「市民の意識がいまだ統一されたとは言い難いと考えられている。今後の動向を慎重にも慎重を期した態度で注意深く見守りたい」と慎重姿勢を強調しました。
 さらに新谷町長は「内浦町最大の基幹産業である水産振興,現在推進する海洋深層水の利活用を考えると,大きな風評被害またはイメージ的に少なからず影響があると思われる」と,珠洲原発に否定的とも受け止められる認識まで示しました。
 また2001年6月13日の内浦町議会一般質問で,小路礼一郎議員(社民党,反連協特別幹事)の質問で,7市町村でつくる奥能登の今年度の能登総合開発協議会北部部会が2001年5月,国・県の来年度予算編成に向けて最重点に事業化を要望する8件の中に「電源立地等大型プロジェクトの推進」が組み込まれていたことが分かりました。
 小路議員は「昨年の12月議会で,珠洲市近隣市町村の首長が慎重姿勢を表明したのに,奥能登共通の要望とした理由はなにか」と新谷町長の考えをただしました。新谷町長は「電源立地には原発以外に火力,水力,風力,太陽光なども含まれる。7市町村として取り上げたのはそういう意味である」と答えました。
③ 能都町議会
 能都町の持木一茂町長は,2001年3月14日開かれた町議会本会議で,山本一朗議員の珠洲原発についての質問に答え,「他の原発では魚のイメージが悪くなるなど風評被害を受けた例もあり,漁業振興を町政の柱にしている能都町として,珠洲原発の動向を慎重に見守りたい」と述べました。
 珠洲原発に対する周辺自治体首長の「慎重」「消極的」発言は,昨年12月議会の輪島市,内浦町,柳田村に続いて4人目です。
④ 四面楚歌の珠洲市長
 それぞれニュアンスは異なりますが,現時点で珠洲原発に賛意を示す近隣市町村の首長は一人もいないことが明らかになりました。昨年の臨時国会で原発立地周辺自治体も含め公共事業の補助率のかさ上げをするという『原発特措法』が可決された直後であり,さらに珠洲の推進派が,運動の行き詰まりの打開策として,近隣市町村からの推進の動きを期待し始めた矢先だっただけに,推進派の思惑は早々と破綻することになりました。
 推進派にとっては,住民合意の新たなハードルとして「周辺自治体の同意と協力」が設定されたわけであり,調査再開,原発立地への道はますます険しいものになったことは間違いありません。

(4)市町村合併と珠洲原発の行方
 市町村合併の議論が石川県内でも活発になってきました。
 しかし,「たとえ合併するにしても珠洲市とだけは一緒になりたくない」という声が近隣市町村から聞こえてきます。
 原発だけが行政課題で,原発さえできれば住民が幸せになれるかのような「原発一神教」信仰に陥っている今の珠洲市では,まともな「近所付き合い」もできず,広域行政のテーブルに着くことさえできません。

(5)珠洲市議会に見る珠洲原発
① 2000年9月定例会
 9月18日の一般質問では,7氏が質問に立ちました。
 珠洲市民会議の柳田達雄市議は,「原発を抜きにした,純粋に地域振興を担当する部局が必要ではないか。<まずは原発あき>というスタンスでいる限り,電源立地とは関係のない地域振興策を積極的に進めていく,そういう体制はないし,市民の全面的な協力も得られないのではないか」「9月9日付の『北國新聞』で,珠洲電源開発協議会を構成している関電,中電,北電の3社が取り組み体制として分担し,そのうち関電が振興チームというものを担当し,珠洲市の地域振興計画策定の支援をおこなっているという風に報道されている。いったい具体的に,どんな場でどんな形で行政のどの部署が支援を受けているのか,そして,これまでどんな実績があったのか」と質問しました。
 これに対し,谷充行助役は「電源立地を生かした地域振興策以外のことについては,企画調整課が各課との調整をとりながら事業の円滑化を図っている」と答えたにとどまりました。また,上野武守電源立地対策課長は,「この組織は,電力会社独自のプロジェクトチームであり,行政が取り組む市の地域振興計画策定には関わっていない」と答えました。
② 2000年12月定例会
 12月11日の一般質問には,8氏が質問に立ちました。
 珠洲市民会議の小谷内議員が「原発立地に対して人と人とがつながっていない状況がある。地域の活性化,地域力を高めるためには,この問題を解決することが必要だが,賛成・反対の溝の修復をどの様に考えておられるのか」「関西電力の土地収用にかかわって,法廷での証言が二転三転していることについて,どう思われるか」と質問しました。
 これに対し,貝藏市長は「地域力は,各方面の総合的な施策で高められると思っている」「電力会社が必要な土地は,賃借により確保していると聞いている。そのほかのことは聞いていない」と答えました。
 また,「原発についての正しい知識とはどういうことか」と珠洲市民会議の落合,柳田両議員からの質問には,貝藏市長は「正しい知識とは,現在日本で稼働している電源立地の状況等について理解していただく,また,必要性も理解していただくことだ」と答え,「<原発が必要だ>ということが正しい知識である」との認識を示しました。さらに,小谷内議員の関連質問に対し,成之坊教育長は「要するに危ないとか危なくないとか,どちらか一方を教えるのは正しくない。やるならきちんと両方教えるべきである」と答弁しました。
③ 2000年3月定例会
 3月12日,一般質問がおこなわれ,9氏が質問に立ちました。
 柳田達雄議員が,昨秋,珠洲市内の小中学校の現場で「エネルギーとまちづくりポスター作品募集」(主催:珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会,運営・渉外:㈱うなばら珠洲)の提出が強要された件について質問しました。
 この件は,「教育委員会も後援しているのに,学校が協力できないのか」という脅しが,何校かの学校にかけられたということから問題になりました。また,校長会でも協力するようにと話があったとの噂もあり,教育委員会の関与について追求しました。さらに,バカにできない金額の副賞が,学校や入賞者に渡されている事実に対する認識も尋ねました。
 これに対し,成之坊教育長は「ポスター募集の件は知っているが,教育委員会は特に後援していない。校長会にもそう伝えてある」「学校備品贈呈に関しても主催者がなされたことであり教育委員会は知らない」「何点の応募があたのかも知らない」と答えました。

(6)「電源立地市民フォーラム」の開催をめぐって
① 珠洲市が「電源立地市民フォーラム」開催を提案
 2001年3月1日,珠洲市の谷充行助役と上野電源立地対策課長は市議会の珠洲市民会議,清和会の原発反対・推進の両会派に「電源立地市民フォーラム開催(案)」を示しました。これは,昨年8月31日の谷本知事と貝藏市長の会談の場で,市長が調査再開へ住民の理解を求めるために向けてフォーラムやローラー作戦を展開していくと述べたことを受けての提案で,いわば市長の知事に対する「公約」だと考えられます。
 そもそも今回提案のあった推進,反対双方の学者を招いてのフォーラム,あるいはシンポジウムは,反連協や珠洲市民会議が過去何度も要求してきたものです。これに対し林前市長や貝藏市長は,時期尚早とはぐらかしたり,反対派の学者は呼ぶ必要なしと跳ねつけてきました。
「推進のためのフォーラム」と位置づけているかぎり,反対派がこれに乗る必要はありません。珠洲市民会議は,市長に対し「開催の目的」等に関して質問状を提出しました。
② 珠洲市民会議,市長回答に対し再質問へ
 珠洲市長からの回答を受け,珠洲市民会議は4月10日,会合を開き「フォーラム」について対応を協議しました。
 市長の回答では,開催目的に「推進のため」という文言はなく「今一度,将来のあり方を考えるうえにおいて」という表現が盛り込まれています。これを善意に解釈すれば,「原点に帰って原発問題を考え直そう,計画撤回も含めて考えよう」というふうにも読めますが,これでは到底,市民会議として準備会への参加を決定することはできません。そこで「これまでの原発政策をどう見直すのか,あるいは見直さないのか」-意味明瞭な回答を改めて求めるため,再質問の文書を提出しました。
 5月24日,再度,市長からの回答が届きましたが,そこでも「今回のフォーラムのみで賛否の結果を出すものではありません」と述べるだけで,原点に戻って考えようと言う姿勢はありませんでした。
 また,珠洲市議会6月定例会において,貝藏市長は「あくまで推進」を繰り返し,市民会議に相談のないままフォーラム開催準備金として補正予算案に1020万円を勝手に盛り込んでいるなど,逆に反対派の不信感は強まるばかりです。
 反対派も参加したフォーラムの実現で,知事の印象を良くしたいという本音の発言が推進派の市議からも漏れ聞こえてきます。市長の政治的立場を支援する役回りを私たちが演じさせられてはたまりません。

(7)推進派の動き
① 自民党県連の動き
■自民党県連,北陸電力幹部と懇談
 9月8日,自民党県連と北陸電力幹部との懇談が行なわれました。席上,北電側はこれまでの経緯と現状を報告し,「調査再開には県,市,漁協の協力が必要であり,理解を得るよう努力する」としたうえで県連に対しても支援を求めました。県連は珠洲市と協力しながら県と蛸島漁協の同意を得るよう結束することを確認しました。さらに北陸電力は地元の理解を求めるため電源開発協議会の組織を見直し,チームを再編成する方向で検討していることも明らかにしました。
■自民党県連,関電・中電と懇談
 9月28日,自民党県連5役は金沢市内東急ホテルで関西,中部両電力の幹部と懇談しました。関電からは鍵本昌久専務と現地責任者ら3名,中電からは木野文海副社長と現地責任者ら3名が参加しました。両電力は先の北陸電力と同様,「県,珠洲市,地元漁協の三者による協議の場の設置」など,漁協との話し合いに向けた県への働きかけを県連側に要請しました。向出勉幹事長は懇談後,「3電力の意向を知事に伝え,見直しを迫っていく」と述べました。一方,県連側は両電力に対し,地元対策の強化を求めました。
■自民党県連,来年度予算要望を知事に提出。珠洲原発は話題にならず
 自民党県連は11月29日,来年度予算要望を知事に提出しました。95項目にわたる要望項目の中には,従来どおり「珠洲市における原子力発電所の立地促進」の一項目が盛り込まれていましたが,しかし,懇談の中では,珠洲原発に関して,双方とも全く触れず仕舞いでした。
 自民党県連の一連の動きは,結果的に,地元珠洲市の推進派の期待を裏切り,さらに電力会社からもらった「漁協対策」という宿題を放置したままの幕引きとなりました。
② 珠洲原発推進調査研究会
 珠洲市内の原発推進団体である「珠洲原発推進調査研究会」は2001年5月20日,商工会議所で平成13年度の総会をひらき,会の名称を「珠洲電源立地調査研究会」に変更することを決めたと新聞は報じました。変更の理由として,「原発」が「原爆」と結びつけられ危険なイメージがあることや,原発に慎重な考えの人も加入しやすくなることをあげています。
 同研究会は1983年に結成され,現在の会員数は2835人。総会では会員倍増計画など今年度事業を決め,原発推進決議を採択しました。来賓として出席した貝藏市長は「市の将来に原発はぜひ必要だ」と強調し,フォーラム開催においても,おのれのスタンスを全く変えていないことを示しました。
③ 珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会
 珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会は,2000年の秋,珠洲市内の小中学校に「エネルギーとまちづくりポスター作品」の募集を行いました。ところが実際に学校との連絡に当たっていたのは「㈱うなばら珠洲」の職員で,しかも,その態度が強圧的であったため,市議会でも問題となりました。
 さらに入賞者や多数の作品を応募してくれた学校には,多額の副賞が渡され,教育現場をも「金の力で押さえつけよう」とする姿勢に,強い憤りを感じざるを得ません。今後,このような動きに対して,鋭く監視していかなければなりません。

(8)反原発運動の状況
① 蛸島漁協原発反対対策委員会,調査再開なら阻止行動を確認
 蛸島漁協珠洲原子力発電所建設反対対策委員会は2000年9月2日,委員40人が出席し約10年ぶりに同漁協で開かれ,新役員を選任後,「電力会社が立地可能性調査を強行した場合,阻止行動を展開すること」を確認しました。
 今回の調査阻止の確認はこれまでの同漁協の方針を再確認する意味合いが強いのですが,8月30日の市長-知事会談でショックを受けた推進派に追い討ちをかけるとともに,推進派の攻勢に動揺していた反対派住民を大いに勇気付ける方針確認となりました。
② 積極的に対話を進める
■珠洲市民会議,外浦区長会と懇談
 2001年2月10日午後2時から,大谷公民館で外浦区長会と珠洲市民会議の懇談会が開かれました。これまでも,外浦区長会は年に数回,市の課長などを招き勉強会や陳情活動などを行なってきていますが,今回は初めて珠洲市民会議を呼んでの懇談となりました。
 原発問題を巡ってのやり取りが注目されましたが,質疑の大半は「JRバス撤退表明を受けての交通体系の展望」「小中学校統合問題への対応」「塩田村の振興」「一人暮らしの老人宅の除雪体制」「雇用の場の確保」等,外浦地域が抱える具体的な課題についてであり,原発問題については「調査だけでもさせるわけにはいかないのか」という質問はありましたが,激しいやり取りはなかったようです。
 外浦地区の課題については,珠洲市民会議はこれまでも議会等で自民党に先駆けて問題提起をしてきており,むしろ市の対応の鈍さが課題でした。今回の懇談会は,珠洲市民会議が原発反対だけではなく,様々な地域の課題についても勉強し,具体的に提言していることを理解してもらういい機会となりました。
■北野県議,フォーラムふるさと塾と懇談(2001.3.18)
 昨年から話のあった,原発推進のメンバーが多くを占めるまちづくりグループ・フォーラムふるさと塾と北野県議との懇談会が実現,中央公民館を会場に9時半からスタートし,予定時間をオーバーし,12時近くまで行なわれました。
 懇談会は,まず「公約について」というテーマで約40分,北野県議の方から話をした後,メンバーからの質疑応答という形で進められました。
 質疑では,「商店街の活性化や財政問題」「能登有料道路の無料化」「教育問題」「林業の振興」「市町村合併」など様々な課題が取り上げられました。原発問題では,「先進地視察に是非反対派の人たちも参加してほしい」という要望や,「可能性調査を実施し,その上で賛成,反対を議論すればどうか」などの質問が出されました。
 原発問題はもちろん,今日の珠洲の現状を招いた原因に対する認識,「活性化」ということに対するイメージの違いなど,見解の違いはあったものの,様々な意見交換が和やかな雰囲気の中で行なわれたことは,今後の推進,反対の対立の解消に向けた様々な取り組みに道を開くという意味で,有意義な懇談会であったと言えます。
■対話を求める推進派の思惑とは
 今年に入って,市長からの原発賛成・反対の学者によるフォーラム開催の提案や先般の外浦区長会と市民会議との懇談会,清和会(珠洲市議会自民党会派)から珠洲市民会議への「地域振興懇談会」再開の申し入れなど様々な動きとの関連は見ておかなければならないでしょう。意図してかどうか,あるいはそれぞれの動きが連動しているかどうかは別として,今の市内の閉塞状況をなんとか打開しようという模索が推進派の中で始まったのは間違いないようです。

4 反連協の取り組みと経過

(1)第5回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
 2000年10月21日(土),29日(日)の両日「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」が行われました。今年で5回めとなるこの催しは,市民の間にもすっかり定着しました。珠洲原発反対ネットワークや反連協のメンバーが中心となり実行委員会を結成し,単組協議会や珠洲教組の全面的なバックアップの下,ボランティアで活動に取り組んできました。
① 映画『トイ・ストーリー2』等の上映
 2000年10月21日(土),緑丘中学校体育館において映画『トイ・ストーリー2』『川の流れのように』の上映をしました。今年は,昼の部・夜の部に分けての上映を試みました。2つの映画で約400名くらいの参加がありました。こういう文化的な活動も取り入れながら「地域の活性化」の実際を示していく必要があります。また,映画にこだわらずに,いろいろな方法を探っていきたいものです。
② 第5回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」
 10月29日(日),午前10時~午後3時頃まで,蛸島漁港で,フリーマーケットをはじめとする催し物を企画しました。市民が自由に出店をして,リサイクル品や自分の畑に採れたものを販売しました。例年までは,鉢ヶ崎運動公園を会場に行っていましたが,今年は天候が怪しかったので,初めて蛸島漁港に移動しての「祭り」となりました。しかし,大雨にもならずに,2000名以上の人出で盛り上がりました。
 フリーマーケットは,昨年以上にお店が出て盛況でした。「反連協のお店」も出すことができました。また,ステージの方では,今年も地元の高校生バンドの演奏・歌があり,より地域に密着した取り組みとなりました。
 蛸島漁港での開催は,思ったよりも雰囲気が良く,反原発の砦「蛸島漁協」をアピールすることもできました。また,産地直送の魚介類もスムーズにお店に並べられるなど,良い点がたくさんありました。
 秋祭りの取り組みが,今後,さらに,地域に密着した催し物になるような工夫が必要です。

(2)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 2000年度は,以下のように9回の会合が持たれました。
 2000年 9/5,10/12,11/16
 2001年 1/29,2/23,3/23,4/20,5/24,6/16

(3)情宣活動
① チラシの折り込み
 以下のように,反連協は,チラシを3回新聞に折り込みました。
 2000年 8月15日(月) 8月号チラシ「原発は地域社会の麻薬です」
     10月26日(木) 10月号チラシ「反原子力の日」
2001年 1月 1日(月) 1月号チラシ「脱原発の世の中を」
② 街宣活動
2000年7月29日(土) 「能登ピースサイクル」に伴走,街宣
 今年度は,十分に街宣車を生かし切れませんでした。街宣活動は,重要なアピールの活動です。今後も地道に取り組んでいく必要があります。

(4)集会等への参加
① 能登原発差し止め訴訟裁判
 2号機建設差し止め訴訟の傍聴に参加してきました。
② プルサーマル計画凍結を求めるにいがた集会
 2001年3月17日,柏崎で開催された集会に,全国からおよそ1500名(石川から28名,柳田会長も)が参加し,ショーン・バーニー氏(グリンピースのプルトニュウム問題担当)や原水禁事務局長,福島・福井・青森県からの報告や決意表明があり,集会アピールを採択しました。その後,市内をデモ行進し,さらに原子力資料情報室の西尾漠氏らも交えて全国交流集会がありました。
 福井・福島で行き詰まった「プルサーマル」が,柏崎刈羽原発で全国初使用になるのではないかという懸念から,この大会が急遽開かれました。結果的には,刈羽村住民投票で「プルサーマルNO!」という結果となり,MOX燃料の装荷はさらに遠のきました。
③ 「4.9反核燃の日」市民集会
 青森県が核燃料サイクルを受け入れたのは16年前の4月9日。その日を「反核燃の日」とし,毎年集会やデモが開催されてきました。
 今年は4月9日に青森市で全国から約1000名が集結し,石川県からも平和運動センターの呼びかけで3名が参加。柳田会長も参加しました。
 原水禁全国交流集会も開催され,平井孝治氏の講演やプルサーマルに直面している福島,福井,新潟からの報告もありました。
 翌日は,下北半島を一周し,半島全体が国の原子力政策に飲み込まれ,結局は放射能に満ちた核のゴミ捨て場になろうとしている実態を見聞しました。「衰退する一次産業に,過疎化。自治体の財政難につけ込んだ札束攻勢に抗し守るべきは何なのか,改めて考えさせられるものとなりました(柳田会長談)」。
④ 上関原発拒否で祝島島民と座り込み
 2001年4月23日,二井関成山口県知事は,同県上関町に中国電力が建設しようとしている上関原発計画を総合資源エネルギー調査会の電源開発分科会に上程する事を同意する旨を回答しました。
 この流れをみた反対派は,あらゆる方面から知事同意をさせない行動をとりました。4月16日から祝島島民をはじめ市民・労働者のべ1000名あまりが24時間態勢で県庁前に座り込みました。柳田会長も,16~17日,座り込みに参加し,上関原発建設NOの決意を示しました。また,祝島島民の反対活動に対し,反連協からカンパをしました。
⑤ 高木仁三郎さんを偲ぶ会
 2000年10月8日,高木仁三郎氏が永眠されました。
 10数年前,反連協が主催して珠洲で講演していただいたこともあります。そのころはもちろん元気でしたが,98年春ごろから体調をくずし,大腸ガンが見つかってからというもの,「残された時間をいかに生きるか」ということを考え,行動されました。
 普通なら,体制派の科学者として安泰の生活を保障されていた立場にありながら,自分のこだわりを大切にして(自ら困難な状況になることもかまわず),市民の側の科学者として生きる道を選んだ,その姿勢に感動します。しかも,それが(反体制によくありがちな自己満足の)玉砕とはならずに,しっかり根を張り,少しずつ人を動かし,国を動かす力にもなっていることを思うとき,彼のしたこと,彼の生き方に学ぶべきものが多いと改めて思います。特に,死を受け入れながら,「希望を失わずに生きていこう」と逆に私たちに呼びかけている文章を読むたびに,心が引き締まる思いがします。JCOの事故をきっかけに,「このままではいけない」「言い残したことがありそうだ」と言う思いで書かれた本が,多数出版されました。
 2000年12月10日,東京の日比谷公会堂で「高木仁三郎さんを偲ぶ会」が開催されました。2000名を越える人たちが,生前の高木さんを思い,高木さんの遺志をしっかり受け継ぐことを決意しました。反連協からは,O事務局長が,高木基金へのカンパをもって参加しました。
⑥ ピースサイクル・県平和運動センターとの交流
 20001年12月1日,石川県平和運動センター(旧連帯労組会議)のメンバー約40人が,珠洲原発の予定地の視察と地元住民との交流を目的に珠洲市を訪れました。視察に先立ち一行は珠洲電源開発協議会で珠洲原発の計画の撤回を申し入れました。反連協のメンバーも地域住民とともに交流会に参加し,珠洲の現状を訴えました。
 また,ピースサイクルとの交流も続けています。昨年は7月29日に珠洲に入りました。反連協からは河原一郎氏が自転車で参加し,柳田会長は街宣車を運転しました。交流会には北野進県議や砂山信一も参加しました。今年は,7月22日の珠洲入りが予定されています。
⑦ 刈羽村プルサーマル住民投票報告集会「小さな村の大きな決断」
 2001年6月21日,正院町で新潟県刈羽村の元刈羽村議の武本和幸氏ほか2名の女性をお迎えし,「刈羽村住民投票報告集会」が開催されました。反連協としても全面的に協力体制を取りました。報告会には,推進派の議員や市の幹部の顔も見え(招待状を出してあった),一風変わった盛り上がりを見せていました。
 推進派の人たちは「住民投票そのものが議会制民主主義の否定だ」と批判する人もいるかと思えば,住民投票後の村長の決定をエライと褒め称え,「珠洲市長選でも勝った方の言うことを聞くべき」などとせまるなど,何の原理・原則もない質問が相次ぎました。

(5)珠洲電源開発協議会への申し入れ(2000.9.13)[資料30]
 反連協は2000年9月13日,珠洲電源開発協議会(電開協)に対し,珠洲原発計画の断念と協議会の解散,関電・中電の撤退を求める申し入れを行ないました。電源開発協議会側は北電,関電,中電から5名が出席しました。
 電開協側は,「資源小国日本のエネルギーセキュリティの観点や地球環境問題などを踏まえ,さらに珠洲市の将来にとっても役に立つという理由からこれまで通り推進していきたい」と,これまでの回答を繰り返しただけでした。さらに電開協からの提案として,毎年のこのような申し入れではなく,話し合いの場にできないかと持ちかけてきました。
 その後,用地問題や推進体制などを中心に質疑を行いました。全体的には「相手方のいることなので…」とか「なんでそこまで答えなければいけないんですか!」と言った調子で踏み込んだ話はありませんでしたが,新たに確認できた点も若干ありました。
 電開協の組織再編は数年前にやっており,新たに検討しているわけではないこと,さらに,現地の立地部員は今回減少したことも,初めて電力会社の口から明らかになりました。
 また,高屋の調査予定地外の土地についても所有権移転禁止を条件とした賃貸借契約を結んでいること,さらにその契約は以前は10年契約,昨年以降の更新時には5年契約としたことを明らかにしました。

2001年度の活動
 2001年度の反連協の第24回総会は,6月28日に珠洲労働会館で開かれました。出席代議員数32名。本総会では,2001年4月24日の珠洲市勤労協単組協議会定期総会で,同組織が解散し新たに珠洲市平和運動センターとして組織の再編が行われたのに伴い,加入団体名の改正をしました。

1 2001年度の経過

(1)米国の高レベル放射性廃棄物処分(省略)

(2)ベルギー政府が脱原発法案
 2002年3月1日,ベルギー政府は,「国内に存在している7基の原子力発電所を2010年から2025年までに全廃するという法案」を議会へ提出することを決めました。国会の承認が得られれば,スウェーデン,ドイツに引き続いて正式に脱原発への道を進むことになります。この脱原発法案の成立は,緑の党も含めたフェルホフスタット連立政権が1999年に発足した当時から連立協定に盛り込んでいたものです。
 ベルギー王国には,7基もの原発が存在しており,総発電量の約6割を原子力(設備利用率は90%以上)が占めています。これだけ原子力に強く依存しているのもかかわらず脱原発を目指すということは,勇気のある決断といえます。

(3)海山町民,原子力に頼らない町づくりを選択
 2001年11月18日,三重県海山町で持ち上がった原発誘致をめぐる住民投票が行なわれました。即日開票の結果,原発誘致に反対が5,215票(67%),賛成が2,512(32%)で,反対が圧倒的多数を占めました。反対は有権者総数のうちでも6割であり,賛成の2倍以上をしめました。
 9月に制定された住民投票条例では「住民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意思を尊重するものとする」としており,原発誘致と住民投票の旗振りをしてきた塩谷龍生町長も「町内の原発論議はこれで終わった。原発のない町づくりを町民と考えたい」と発言せざるを得ませんでした。

(4)「プルサーマル計画」事実上凍結へ(省略)
(5)原発老朽化と廃炉の時代(省略)
(6)放射性廃棄物「スソ切り」問題(省略)
(7)誰も予想できなかった事故-浜岡原発で起きたこと(省略)
(8)「もんじゅを廃炉に」(省略)
(9)エネルギー政策基本法(省略)

(10)能登(志賀)原発をめぐる情勢
① 志賀原発2号機建設差し止め訴訟
■第10回口頭弁論(2001.8.10)
 原告側は先に申請した3名(武本和幸[前刈羽村議],澤井正子[原子力資料情報室],長谷川公一[東北大学教授]),の証人に加えて,小村浩夫・静岡大学工学部教授,山口幸夫・原子力資料情報室共同代表の2名を追加申請しました。
 この日,北電側からは,意見が出されず,次回弁論で証人計画の全体を論議することになりました。
■第11回口頭弁論(2001.11.2)
 原告側はこれまで申請した5名に加え,渡辺三郎氏(1級建築士)と今中哲二・京大原子炉実験所助手の二人を証人として追加申請しました。これで,申請した証人は7名になりました。
■第12回口頭弁論(2002.1.18)
 1月18日の口頭弁論では,被告・北電はこれまでに原告側が証人採用を求めてきた7人について「すべて不必要,反対」とする意見書を提出しました。併せて,被告側の証人として初めて,同社の千台宏治・志賀原発建設所課長(2号機の実質的責任者)を申請しました。

2 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県議会に見る珠洲原発
① 2001年9月定例会
 スクラム喜望の北野進県議は,谷本知事に対し,珠洲原発の現状認識について「珠洲原発が立地手続のどの段階にあり,どのような課題があると知事は認識しておられるのか」と質問しました。これに対し,谷本知事は,建設までの道筋が遙か遠くにあり,いくつもの関門があるという認識を示しました。
② 2001年12月定例会
 12月の定例会で,北野県議は,珠洲市民の少なからぬ人が「珠洲が高レベル廃棄物の処分場になるのではないか」という危惧を持っているとし,石川県としても受入拒否を宣言すべきではないか」と知事に問いただしました。
 これに対し谷本知事は,立候補する地域がない間は受け入れ宣言をするつもりはないことを表明しました。
③ 2001年2月定例会
 北野進県議が「現時点で,県が珠洲原発の問題にどのように関与していくべきと考えるか」と谷本知事の意見を聞きました。これに対し,知事は「原子力発電所の住民合意の形成というのは難しい問題であり,率直に今の珠洲の原発の状況を見ると,まだ賛否両論があり,地元の珠洲市でもそれぞれの立場の方々が努力をしている。中間派の市民団体の方々も一つの動きを示した。さまざまな取り組みの中から一つの方向性が示されることを期待をしており,現時点で私がまだどうこう判断する時期ではない」と述べ,珠洲市民の動向を見守る姿勢を堅持しました。

(2)3期目をむかえた谷本県政
 2002年3月17日投票の石川県知事選挙は,現職の谷本正憲知事が,総与党のもとで33万票あまりを獲得し三選を果たしましたが,投票率は過去最低の約43%にとどまりました。
 原発反対派にとっては8年前,原発推進の自民推薦候補に対し,「住民合意を最大限尊重する」という<原発慎重姿勢>の谷本候補を支援し,勝利を勝ち取ったという経緯があります。これは,原発反対の声を受けとめる県政への転換であり,それ以後,珠洲原発計画にはしっかりとブレーキがかかりました。
 電力市場の自由化が進み,分散型電源の技術開発も進んでいます。周りを見ると,珠洲原発の問題にピリオドをうつ政治的,経済的,社会的環境は整っているといえます。善後策も含め,珠洲原発幕引きへの道をいかに示すかが,谷本県政3期目の最重要課題の一つとなるでしょう。

(3)珠洲市議会に見る珠洲原発
① 2001年6月定例会
 2001年6月11日開かれた市議会一般質問で,珠洲市民会議代表の新谷栄作議員が電源立地市民フォーラムについて取り上げました。新谷議員は,これまでの経過を振り返ったうえで,「市民が自主的に原発について学習した結果,白紙撤回の可能性があるのかどうか」「市民の意思をいつどのような方法で確認するのか」「住民投票をやる考えはないかどうか」等について市長に尋ねました。
 これに対し市長は「双方の考えを聞く学習の場を設けても,改めて市民の意思を確認する気はないし,自分の推進の姿勢に変わりはない」という内容の答弁をしました。
② 2001年9月定例会
 9月17日の一般質問では,9氏が質問に立ちました。
 珠洲市民会議の柳田達雄市議は「電源立地地域温排水等対策事業試験調査」の継続について,「十数年来続いているが,それらの試験は具体的にどのような事業として定着し,地域の振興に寄与してきたのか,検証はきちんと行われているのか」と,評価と位置付けについて尋ねました。
 樋下義勝水産林業課長は「中間育成後に放流したサザエ,バイ貝は適宜水揚げされているが,ヒラメ,トラフグ,オニオコゼなどは,尾数は少ないながらも水揚げが確認されているので,この試験調査は水産業の振興に寄与していると考えている」と,その意義を述べました。
③ 2001年12月定例会
 12月10日の一般質問では,8氏が質問に立ちました。
 柳田市議は,市町村の合併問題に絡めて「合併問題の最大のバリアは当市が掲げている原発誘致である。この際,奥能登広域圏の中で一緒にやっていきたいのならば,合併が実現するまでは,<原発問題棚上げ>の覚悟が必要なのではないのか」と市長の態度を質しました。これに対し,貝藏市長は「両方が重要であるという認識に立って取り組んでいきたい」と答えました。

(4)「電源立地市民フォーラム」の開催をめぐって(珠洲市の動き)
① 珠洲市民会議,フォーラムを巡る交渉打ち切りを通告
 2001年6月5日,貝藏市長は,補正予算案に,準備会への参加を巡って珠洲市民会議と協議中の「電源立地市民フォーラム」の開催準備費として一般財源から1020万円を計上しました。
 この見切り発車で,市民会議が参加しなくとも,推進派だけで実施,あるいは市が主体となって開催ということが先にあることがはっきりしました。
 そこで,7月11日朝,珠洲市民会議の議員6名は市役所市長室を訪れ,貝藏市長にフォーラム参加を巡る交渉打ち切りの「通告」を手渡しました。
② 珠洲市民会議,泉谷信七実行委員長から開催趣旨を聞く
 珠洲市民会議と北野進県議は10月4日,新たなフォーラム開催の動きを受けて対応を協議しました。
 泉谷信七委員長からは,7月に市が市内の各種団体の代表者を集めフォーラムの現状について説明を行い,協力の要請があったこと,市や議会でできないのならば自分たちでやろうというメンバーが集まり「原子力問題を考える市民フォーラム」を開催する方針を確認し,実行委員長に推されたとの説明がありました。
 珠洲市民会議側からは,市長が提案したフォーラムに対して協力できなかった経緯について確認を求め,そのうえで市民会議として協力できる条件として,
Ⅰ 市民が自主的に行うとの趣旨に照らせば市に対して開催費の助成を求めるべきでない。
Ⅱ 助成を求めるのならば,市に対して原発問題を原点に返って対応する姿勢を確認すること,具体的にはフォーラム開催後(一回とは限らない)改めて市民の意向を確認することとし,それまでは一方的推進の姿勢を改めさせることを確認すべき。
という2点を提示しました。
 実行委員会はこれを受ける形で市長に「中立」を求めましたが,充分な回答を得られませんでした。
③ 原発フォーラム開催中止,実行委は解散へ
 11月6日,「原子力問題を考える珠洲市民フォーラム」開催実行委員会が開かれ,フォーラムの開催断念が決められました。これにより3月1日に市長から提案のあったフォーラム開催は完全に暗礁に乗り上げることとなりました。
 会議冒頭,泉谷実行委員長から原発に反対する講師を招請することができず,このままでは公平なフォーラム開催が困難な状況であることが説明され,開催断念が提案されました。
 協議の結果,開催を断念し,実行委員会を解散することで一致しました。
④ 貝藏市長フォーラム開催断念,開催費減額補正へ
 2001年12月4日開会した珠洲市議会定例会で貝藏市長は「電源立地市民フォーラム」の開催準備費1020万円を減額する補正予算案を提案しました。
 開催の目途が立っていない中で一方的に予算を計上し,市民団体も巻き込んで混乱させた市長の「対話」政策は,始めから「推進への一里塚」でしかなかったのです。

(5)推進派の動き
① 電力会社の動き-珠洲原発用地疑惑
 関電側に土地を売却しながら譲渡所得を申告しなかったとして,所得税法違反(脱税)の罪に問われた神奈川県海老名市の医師矢部熹憲被告に対する判決公判が2001年12月6日,横浜地裁でありました。矢村宏裁判長は罰金3000万円(求刑懲役1年6カ月,罰金4000万円)を言い渡しました。
 判決は「関電の元課長ら買い主側が納税の先送りを示唆した」として関電側の関与をはっきり認めました。被告側は控訴する方針です。
 この用地取得をめぐっては,反対派住民を警戒した関電が計画予定地買収の目的を隠すため清水建設に買収を依頼。同社関連の不動産会社などを使って秘密裏に取得工作を進めていたことが公判で明らかにされています。
 矢部被告は公判で,関電と清水建設を「真の取引当事者」と位置づけ,両社が土地を担保に金を貸し付ける取引スキームを組み立てたとして無罪を主張していました。判決後,矢部被告は「関電に対する最大の協力者だったのに,関電に切り捨てられた」と話したそうです。
 関電の関与を裁判所が認めたことで,土地を巡る醜い裏取引が存在したことが明らかになりました。
② 珠洲電源開発協議会
 あいかわらず,テレビ・ラジオにコマーシャルを流し,原発推進の宣伝に努めています。放射性廃棄物の始末もできない,糞づまりの原発に未来はありません。私たちの収める電気料金を,コマーシャルにつかうのはもってのほかで,自粛すべきです。
③ 珠洲電源立地調査研究会
 昨年「珠洲原発推進調査研究会」という名前から「推進」をとってできた?研究会。会長は竹沢芳子氏です。「飛翔」という機関誌を見ると,実態はあいかわらず「推進一辺倒」です。
④ 珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会
 『ザ・オピニオン』という機関誌が,時々,市内に全戸配布されています。内容は「貧乏な珠洲,若者が見捨てる珠洲を原発で立て直そう」というものです。「新幹線と原子力,共に安全」という話(第72号)はおもしろいけれど,こういう論理のまやかしは,もうずっとまえに明らかにされているはずです。

(6)反原発運動の状況
① 原発問題リレーシンポジウム
 珠洲市内の原発推進,反対両派の市民や市議会の「清和会」「珠洲市民会議」両会派の議員らも参加した「原発問題リレーシンポジウム実行委員会」が,5月から6月にかけて推進,反対それぞれの立場の講師を呼んでのシンポジウムを開催すると発表しました。共通テーマは「安全性」とし,1回目は推進派講師として神田啓治氏(元京大原子炉実験所教授),大橋弘士氏(北海道大学名誉教授)を招いて5月19日(日)に開催。2回目は反対派講師として小林圭二氏(京大原子炉実験所),藤田祐幸氏(慶応大学助教授)を招いて6月9日(日)に開催する予定です。参加者は両方のシンポに参加することを原則とし,入場料として2回の通しチケット(1000円)を購入してもらうことになっています。
 今回の「原発問題リレーシンポジウム」は市長抜きであり,市の予算もアテにしない市民からの動きである点が,先の市長主導のフォーラムとは一線を画します。ただ,反対派の中には「落ち行く推進派を助けることになるのではないか」との危惧も根強く,今後,この動きがどのような所に影響してくるのか予断を許しません。
 この,シンポジウム自体,「必要性」「経済性」など他のテーマも含め3回目,4回目と回数を重ねていくかどうか,さらには双方席を並べて議論を交わすような企画へとつながるかどうかも未定であり,今回の取り組みを受けての検討課題となっています。
 ただ,一連の動きの中で明らかになったのは,「原発立地しか頭にない貝藏市長には現在の市の混迷状況を打開する当事者能力がない」ということです。「市長が動けば潰れる」「市長が語ればまとまらない」というのが多数の市民の得た教訓となったのは確かだろうと言えます。

3 反連協の取り組みと経過

(1)選挙への取り組み
① 参議院選挙の取り組み
 2001年7月29日投票の参議院選挙・石川選挙区には,前の県女性青少年課長の森岡智恵子氏が立候補しました。
 反連協は,平和運動センターの要請に従い,「もりおか智恵子」必勝に向け協力して取り組みました。しかし,小泉フィーバー真っ盛りの時であったこと,こちらの運動が思うように浸透しなかったことで,自民党の候補に大きな差を付けられました。
<確定得票>
 当 沓掛 哲男  307,664(自民 前)
    森岡智恵子 179,832(無所 新)
    尾西 洋子   36,367(共産 新)
    種部 秀之  15,838(自連 新)
② 石川県知事選挙の取り組み
 2002年2月28日,任期満了に伴う石川県知事選挙が告示され3期目をめざす現職の谷本正憲知事と共産党推薦の新人の2人が立候補を届け出ました。
 社民党県本部は,谷本知事と独自の政策確認書を結びました。その中で,珠洲原発については「珠洲における原子力発電所の立地については,民主的手続きと最大限住民合意を尊重し,慎重に対応する」とし,珠洲原発に関しては3期目もこれまでと同じ態度をとっていくことを確認しました。

(2)第6回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
 2001年10月21日(日),11月4日(日)の両日「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」が行われました。今年で6回めとなるこの催しは,市民の間にもすっかり定着しました。
① 第6回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」
 10月21日(日),午前10時~午後3時頃まで,フリーマーケットをはじめとする催し物を企画しました。過去4回は,鉢ヶ崎運動公園を会場に行ってきましたが,今年は昨年に引き続き蛸島漁港で開催しました。1500名以上の人出で盛り上がりました。
 フリーマーケットは,昨年以上にお店が出て盛況でした。「反連協のお店」もだすことができました。
 柳田会長が企画し,初めて取り組んだ「貸しつり竿(餌付)」は漁港ならでは取り組みで,いつも竿が出払っている状態で,珠洲の自然を見直すきっかけにもなりました。また,ステージの方では,地元の方の弾き語りや太鼓の演奏があり,より地域に密着した取り組みとなりました。
 今年は最初から会場を蛸島漁港にしましたが,結果的には,反原発の砦「蛸島漁協」をアピールすることもでき,産地直送の魚介類もスムーズにお店に並べられるなど,良い点がたくさんありました。
② 映画『A.I.』の上映
 2001年11月4日(日),緑丘中学校体育館において映画『A.I』の上映をしました。入場者は約600名で,昨年の400名を大きく上回りました。これは昨年より映画の知名度が高かったためだと思われます。入場者は中・高生も多く,いままでとは違った年齢層にも見てもらうことができました。
 このような文化的な活動も取り入れながら「地域の活性化」のあり方を示していきたいです。

(3)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 反連協は,この1年も,毎月1回の割合で行われたネットワークの会合に参加して来ました。そこでは,高屋・寺家の現地,さらに各町での推進の動きや問題を出し合い,交流してきました。第6回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」や各種の集会には,ネットワークの人たちと度々会合を持ち,協力して取り組みました。
 2001年 7/9,8/22,9/4,10/12,11/23
 2002年 1/23,2/28,3/4,3/28,4/22,5/31
 原発建設計画を白紙に戻すためには,地元の人たちの力はもちろんのこと,反連協のような労働者を基礎とした組織と一般市民が力を結集しなければなりません。私たちはこれからも,珠洲原発反対ネットワークとともに活動し,刺激しあって,反対運動を続けていかなければなりません。

(4)情宣活動
① チラシの折り込み
 以下のように,反連協は,チラシを4回新聞に折り込みました。
 2001年10月 9日 放射能(被曝)の怖さとは
      10月25日 反原子力の日
 2002年 1月 1日 新年号
      4月26日 「原発は安い」はウソだった
② 街宣活動
 街宣活動は,地道な運動ですが,「反連協の車が通ると安心する」と言われるように,「反対派の運動」の大切な取り組みの一つです。今年度は,以下の5回の街宣をしました。
 2001年 7月22日 ピースサイクルの伴走
     10月26日 反原子力の日の街宣
 2002年 1月27日 緊急講演会「原発老朽化時代」のPR
      3月28日 スリーマイル原発事故23周年
      4月26日 チェルノブイリ原発事故16周年
 維持そのものにも費用がかかるのが街宣車です。今後も有意義な利用をしていかなければなりません。
③ 看板づくり
 反連協が作成・設置した看板は,珠洲市内で3カ所ありますが(一昨年までは4カ所あったが,小屋を取り壊す関係で1枚ハズしたまま),今回,宝立地区内と松波バイパス沿いに設置できないかと場所を探したところ,まず,松波バイパス沿いに設置できることになりました。
 2002年2月17日に役員7名が集まり,労館で看板づくりをしました。反連協の看板の絵は全て手作りです。こうして反原発の思いを看板に込めて,社会にアピールすることも大切です。

(5)集会等への参加
① 能登原発差し止め訴訟裁判
 2号機建設差し止め訴訟の傍聴に参加してきました。
② 「もんじゅを廃炉へ」全国集会
 核燃機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故から6年を迎えた2001年12月8日,原発反対県民会議など主催の「2001もんじゅを廃炉へ全国集会」が敦賀市内で開かれ,学生や労組,市民団体など約750人が参加しました。反連協からも柳田達雄会長が参加しました。集会は「もんじゅ」近くの同市白木の海岸で始まり,県民会議の小木曽美和子事務局長が「運動を『止めよう』から『廃炉』へ切り替え,核燃料政策の転換を求める第一歩にしよう」と訴えました。
③ 緊急講演「原発老朽化時代-安全装置が相次ぎ壊れる浜岡原発」
 2002年1月27日(日)の緊急講演会には,約150名が参加し,最後まで熱心に学習会しました。
 小村浩夫教授は,非常用蒸気配管破裂事故について,世界にも例のない想定外の水素爆発によるものであり,原発に水素爆発が起こること自体が大問題であると指摘しました。また,原発の老朽化からくる応力腐食割れは,冷却材喪失につながりかねない深刻な事態だという認識が大切であると指摘しました。
 今回の講演会にも,自民党市議や市職員,原発推進団体の方々が何人も参加していただきました。日本の原子力政策の見直しを迫る浜岡原発事故について多くの方々と最新情報を共有できたことはおおいに意義があったものと思います。
 反連協は,この日,講演会の街宣をし,さらに講師との交流会にも柳谷・尾形が参加しました。今後も,市民団体と力を合わせ,本当のことを知る学習会を企画していかなければなりません。
④ ピースサイクルとの交流
 「のとピースサイクル」の一行が,2001年7月20日から23日の日程で,志賀町赤住の志賀原発から珠洲市までの能登路を駆け抜けました。
 反連協からは柳田会長・河原・砂山らが伴走し,一緒に原発反対をアピールして走りました。また,夜の懇親会では,北野進県議と尾形事務局長が参加し,高橋代表から珠洲の運動へのカンパもいただきました。

(6)署名・購読推進
① 署名活動
 「原子力資料情報室」や「原水禁」などが呼びかけている「止めよう再処理!100万人署名運動」に取り組みました。
 現在,青森県六ケ所村では再処理工場の建設が進んでいます。しかしプルトニウム(MOX)燃料の利用は各地でストップがかかり,電気事業連合会の試算でも工場の総費用は10兆円という途方もない数字が出てきました。
 有事立法が国会に提出される一方で,あくまで再処理に固執するとなれば,「日本は核戦争を準備している」と見られることになります。プルトニウム生産工場計画をストップし日本の原子力政策を転換させるための運動に,今後も積極的に参加していきます。
② 『はんげんぱつ新聞』珠洲支部へ
 『はんげんぱつ新聞』は,全国各地の反原発・脱原発の運動をつなぐ交流紙です。全国各地・世界各国からのホットな運動の報告のほか,1か月間の主な動きをまとめた「月間情報」,わかりやすくタイムリーな「反原発講座」,「エネルギー情報」,「DATA BOX」などを毎号掲載しています。
 反連協でもこれまで何人かの購読者がいたのですが,役員に呼びかけたところ購読数が11部となり「支部」となることができました。今後とも,全国の脱原発運動と連動するためにも,購読者の獲得に向けて広げていく必要があります。

2002年度の活動
 2002年度の反連協第25回定期総会は,2002年6月8日(土)5時30分より,珠洲労働会館で開かれました。代議員の参加者は21名,委任状15名と,やや参加率の低い総会となりましたが,例年通りの活動方針を決定し,運動を続けることを確認しました。

1 2002年度の経過
(1)米国,ユッカマウンテンを最終処分場に(省略)

(2)日本の原発輸出(省略)

(3)「もんじゅ」行政訴訟勝訴
 2003年1月27日,福井県敦賀市にある核燃料サイクル開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」について,名古屋高裁金沢支部は,建設前の安全審査が不十分だったことを認め,原子炉の設置許可を無効とする判決を下しました。
 もんじゅが1995年のナトリウム漏れ事故以来運転停止中であることを考えると,結果的に廃炉を迫ることにも等しい判決となりました。
 判決は,「ナトリウム漏れ対策が不十分だった」と指摘し,安全審査のやり直しが必要としました。また,原子力安全委員会の審査についても「許可申請の記述を無批判に受け入れた疑いをぬぐえない」とまで述べています。
 国や核燃機構は,この判決を厳しく受け止め,まずはもんじゅの改造工事に向けた作業を凍結すべきです。
 海外を見ても,フランス,ドイツ,英国は経済性の面や核拡散への悪影響を理由に軒並み撤退しています。いまでは大型の高速増殖炉を運転しているのはロシアだけとなっています。
 もんじゅを中核として高速増殖炉の実用化を進める考えは,もう時代にそぐわなくなっているのです。

(4)東京電力の点検データ改竄と全原発停止
① 長年にわたる改竄・隠蔽
 東京電力の点検データの改竄・隠蔽は,日本の原子力政策の根幹を揺るがすものとなりました。
 公表されたデータ改竄の内容は,85年から90年代にかけて行なわれた自主点検の記録で,東京電力の13基の原発で29ヶ所にも及んでいました。亀裂の存在を隠したり,その数を減らして報告していたのです。さらに,当時の通産省への提出ビデオの亀裂部分が写った箇所を削除したり,検査官の目をごまかすために無届で修理した箇所をいったん元に戻すなど,悪質なものもありました。
 改竄事件の発表は2002年8月29日に保安院および東京電力からあったのですが,同時に安全評価も添えられていて,「問題はあったけれども安全には支障がない」と主張しました。
 東京電力が発表した「当社原子力発電所の点検・補修作業に係るGE社指摘事項に関する調査報告書」によれば,スケジュールどおりに定期検査を終わらせて運転再開させることが最大関心事だった,トラブル報告はできるだけ行いたくない,安全に問題がなければ報告しなくてもよいのではないか,といった動機や背景が記されています。結局は,経済性を優先させていたわけで,とても容認するわけにはいきません。
② ショックを受けた推進派
 東電の背信行為の発覚に,一番大きな衝撃を受けたのは,地元で熱心に原子力を推進してきた人たちです。事故が起きる度に電力会社の言いわけを信じて,不安に思う人たちを説得してきたのですから。
 動機や背景を考えるなら,改竄や隠蔽は発表されている29件のみに限ったことでも,また東京電力のみに限ったことでもない,ほんの氷山の一角にすぎないこともだんだんだんと明らかになってきました。東電で追加の隠蔽があったこと,東北電力でも中部電力でも隠蔽が行われていたことが続々と報じられました。これらはより重要な場所,再循環ポンプの配管で起きていました。
 これらの不正は東京電力という一社の問題ではなく,原子力発電そのものがもっている矛盾が出た結果だと言えます。安全性を優先すれば,経済的に見合わなくなるのです。
 幸か不幸か,今回の事件は内部告発という勇気ある行動で暴かれました。彼はGE社の労働者でした。これがなければ闇から闇へと葬られていたことでしょう。
 今回の事件はプルサーマル計画も吹き飛ばしてしまいました。
 2年前の「事前了解」が新潟や福島の地元議会決議で白紙になり,計画の実施が拒否されました。プルトニウムの利用計画がなくなったことは,何のためにプルトニウムを取り出すのか,その理由がなくなったことを意味します。青森県の六ヶ所村で建設中の再処理工場を完成させる意味がなくなったのです。この事件の徹底した究明の要求と並行して,再処理工場の稼動反対の声が高まってきています。
③ 東京電力の全原発が停止
 そしてついに,東京電力の原発17基すべてが,2003年4月15日に停止する状態となりました。「安定供給」のうたい文句に反して,原発は大きな事故を起こせば何基もの原発を同時に停止せざるをえなくなる危うさを有している――と反原発派は指摘してきましたが,同様の状況が不正の発覚・安全宣伝への不信によっても起こり得ることを,今回の全17基停止は示したものといえます。
 そして,東京電力の全原発が止まっても電力供給の危機が顕在化しないのは,発電設備が過剰となっているからです。東京電力は休止していた石油火力の運転を急きょ再開して危機に対応したのだ,との反論するかもしれません。しかし,7基もの火力発電所を再開したということ自体,多くの不要設備を抱えていたことの証明と言えます。他になお2基が,未だ休止しているのですから。
 加えて,関西電力が13基の休止火力発電所を有することになるなど,他社では今年度の電力供給計画で休止・廃止をさらに増やしています。
④ 節電キャンペーンで原発運転を!
 東京電力は盛んにマスコミを通じて「節電キャンペーン」を行なっていますが,「原発が動けば節電なんてしなくてよい」という本音が見てとれます。そのためにあえて危機を煽り,原発の運転再開を強行しようとしているとしか考えられません。
 東京電力は,今夏の需給見通しとして,最大電力は1日最大で6450万kWに達するとし(「厳しい暑さとなった場合」とことわり書きがある),その時,全原発が停止したままだと供給力は火力・水力・他社からの受電を合わせて5500万kWで,950万kWが不足すると発表しました。しかし実際の供給力は,原子力資料情報室の試算では,原発が止まったままでも6000万kWとなるそうです。供給力の一部がトラブルで停止しても,本気で「節電」をすれば,十分に対応が可能な数字です。
 これを機に電力消費の効率化・削減に舵を取るならば,その効果は年を追ってより大きくなってくるにちがいありません。なぜなら,世論が製品の省エネルギー化を加速し,構造的な変化につなげていけるからです。
 原発を止めて,その上,火力発電も減らしていくことが夢物語ではないと,現下の状況は教えてくれているようです。もちろん,二酸化炭素や公害物質の放出も減るのです。
⑤ 運転再開へ
 7基の原子炉すべてが停止していた新潟県の東京電力柏崎刈羽原発の運転再開問題で,地元の平山征夫知事と西川正純柏崎市長,品田宏夫刈羽村長は2003年5月7日午前,同県庁で会談し,同原発6号機の運転再開を容認することを決めました。
 会談後の記者会見で平山知事は「国の判断,東電の報告を聞いて,再開を受け入れることを妥当と判断した」と述べました。西川市長は容認した一因として,「全原子炉停止でマイナスの影響が顕在化していると,地元産業界から再開の強い要請を受けた」と語りました。
 原子力発電所のトラブル隠しで地元に不安を与えたとし,平沼経済産業相は5月6日,東京電力の柏崎刈羽原発がある新潟県柏崎市と刈羽村を訪れ,市議会などで「みなさんの期待を裏切った。心からおわびする」と謝罪しました。
⑥ 福島県では依然としてNO!
 福島県の佐藤栄佐久知事は2003年6月2日,国が福島第一原発6号機の「安全宣言」を1日に出したことについて,記者団に対し「安全宣言が(再開の)必要十分条件になるはずだったが,経緯を見ると必ずしもそうとは言えない」と述べ,国に対する不信感が払拭されていないとの考えを表明しました。その一例として「経済産業省が原子力政策の推進と安全監視を兼任しているのはおかしい」と話し,原発の規制官庁を独立させるべきだとの認識を示しました。
 6号機の再開時期については明言しませんでした。また,経産相が現地入りの意向を示していることについて,「私と経産相が会ってどうこうするという政治的な問題ではない」と述べ,県議会などでの意見集約を見守る姿勢を示しました。

(5)欠陥を容認する「維持基準」導入(省略)
(6)使用済み核燃料中間貯蔵施設(省略)

(7)地層処分「概要調査地区」公募開始
 高レベル放射性廃棄物地層処分の実施主体「原子力発電環境整備機構」は,処分場候補地の公募を開始しました。
 危険な高レベル放射性廃棄物を地下に埋め捨てにする地層処分が安全に行える保障はありません。地層処分推進派が根拠とする「地層処分研究開発第2次とりまとめ」(核燃サイクル機構)には,数々の疑問点があります。大陸の安定地塊とは全く違う変動帯である日本列島で,将来10万年程度にわたって安定な処分場に適した場所を高い信頼度で選定することなど不可能です。
 しかも,公募方式は,地層的に最適の地を選定するのではなく,受け入れを容認する社会的な条件を優先したものです。
 「原子力発電環境整備機構(NUMO)」は,公募にあたって「地域共生の取組み方」を示して経済的波及効果を宣伝しているし,募集に応じた市町村には交付金が用意されています。ここでも,金の力で地域を分断しようとする旧来からのやり方が繰り返されようとしていること,使われているお金が私たちの電気料金や税金から出ていることも問題です。
 しかし,いくら市町村の多くが財政難に苦しんでいるとはいえ,住民の生活を脅かす処分場を受け入れるところが簡単に現れるとも思えません。公募の裏で,地層処分研究施設の計画が進められている北海道・幌延,岐阜県・東濃地方やこれまでに噂にのぼった地域(珠洲市もその一つ)があらためて処分場候補地として狙われる可能性も十分考えられます。いかなる地元工作にも反対し,地層処分を許さない闘いに取り組まなければなりません。

(8)ITERの候補地が 六ヶ所村に決定 (省略)

(9)中央集権型から地方分散型へ(代替エネルギーの開発)
 運転中に二酸化炭素を出さないことのみで「地球に優しい」と宣伝されている原子力発電も,巨大な発電所による中央集権システムに基づいた現在のエネルギー開発路線の一部を為していることには代わりありません。何百㎞にものぼる送電線は,現代の「万里の長城」となりつつあります。
 地球規模で起きている様々な環境問題を見ても,現在のエネルギー路線を転換すべきときが迫っているのを感じます。
 今後は,より効率的な発電やエネルギーの配分と利用,そして地域分散化された再生可能なエネルギーシステムに基づく,より環境的・社会的・経済的に持続可能なエネルギー開発路線へ転換していく必要があります。この新しいシステムは,それぞれの地域の資源を用いた安全で持続可能なエネルギー供給ミックスの利用と,持続可能なエネルギー社会の発展に重点を置くものとなるでしょう。
 太陽光や風の利用,そして波力,地熱,ゴミ発電,コジェネなどに加え,最近は水素と酸素の反応で電気を起こす「燃料電池」も本格的に研究されています。現在,原子力のみに偏っているエネルギーの研究開発費を,これら再生可能な分散型発電へ振り分けることで,加速度的に開発が進むものと考えられます。
 そのためには,政策決定やエネルギーシステム運営の民主化を通して,共同体やその地の人々がエネルギーの未来を決定する基本的権利を確立するような運動のありかたを探ることが必要です。

(10)原発の運転開始・事故などをめぐる情勢(省略)

(11)能登(志賀)原発をめぐる情勢
① 志賀原発2号機建設差し止め訴訟
■第15回口頭弁論(2002.9.12)
 北電の志賀原発建設所長千代宏証人に対する北電側の主尋問が行われました。
 証言は,改良型沸騰水型原発の特徴を述べるにとどまり,相次ぐ不祥事や事故を責任者としてどう受け止めているかという説明は全くありませんでした。
■第16回口頭弁論(2002.12.12)
 この日,原告側弁護団は北電の千代宏志賀原発建設所長に対し,約2時間の反対尋問を行いました。この中で千代証人は,相次ぐ重大事故や不祥事については教訓をほとんど語らず,あれは東電だから…炉型がちがうから等と逃げ,また1号機の度重なる事故についても,直接タッチしていないからと一貫して説明を避けました。
■第17回口頭弁論(2003.3.6)
 原告側証人のトップを切って元刈羽村議の武本和幸さんが証言に立ちました。武本さんは「柏崎6,7号機は,ABWR=改良型といいながら,運転開始以来,異常なほど事故を頻発してきた。ABWRは,BWRの改良型ではなく,安全性より経済性をより優先させたものでしかない」と述べました。
 また,女川原発で超音波探傷検査が現物検査の結果と大きな違いがあったことを取り上げ,「そもそも,損傷がどの程度か本当に判別できるかという疑問さえ出ている」と指摘しました。

2 珠洲原発をめぐる情勢

(1)石川県議会に見る珠洲原発
① 2002年6月定例会
 北野進県議が,サッカーの試合を例に珠洲の原発問題を取り上げ「もはやロスタイムに入っている。住民合意以外にもクリアしなければならない問題が多い」と指摘しました。
 これに対し谷本知事は「最近の電力自由化の急激な動向がある。これが原子力発電と両立するのかといった点については,さまざまな意見があるということも承知している。いずれにしても住民の合意の形成を前提にした上で,事業主体である電力会社がいろんな要素を総合的に判断をするだろう。特に用地の取得というのは大変大事なテーマだというふうに思う」と答え,住民合意以外にも,クリアしなければならない問題がたくさんあること,それはまた電力会社にとっても厳しい条件となっているという認識を示しました。
② 2002年9月定例会
 北野県議は,東京電力に始まった点検記録改竄問題が国民の原発・電力会社に対する不信感をより大きなものにしている現状をとらえ,「今や住民合意の判断以前に立地計画の大前提である安全性に対する信頼が崩れており,片や立地の当事者である電力会社の経営戦略からも重要視されなくなっているのだが,県としても地元の対立解消に向けて踏み込むべき時期を迎えたのではないか」と知事の英断を求めました。
 谷本知事は「今回の東京電力の不正問題は国民の原発の安全性に対する不安あるいは原子力行政に対する不信を招いたことで大変遺憾なことである」との今回の電力の不祥事に対し厳しい見方を示したものの,珠洲原発については「電力会社と国がどう判断するかの問題である」という姿勢を示しただけでした。

(2)珠洲市議会に見る珠洲原発
① 2002年9月定例会
 9月市議会の冒頭,貝藏治市長は,自民党の国会議員で組織されている「原子力関連施設整備促進等に関するプロジェクトチーム」のヒアリングを受けてきたと切り出し,その際に,市民を推進へ持っていくための施策として,「初期対策交付金を地域振興に充当可能となるよう財政的支援を要望」し「国は,珠洲市民にわかりやすい広報活動を展開していただくよう」に強く要望してきたと述べました。
 一般質問は9月17日に行われました。質問に立ったのは,8氏です。
 珠洲原発については,市民会議のメンバーがそれぞれ,市町村合併問題との絡みで質問しました。
 市民会議側が,合併問題が議論されている最中に,新聞紙上で市長のコメントとして「原発が支障になり合併ができないのであれば,原発を優先する」と報道されたことを取り上げ,その発言の真意を質しました。
 これに対し貝藏市長は,「合併については十分議論をすること,市民の皆様方の利便性の向上を図ることがもちろんでありますが,論議しつくした後どうしても賛同が得られず,そのために合併ができないとなった場合は,致仕方がないといったものであります」と,合併よりも原発推進を進めていく覚悟を表明しました。この市長の答弁に対し,柳田達雄議員が「少なくとも,合併協議に加えてもらうためにしばらく原発は棚上げするという考えはないのかどうか」と合併問題で同じテーブルに着くための方策として「棚上げ」を提案しましたが,市長の答弁は「あくまでも原発建設に理解を求めながら…」というものでした。これでは実質的に,合併問題を真剣に考えているとは言えません。
② 2002年12月定例会
 2002年12月9日,市議会の一般質問が行われ,6氏が質問に立ちました。
 市民会議の赤坂敏昭議員が「合併の決断をし,20数年来もめにもめ続けていた原発誘致を断念するしかないのではないか」「近隣市町村長との珠洲原発について意見交換をしたことがあるのか」と質問しました。
 これに対し貝藏市長は「近隣市町村へは,県や関係機関で実施をする視察研修や講演会などを通じて広報活動に努めている」と述べ「合併に際しても,電源立地の必要性や建設に伴うメリットについて,十分説明をさせていただき地域住民の御理解を得る努力を重ねながら,さらに積極的に推進をしていきたいと考えている」と答弁しました。
 自分の市でさえ「地域住民の御理解」が得られていない現状を無視したようなこの答弁からは本気で,珠洲市の合併や将来のことを考えているとは思えません。

(3)珠洲市の動き
① 合併問題と原発
 珠洲市の近隣市町村で合併をめぐる動きが活発になる中,珠洲市の動きは大変鈍いものでした。珠洲市民のアンケート結果を重視すれば,能登三郷との合併を積極的に進めていくことになるはずでした。ところが貝藏市長の最終判断は,「内浦町との合併」という不思議なもので,市長自らが今まで発言していた奥能登7市町村との合併をも無視するものでした。
 一方,近隣市町村にとっては,原発問題を抱える珠洲市との合併は快くありません。住民を賛成・反対と分けるような行政に巻き込まれたくないいというのはもっともなことです。
 そもそも,9月の市議会定例会で市民会議から指摘があったように,貝藏市長が,合併問題よりも原発の方を優先したいと思っているのは見え見えでした。しかし,合併に向けて何も努力しないように思われるのも困るので,苦し紛れに内浦町に協議を申し入れたというわけです。そして,予想通り,内浦町から拒否された珠洲市は,「努力したけど,断られた」という姿を一応見せることができたのです。
② 統一地方選後の動き
 貝藏市長は5月23日,県庁を訪れ,「立地可能性調査の早期再開」を求めました。
 これに対し知事は,調査の早期再開は電力会社も望んでおらず,当然ながら県も協力する立場にないとの認識を示しました。統一地方選の結果については「住民の一つの思いが表われている」としつつも「住民合意」について直接の言及は避け,その一方で,電力需要の停滞,電力市場の自由化,トラブル隠しなど原発立地を取り巻く環境の厳しさを指摘し,こうした状況の中で電力会社がどう判断するかだと繰り返し述べています。
③ 『広報すず』に見る推進の動き
 『広報すず・号外-原子力特集号(E-ねっと)』(2002年9月号,12月号,2003年3月号)は,全面カラー刷りの贅沢なパンフとなっています。内容は,「電源立地等初期対策交付金事業の紹介」「産業まつりのようす」「珠洲蝉折の笛音楽祭」「エネメイト口講座視察レポート」などの様子や体験記が掲載されています。
 エネメイト講座視察参加者のレポートの中は,「町の中にあった原子力発電所」「明るい職場に安心し,科学の進歩に期待」「原子力発電所と共存共栄で漁業振興」と,万事バラ色の未来が待っているような文章ばかりです。東海村村長が,JCO被曝事故の後,「原子力と共存はできる。しかし,共栄ができるかどうかは疑問だ」と述べていることをどう考えるのでしょうか。

(4)推進派の動き
① 電力会社人員削減,中電は関電と同居へ
 2002年8月の人事異動で,関西電力,中部電力,北陸電力の3電力はそれぞれ立地部員を削減しました。かつては100人近くいた人員が約50人へと,半減近い削減となりました。電力会社にとっての珠洲原発の位置付けの変化が如実に表われているといえます
 さらに中部電力は,野々江町にあった事務所を閉鎖し,関西電力事務所敷地内に事務所を移転しました。両社がどう説明しようが,企業の経費削減策としか市民には映らないでしょう。
② 珠洲電源開発協議会
 あいかわらず,テレビ・ラジオにコマーシャルを流し,原発推進の宣伝に努めています。またカラーの新聞折り込みも続けています(綴じ穴まで空いています)。昨年10月の折り込みには,依然として「5重の壁」をアピールしていました。30年来,同じ文句の繰り返しです。
③ 珠洲原発推進調査研究会
 この組織は,珠洲市産業センター2Fに事務所があることになっています。
 時折,思い出したように『調研じょうほう』というチラシを新聞折り込みしていますが,今年に入り,統一地方選を見据えてか,2003年2月には第16号「原発優先をルール化」という記事と共に「上田幸雄氏を推薦決議!」というチラシを撒きました(裏面は白紙)。また4月には第19号「待てない!地域振興」と題して「電源立地による経済効果」を嬉しそうに具体的な金額で示しています。また裏面には「電源立地を進める人応援します!」と上田氏の応援チラシとして作用しています。
④ 珠洲電源立地オピニオンリーダー協議会
 『ザ・オピニオン』という機関紙が,時折,市内に全戸配布されています。東京電力の不祥事に対しては「あれだけ東京電力の問題等が新聞紙上にでたにも関わらず,地区説明会も開催しない協議会自体にも,正直,疑問を感じます」(「一流と呼ばれる為に」第79号)という投書も載っており,「一流から二流,そして三流」となってしまった協議会自身に発破をかけています。
 また,この協議会は,推進派の論客で組織された「原子力報道を考える会」が結成されたことがよほど嬉しいらしく,よくこの会報からの抜粋も紹介されています。「マスコミ報道は反原発に偏っている」と主張したいようですが,血税を使って推進のみの広報をくり返す国の態度に疑問は感じないのでしょうかね。
 同紙によると珠洲商工会議所が昨年選んだ電源立地推進標語は「街おこし 確かな決め手 電源立地」だそうです。

(5)反原発運動の状況
① 県議選の取り組み
 2003年4月13日の投票日。原発推進,反対両派の現職同士の一騎打ちとなった県議選の珠洲市郡選挙区は,定数が2から1に削減された中での選挙でした。結果は以下の通りです。
<県議選開票結果>
                    計    珠洲市  内浦町
      北野  進  無所属    9132   5671   3461
   当 上田幸雄  自民党   10878   9129   1749
 今回の県議選の定数1は厳しい選挙でしたが,市長選とは異なり県議選は内浦町も含めた選挙区であり,勝算は十分にあったと言えます。
 北野陣営には,相手陣営の状態から「こんな候補に負けないだろう」という楽観論が浸透していました。合併についても,相手側は消極的な意見を持っており,それも珠洲市民の多数意見とは相容れないからこちらに有利だろうという考えもありました。また,市民全体の雰囲気として,どちらにころんでも早急な事前調査の開始などないだろうという安心感もありました。
 そんな中で,結局,12年間維持してきた反原発の議席を失うという残念な結果となってしまいました。
 これまで,谷本知事は「北野がいる限り珠洲の住民合意はない」と言っており,北野県議の1議席は,珠洲原発計画をストップさせている大きな力の一つでした。今回の選挙で,反対派は有力な代弁者を失ったことになり,珠洲原発反対運動にとり,ダメージが大きいといえます。
 しかし谷本知事は,この選挙結果について「見方によっては民意の表われの一つと受けとめるが,接戦だったのでこれから結果を吟味しなければならない」「票の分析をしなければ住民の思いは見えない。電力会社が結果をどう判断するかだ」「一つの民意ではあるが,票差をみると接戦。北野さんの票もよく分析する必要がある」と従来からの慎重姿勢は崩しませんでした。また珠洲電源開発協議会も「県議選は,県政の様々な課題を争点として争われたものであり,電開協としてはコメントを差し控えさせていただきます」と,控えめな姿勢を示しました。
 ただ,北野氏の得票は,県議選ごとに伸びているのも確かです。前回の新谷票が,全部推進派に行ったわけでもありません。
 今一度,地に足をつけた原発反対運動を作り上げなければなりません。
② 市議選・町議選の取り組み
 県議選に続いて,4月27日,珠洲市議会議員選挙および内浦町議会議員選挙の投票が行われました。市議選の結果,原発推進派(自民系)13名,反対派(珠洲市民会議)5名の議員の当選が決まりました。
 今回の市議選は,県議選での敗北のあとの選挙であり,反原発派にとっては大変厳しい中での選挙でした。市民会議の現職は6名いたのですが,柳田達雄市議(反連協会長)が体調不十分のため引退を決意し,5名の現職が選挙戦に出馬することになりました。全員当選でも,議席は1減らすこととなります。反原発派にとって,初めての守りの選挙となりました。
 谷本知事は珠洲市議選で反対派が議席を減らしたことについて,「(推進派,反対派の)議席が増えたから,減ったからということだけですぐに原発立地が進むということにはつながりにくい」と述べ,それほど原発の現状に変化はないという認識を示しました。
 一方,内浦町議選では,小路礼一郎議員(反連協役員)が,上位当選を果たしました。
③ 第2回原発問題リレーシンポジウム
 2002年6月9日午後1時半から,珠洲商工会議所を会場に第2回めとなる「原発問題リレーシンポジウム」が開催されました。
 「安全性」を共通テーマにしたの今回のシンポは反対派の講師として京都大学原子炉実験所講師の小林圭二氏と慶応大学助教授の藤田祐幸氏を招き,予定時間を30分も超える熱心な勉強会となりました。
 今回のシンポジウムは,市民の間でも,珠洲市長・県知事からも「一定の成果があった」と言われているようです。反対派の講演を推進派の方に聴いてもらえただけでも,それは良かったのかも知れません。そして,さらにシンポジウムの継続を…,次は「地域振興について…」という声も聞こえてきます。
 しかし,シンポジウムの継続を云々する以前の問題として,市民が冷静に判断をしなければいけないのは,「果たして珠洲に原発ができる可能性があるのかどうか」ということです。推進派の講師である神田氏も言っていたように,たとえ珠洲に「住民合意」が形成されても原発ができるとは限りません。今後,珠洲に原発が立地する可能性はあるのか,あるとしたらどのような条件が満たされることが必要なのか,推進派が原発推進を叫びつづけるならば,まずこの点を市民の前に明らかにする責任があるのではないでしょうか。
④ すずし漁協に反原発対策委員会が発足
 「すずし漁協」の有志による「珠洲市原子力発電所建設反対対策委員会」の設立総会が2002年8月26日,同漁協会館で開かれました。蛸島を中心に新漁協の関係者約100人が参加し,原発立地を阻止していく方針を確認,委員長には旧対策委員会の委員長である新谷栄作氏を選任しました。
 今回の新対策委員会の発足は,漁業関係者の反対運動の輪を広げると同時に,漁業権を守る態勢を整えたと言え,原発問題から見れば,反対運動の拠点である蛸島漁協を柱とした合併であったことを市内外に大きく印象付けることになりました。
 新谷委員長は「原発の立地可能性再開など立地に向けた動きがあった場合は有志が一丸となり阻止していきたい」と力強く挨拶し,原発立地を阻止する方針を掲げた「設立総会宣言」を満場一致で確認して閉会しました。
 また,同委員会は,統一地方選が終わったあとの2003年5月17日,今回の選挙で「住民合意を得た」とばかりに事前調査再開をめざす推進派の動きに対し,緊急に委員会を開催し,「万が一,原発立地に向け調査が再開されるようなことがあるならば,対策委員会は一致結束,原発に反対する市民と共に断固調査阻止に向けて闘うことを役員一同確認し,ここに宣言する」と,緊急宣言をあげました。
⑤ 高屋見張り小屋の草刈り
 2003年5月19日の珠洲原発反対ネットワークの話し合いを受け,5月24日午前10時から高屋の見張り小屋周辺の草刈りと小屋の補修が行われました。
 すずし漁協蛸島支部の組合員や反連協をはじめとする市内各地の反対グループのメンバーに加え,内浦町からの参加者も含め,約100人が参加しました。
 草刈り後,14年前の阻止行動のときの様子を若干説明し,予定地内の山へ上がり,関電興業が調査のために張ったトラロープなどを確認し,反原発の思いをおたがいに確認しあいました。
⑥ 反原発3団体で県へ申し入れ([資料36])
 2003年6月12日,反連協・珠洲原発事前調査阻止闘争委員会・珠洲原発反対ネットワークの3団体は,珠洲には「住民合意」はできていないこと,立地可能性調査再開には協力しないことの2点の確認を求め,県へ申入れを行いました。大型バスを借り切り,さらに自家用車組みも含め総勢57名で参加しました。
 県の大鹿部長は,「住民合意」について,「総合的に判断すべきであるとこれまでも話してきており,いくつかの基準を立ててきた。今春の選挙については原発の推進,反対,それのみが争点ではないが,一つの争点として争われてきており,推進派候補の勝利は住民の一つの思いが表われたものとして,行政としては,選挙の結果は重く受けとめている。今後,議会の議論も踏まえながら考えていく」と説明しました。調査再開については,県が行う立場にないという基本的立場を説明し,国や電力会社の判断を見守る姿勢を示しました。ただし,県としては県民生活の安全確保を判断する立場にあり,調査は混乱を避けて行われるのが望ましく,十分な合意が得られるのが望ましいという見解も示しました。同時に「(原発立地は)住民合意だけで進むというそんな簡単な話ではない」と暗に貝藏市長の行動を疑問視する発言や,「北野候補の大量得票も理解している」「小選挙区の問題点も理解している」と,今回の選挙結果については結果は結果として重く受けとめるが「住民合意」につなげての表現とならないよう慎重な発言が繰り返されました。
 この申し入れは,県企画開発部長に現地住民の生の声を聞いてもらう貴重な機会となりました。と同時に,珠洲市長の「住民合意は得た」という判断がいかに突飛なものかが浮き彫りとなりました。

3 反連協の取り組みと経過


(1)県議選の取り組み
 2003年4月4日告示,13日投票で行われた石川県議選には,北野進候補の当選を目指して取り組みました。珠洲市郡定数1となり,推進・反対の一騎打ちとなりました。 反連協は,平和運動センターと共に戦う姿勢を作ってきました。しかし,県平和運動センターが,選挙の取り組みから手を引くことが決まり(連合に一本化される),しかも,北野候補は連合の推薦が得られず,珠洲市平和運動センターとしては,出遅れた感がありました。
 市平和運動センターは,1月中旬に選挙への体制を作り,今まで同様,はがき書き,総決起集会への参加等に取り組みました。しかし,4年前ほどの緊迫感はなく,選挙結果にもそれが表れた感じです。
 県レベルでは連合に移行したというものの,珠洲原発のような地方の問題は,やはり地方が中心となって動いていかなければなりません。今後,珠洲での新しい選挙運動を模索し,立て直すことが急務となっています。

(2)市議選・町議選の取り組み
 続く市議選には,6名の現職を維持すべく,ねばり強い取り組みが行われました。しかし,柳田市議は健康上の理由から,出馬を辞退されました。平和運動センターおよび反連協事務局等が何度か集まり,代わりの候補者の選考をしましたが,擁立できませんでした。そこで,今回は,反連協のメンバーが各地区の候補の応援にそれぞれ入り,5名の市民会議の当選を目指して行動しました。その結果,大変厳しい選挙戦でしたが,5名全員の当選を勝ち取ることができました。
 また,内浦町議選では,小路礼一郎候補が上位当選を果たしました。
 現状を見るとき,珠洲市平和運動センターを数として担っているのは,県教組と高教組です。そんな状態で,果たして,自分たちの組合を中心とする選挙運動だけで以前のように,一人の議員を当選させられるのでしょうか。これだけ市民団体からも志を一にする人材が出てきている今,われわれ労働組合のあり方も問われているようです。
 反連協としては,反原発の思いを同じくする候補のために,運動を続けていかなければなりません。
(3)第7回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」の開催
 2002年10月20日(日),11月16日(土)の両日「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」が行われました。今年で7回め。実行委員会は,珠洲原発反対ネットワークや反連協のメンバーが中心となり結成しました。さらに,平和運動センターや珠洲教組の協力で,開催することができました。
① 第7回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」
 10月20日(日),午前10時~午後2時頃まで,フリーマーケットをはじめとする催し物を企画しました。今年も昨年に引き続き蛸島漁港で開催しました。1500名以上の人出で盛り上がりました。
 フリーマーケットは,昨年以上にお店が出て盛況でした。反連協としては昨年人気の高かった「磯釣り」の店を出し,蛸島の海を生かし,ゆったりと釣りに親しんでもらいました。また,ステージの方では,地元の方の弾き語りや太鼓の演奏があり,より地域に密着した取り組みとなりました。
 今年は最初から会場を蛸島漁港にしましたが,結果的には,反原発の砦「蛸島漁協」をアピールすることもでき,産地直送の魚介類もスムーズにお店に並べられるなど,良い点がたくさんあります。ただ,この「秋祭り」は,鉢ヶ崎の多目的広場の利用を原発反対派が率先して行うことで始めたものあり,開催場所についても,その位置づけを考えながら進める必要があります。
 この秋祭りの取り組みが,マンネリ化させず,今後,さらに,地域に密着した催し物になるような工夫が必要です。
② 映画『アクセレイと泉』の上映
 2002年11月16日(度),正院小体育館において映画『アクセレイと泉』の上映をしました。入場者は約120名でした。内容的には,「チェルノブイリ後のベラルーシの物語」で,ドキュメンタリーとしてもたいへん高い評価を受けているものですが,一般の人たちが鑑賞するにはやや難があったようです。
 映画上映の目的がどこにあるのかを探りながら,今後も,このような文化的な活動も取り入れ,「地域の活性化」のあり方を示していきたいです。

(4)珠洲原発反対ネットワークへの参加
 反連協は,この1年も,毎月1回の割合で行われたネットワークの会合に参加して来ました。そこでは,高屋・寺家の現地,さらに各町での推進の動きや問題を出し合い,交流してきました。第7回「豊かな自然を守る珠洲の秋祭り」や各種の集会には,ネットワークの人たちと度々会合を持ち,協力して取り組みました。
 2002年 6/25,7/29,9/2,11/17
 2003年 2/14,5/12,5/19

(5)情宣活動
① チラシの折り込み
 この1年で4回の新聞のチラし折り込みをしてきました。10月26日の反原発の日の折り込みは,チラシの内容に「市町村合併問題と原発」を取り上げたので,柳田村・能都町へも折り込みました。
 2002年 8月15日(木) 表 放射性廃棄物拒否宣言をしましょう
                 裏 原発「推進」派も心配なのです
    10月26日(日) 表 ウソで固められた安全最優先
               裏 21世紀も夢のあるふるさとづくりを
 2003年 1月 1日(水) 表 珠洲が好きだから,反原発
               裏 原発のない世界を(2002年脱原発10大ニュース)
     4月26日(土) 表 「核燃サイクル=みな」こける
              裏 チェルノブイリ17周年
② 街宣活動
 街宣活動は地道な運動ですが,「反連協の車が通ると安心する」と言われるように,「反対派の運動」の大切な取り組みの一つです。今年度は,以下の2回の街宣をしました。
 2002年 7月22日(月) ピースサイクル来市
     10月26日(日) 反原子力の日
 このほか,講演会のお知らせなどにも利用しました。しかし,選挙がらみで,スリーマイルの記念日やチェルノブイリの記念日等に街宣できなかったのは残念です。今後とも,街宣活動を通じて,原発が抱える問題点を市民に知らせていくことが大切です。
③ 看板づくり
 2002年6月22日(土)に,柳田会長以下7名で,内浦町恋路の国道249号線沿いに2枚の看板を設置しました。今後も,こうして反原発の思いを看板に込めて,社会にアピールしていくことも大切です。
(6)集会等への参加
① 原発とめよう全国集会('03.6.7)
 2003年6月7日,「子どもたちに原発も核もない未来を」をテーマに,14年ぶりに首都・東京の代々木公園で,大規模な全国集会が開かれました。
 石川からは,反連協,能登原発原告団,羽咋郡市勤労協連合会の3者が共同してバスを出しました。反連協からは役員を始め12名で参加しました。
 集会の司会者は,講談師の神田香織さん。張りのある声に紹介されながら,小木曽美和子さんの主催者代表挨拶に続き,全国各地の反対運動の様子が,それぞれたいへんユニークに報告されました。どれも命をはった闘いの報告なのに,怒りの中にも笑いがあり,たいへん勇気づけられる集会となりました。集会の最後には,笠木透さんと祝島の住民たちと一緒に歌う場面もあり,全国の仲間達との連帯感を強くしました。
 集会アピールを採択した後,参加者はデモ行進に移りました。5000名の参加者が,それぞれの地区の幟や旗を掲げ,渋谷駅から明治通り,表参道をシュプレヒコールをしながら,東京の人たちに訴えかけました。
② 「もんじゅ裁判」講演会(’03.2.16)
 2003年2月16日,「もんじゅ」裁判勝訴を受け,原告側の論客である久米三四郎氏を講師にお迎えし,「勝訴の背景とこれから」と題して講演会を開催しました。主催は,珠洲市郡の平和運動センターです。講演会の折り込みチラシは,反連協が担当しました。
 午前中の珠洲会場(すずし漁協3F大会議室)では約120名,午後の内浦会場(内浦町活性化センター)では約60名の参加者でした。久米氏は「もんじゅは1年間で原爆30発がつくれる60キロのプルトニウムを生む。再び動かしてはいけない」と強く訴えかけられました。
 今後も,様々な機会を生かし,広く市民に訴えかける講演会を企画し,学習を深めていかなければなりません。
③ ピースサイクルとの交流
 「のとピースサイクル」の一行が,2002年7月21日~22日の日程で,志賀町赤住の志賀原発から珠洲市までの能登路を駆け抜けました。
 反連協からは柳田会長らが伴走し,一緒に原発反対をアピールして走りました。また,夜の懇親会では,北野県議が参加し,代表から珠洲の運動へのカンパもいただきました。

(7)珠洲電源開発協議会へ申し入れ([資料37])
 2002年11月7日午後,反連協の柳田会長以下5名が珠洲電源開発協議会を訪れ,「珠洲原発白紙撤回」を申し入れました。
 電開協側は,申し入れの折衝の時から「マスコミを入れないで欲しい」と言ってきていました。しかし,その理由ははっきりしませんでした。申し入れ当日も,電開協の玄関で「マスコミにはここで帰っていただく」という態度に出たため,「どうしてマスコミが入るとイヤなのか」「反連協として都合の悪いことはない」と,公開の原則で押し通しました。結局,このやりとりをマスコミに見ていてもらったことと,時間の関係もあり,マスコミ抜きで申し入れに向かいました。
 申し入れの中で,まず「中部電力で発覚した東京電力同様の隠蔽体質について,当事者としてどう説明しているのか」と中部電力の姿勢を問いただしました。中部電力は「事象の程度については,それぞれ解釈の違いがあり判断には難しいものがある。ただ,国民に不安を与えたことで,道義的な責任はあると思う」と答え,身内をかばう発言をするばかりでした。
 また,合併問題に絡んで「他の市町村からは,珠洲市には原発問題があるから一緒になれないという声も聞こえてくるが,それに対する責任は感じているか」と聞いたところ,「合併問題はあくまで当事者の自治体同士の話であり,われわれ電力会社は関係ない」とつっぱね,自分たちにはなんの関係もないことを強調しました。原発問題を振りまいておいて,そのため起きてきたことがらについてはなんの責任も感じていない姿勢に,憤りを感じます。
 さらに,「今後,核のゴミ捨て場にするつもりではないか」という質問には,「珠洲市にお願いしているのは,以前も今も原子力発電所だけである。それ以外をお願いしたことはない」と従来どおりの答えだったものの,「今後のことについては仮定の話であり,お答えすることはできない」とも言い,今後の成り行きによっては「放射性廃棄物処分場への道」もありえるという含みをもたせました。
 また,「運転開始予定というとき話に出てくる珠洲1号,2号とは寺家・高屋のどちらを指しているのか」という質問には,「これは三者でやっていることであり,どちらがどうというわけではない」という回答でした。今までわれわれは「寺家は中電」「高屋は関電」と,何となく思っていましたが,どうもそうではないようです。


  反連協のあゆみ